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2005年 3月25日(金) 越まほろば物語編纂委員会『継体天皇の謎に挑む -越の国シンポジウム-』読了

 わが故郷は福井県坂井郡丸岡町である。この町は継体大王(天皇)の母の振媛(ふりひめ)の故郷で、継体大王が幼少の日々を送ったところと伝えられている。また丸岡町は近年、「日本一短い母への手紙」で有名になった。
 本書は平成元年および翌2年の共に9月24日に、この丸岡町で催されたシンポジウムをまとめたものである。
 以下は上記本からの引用である。

「振媛の郷里として『日本書紀』のなかに三国の坂中井(さかない)の高向(たかむく)という地名がでてまいります。坂中井は、今の坂井郡にあたると思います。高向は、ご存じのように現在丸岡町の一部になっております。」白崎昭一郎

「大阪府の高槻市に
今城塚(いましろづか)という古墳があります。これがまず間違いなく継体の本当の陵であろうといわれている。現在宮内庁が継体の陵に指定しておりますのは、この古墳の西の方にある太田茶臼山古墳なのですが、それは形からみても埴輪からみても五世紀代の古墳でありますから年代がまったくあわないというのは、大正時代からの隠れた学会の定説であります。」森浩一

 参照:2004年8月10日の日記  

2005年 3月24日(木) 渡部昇一『歴史の読み方』読了

 副題:明日を予見する「日本史の法則」
  以下は上記本からの引用である。

「・・・。要するに、科学的経済学などという考え方は、詭弁にすぎないのである。科学とは、たとえば、水は酸素と水素が一対二の割合で化合したものであるというように、誰がやっても同じ結果が生まれるものに対してのみ使える言葉であり、人間が勝手に頭の中で考えだしたものが科学であるわけがない。」

「・・・。そういう意味では、聖徳太子が遣隋使をシナ大陸に送り、外来文化に対する第一回の免疫注射を打ったことは、日本がその体質を形成するうえで、ひじょうに大きな事件であったといえる。聖徳太子のおかげで、日本人は心理的に大国民となり、新しいものが入ってきても、それをあまり恐れず、精神的な抵抗をほとんど覚えず、自分の中に採り入れられるようになった。」

2005年 3月23日(水) 大森隆司『古代日本史49の謎』読了

 副題:定説タブーを破る新説の数々
  以下は上記本からの引用
「中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、蘇我氏を滅ぼしたとか、大化改新事業推進者として名高いが、その実、改新事業どころではなく、権力闘争に明け暮れていたのである。」「権力争いをやっていた中大兄皇子が革命ともいえる大化の改新事業を遂行させることができたとは思えない。」「これも『日本書紀』編纂の脚色にすぎない。」「己の命を守ることが精一杯であった中大兄皇子には、開明的な政策を実行するほどの自覚があったとは少しも思えない。」
「聖武天皇の時代は、東大寺大仏建立に代表される天平文化との美名で飾られているため、私たちはこの天皇を有能だと錯覚しがちである。だが、実は日本史上屈指の柔弱な天皇であり、政治家としてはまったくの無能であった。」

2005年 3月18日(金) 倉田百三『出家とその弟子』読了


 倉田百三『出家とその弟子』読了
 『出家とその弟子』・・・大正5年、倉田百三26歳のときの作品。仏教、浄土真宗の世界に取材したもので大正期が生んだ典型的青春文学である。

以下は『出家とその弟子』より引用。

親鸞『・・・。皆赦し合って仲よく暮らすことだよ。人間は皆不幸なのだからな。皆墓場に行くのだからな。あの時赦して置けばよかったと後悔するようなことのないようにして置くことだよ。悪魔が悪いのだよ。人間は皆仏の子だ。悪魔は仏の子に隙を見ては呪いの霊を吹き込むからな。それに打克つには赦しがあるばかりだ。裁き出すと限りがなくなる。祈ることだよ。心の平和が第一じゃ。』

親鸞『・・・。素直な心になってくれ。ものごとを信じる明るいこころになってくれ。信じて欺(だま)されるのは、まことのものを疑うよりどれ程優(まさ)っているだろう。何故人間は疑い深いのであろう。長い間互いに欺したり、欺されたりし過ぎたからだ。若(も)しこの世が浄土で、未だ一度も偽りというものが存在したことがないならば、誰も疑うという事は無いであろう。信じているこころには祝福がある。疑うているこころには呪詛がある。若し魂の影法師が映るものならば、鬼の姿でも映るのであろう。信じてくれ、仏様の愛を、そして善の勝利を。・・・』

2005年 3月13日(日) 童門冬二『親鸞』読了

 童門冬二『親鸞ー物語と史蹟をたずねてー』(成美堂出版)を読了。
 親鸞・・・鎌倉初期の僧。浄土真宗の開祖。「悪人正機」を唱えた。主著『教行信証』。

2005年 3月12日(土) 綿矢りさ『インストール』読了

 綿矢りさ『インストール』(河出書房新社)読了。
 綿矢りさ・・・本作で史上最年少(17歳)で2001年第38回文藝賞を受賞。『蹴りたい背中』で史上最年少で第130回芥川賞を受賞。

2005年 3月 4日(金) 心に残る言葉


●砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ。(サン・テグジュペリ「星の王子さま」より)
●野に咲く花は駆け引きがないから美しい 花になれない人間の私(金剛登山道石地蔵にて)
●人生後半が面白い 味が出るのはこれからこれから(金剛登山道石地蔵にて)
●回りを見るからきついんです 自分は自分 マイペース マイペース(金剛登山道石地蔵にて)
●また来ると 詫びながらの 墓参り(京都大原三千院にて)
●人は見えても 自分は見えない(京都大原三千院にて)

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