▼戻 る▼

2006年12月27日(水) 古郡廷治『論文・レポートのまとめ方』読了。

(下記は上記著作から引用したものである。)
●「的を絞る・・・テーマを絞り込んでいく。おそらく、この過程で調べた資料の大半は捨てることになろう。しかし、これは無駄なことではない。必要な情報は集めたものを整理する過程を通してわかってくるものだ。」
●「アウトラインをつくる」
●「読者を意識し、そのための文章を書く。」
●「文章には特定の読者がいる。それぞれの文章はそれぞれの特定の読者を意識して書く。このことを忘れないようにしたい。」
●「書きたいことがなければ文章は書けない・・・」
●「書きたいことがあれば文章はできたも同じである・・・」
●「わかりやすい書き方をしているか」
●「よい論文は、文章でも図表でも、入れることより、むしろ捨て去る過程を通して生まれるものである。」
●「引用文の途中を省略するときは、リーダー(・・・)を使う。」
●「漢字にしない方がよいと思われる例
(形式名詞)事、筈、際、所、様、時、物、・・・
(接尾詞)程、迄、故、為、位、・・・
(副詞)却って、更に、共に、勿論、既に、成程、或は、若しくは、最も、・・・
(接続用語)然し、従って、但し、尚、又、及び、・・・
(形容詞類)有る、無い、面白い、様々、・・・

2006年12月25日(月) 弟からの手紙

 偉大で最愛なる□□兄さんへ
 先日は□□□病院でのお母ちゃんの付添い、□□□の遠い所から来てもらって大変ご苦労様でした。疲れが出ていませんか。寒い時期ですので、カゼをひかないよう気をつけて下さい。
 歯ぐきのハレはおさまりましたか、入歯は、ちゃんと合うようになりましたか。目も大切ですが、歯も大切です。歯が悪ければ食べる楽しみがなくなってしまいます。
 兄は一人ではない。□□□家の班長殿である。兄には、□□□、□□□、□□□、□□□、□□□が付いている。兄の家族である。お互い年をとってきましたが、兄が年老いて動けなくなってしまったとしても、兄の家族がいつも付いている。将来そのようなことになっても、我々兄の家族皆んなが兄の面倒を見るので、大好きな山登り等を安心して、思う存分、体の動くかぎり続けてください。クマに食べられないように! ガケから転落しないように! 気を付けて、マイペースでゆっくりと歩いて下さい。
 山登り時々連れて行って下さい。足手まといになると思いますが、にぎりめしでも持って行って、□□□や□□□らと一緒にワイワイ!言いながら楽しく歩きましょう。マイカーで山の適当な駐車場に車をとめておき、そこから歩くような、最初は初心者コースの楽々コースの小学生コース位でお願い致します。マイカーで時々、泊りがけで兄が行きたい所、行っていない所等を重点に山登り(ハイキング、散策等)を兼ねて温泉旅行にでも一緒にゆっくりと行きましょう。
 正月、□□□が休みで、家族皆んながいる時に泊りがけでゆっくりと遊びに来て下さい。□□□が休める日を又連絡します。鍋でも囲みながらパソコンでも教えて下さい。正月、兄が来てくれることを楽しみにしています。
 □□□で援助していただいたりして、大変ありがたく、大変助かっており、非常に感謝しております。□□□と□□□で出来る用事があれば、遠慮なく、いつでも、何でも言って下さい。
 今年ももうわずかで終わりですが、良いお正月をゆっくりとお過ごし下さい。
 それでは、失礼します。□□□、□□□、□□□より

2006年12月14日(木) 日経新聞社主催「奈良の四季デジタルフォトコンテスト」に応募。

@作品タイトル:悠久の大和、撮影場所:大美和の杜展望台、撮影年月日:平成18年11月29日
A作品タイトル:恐る恐る・・・、撮影場所:大台ヶ原大蛇ー、撮影年月日:平成18年 8月 5日
B作品タイトル:三色美、撮影場所:夜都伎神社(山の辺の道)、撮影年月日:平成18年11月24日

2006年12月13日(水) 母の看護。

 主治医が決まる。弟と看護を交代。弟が泊まる。この日以降、12月20日の退院の日まで、毎日弟と交代で24時間看護する。

2006年12月12日(火) 母入院。

 インフルエンザと肺炎のため母が入院した。付添い看護のため病室で泊まる。室内のポータブルトイレを使っての小便介助など。 病院からの付添い依頼の理由は、母がじっとしていない(主として点滴の針を外そうとする)ためである。

〔室内備品〕
日本薬局方滅菌精製水(溶解剤として無菌を条件とする製剤の調剤、医療器具の洗浄に用いる。)
吸引器(壁掛式)
ジェットネブライザーセット(吸入器)、口腔・鼻腔用吸引カテーテル(吸引のために用いられる穴の開いた管)

夕食(5分粥)豚肉の炒め物、ほうれん草お浸し、白菜の煮物

〔入院生活日課表〕
午前
 5:30 採血
 6:30 巡視
 7:30 配茶・朝食
10:00 点滴
10:00 看護師巡視(前日の尿・便回数、朝食の摂取量を教えてください。)
12:00 配茶・昼食
午後
14:00 看護師巡視(昼食の摂取量を教えてください。)
16:00 点滴
18:00 配茶・夕食
19:00 看護師巡視(夕食の摂取量を教えてください。)
22:00 消灯(電気、テレビを消してお休みください。)

点滴:セフェム系抗生物質製剤 パセトクール静注用 1gバッグs 溶解液 生理食塩水100ml

〔食後飲み薬〕
酸化マグネシウム 0.5g・・・便通をよくする薬。
シロスタゾール(一般名)、製品名プレタール錠50mg・・・血管内で血液が固まるのを防ぐ薬。
バップフォー錠10mg・・・膀胱の収縮をおさえる薬。頻尿や尿失禁の治療に用いる。
グラマリール錠25mg・・・心の不調、神経の高ぶり、不安感。
ワソラン40mg・・・心臓を休める。
プルセニド12mg・・・便通をつける。
クラビット錠・・・細菌を殺し、感染症を治療する薬。

2006年12月12日(火) 生瀬克己『障害者だから不幸なのか』読了。

(下記は上記著作から引用したものである。)
●「あなたがたも、まんいち、イジメに出くわすようなことがあれば、イジメッコをやっつける腕力がないから、できることはないなどと考えないで、「きみのつらい気持ちはわかっているよ」ということを、そっと、相手につたえるだけで、ずいぶんと励まされるものだということを覚えておいてほしいと思います。」
●「現在では、「身体障害者雇用促進法」という法律がありまして、事業主は法定雇用身体障害者数(1.5%)以上の障害者を常用労働者として雇わなければならないことになっております。」
●「重要な仕事、必要な仕事といった観点から、仕事と職業観をめぐるすべてを、再構成するべきではないか、と考えます。こうした観点からわたしたちの社会と意識が再構成されるとき、たとえば、「ゴミの回収」というような仕事は、その社会的必要性・不可欠性のために、もっとも重要な仕事とされなければなりませんし、それゆえに、こうした仕事に従事する人びとの処遇面についても、その職業観についても、そのすべてについて、これまでの差別と偏見が逆転されなければなりません。」
●「たとえば、わが国では、朝日、毎日、読売、サンケイなどの代表的な大手ジャーナリズムでさえ、「ベビーバギーを列車内にもちこむのは常識がない」とか、あるいは「ラッシュ時には、老人はでかけるべきではない」といったたぐいの読者の投書を、しごく、あたりまえの主張として、紙面に掲載していることがよくあります。こうしたことが、あたりまえであるとしたら、この国では、老人や障害者のような社会的弱者は、健常者に象徴される「強者」のじゃまにならないように生きていくしかないことになります。」
●「自分ひとりではやっていけないような人間、他人の手をかりなければやっていけないような人間、そんな人間はいないほうがよいとするような考え方が、いかに根づよく存在するものか、ということに注目しておきたかったのです。老人たちが、ながく寝こむことなく死にたいとねがって、ポックリ信仰をしたりすることが話題になったりするのも、わたしたちのなかにある、役にたたないもの、働けなくなったものなどを否定しようとする、こうした意識の存在とふかくかかわっているのではないでしょうか。」

2006年12月 9日(土) 笠原嘉『精神科医のノート』読了。

(下記は上記著作から引用したものである。)
●「荒々しい自己主張はむしろ美徳にさえなりかねない今日である。このこともおそらくヒステリーの減少と無関係ではなかろう。なぜなら、ヒステリー症状とは元来一種の消極的暴力であるから。ヒステリーはその症状によって他者を巻き込み、他者に献身を要求し、罪責感をかきたて、他者の自由をうばう。」・・・標題:「ヒステリーの減少」より
●「よく喋るうつ病者、よく笑ううつ病者がいくらでも存在し、専門家でもうっかりすると誤診するほどである。」・・・標題:「ヒステリーの減少」より
●「いわゆる狂言自殺のみならず、すべての自殺が、生への傾斜と、したがって救われたいという願望と、救ってくれない他者への恨みと、そのような自己の他者へのみせびらかし、つまり他者へのアピールを含むと考えることができる。」 ・・・標題:「精神科医にとっての自殺」より
●「教科書的には分裂病は病識つまり自分が病気だという自覚がないことになっているが、必ずしも何時もそうなのではない。」 ・・・標題:「分裂病のこと」より
●「分裂病という病気は元来青年期のものである。おそくとも三十代には発病してしまう。そして四十歳、五十歳と年をとるにつれて病勢はおとろえ、精神病にかかったことのない平均的な四十歳、五十歳の人々との違いが小さくなる。」 ・・・標題:「分裂病のこと」より
●「健康保険診療報酬点数表/これはちょっとした文化指標としても面白いものである。というのは、とにかくそれは今日我々の文化が身体に関してする一種の価格評価図だから。体のどの部分を現代日本人がどれくらい評価するか一目瞭然である。それから治療法のウェイトもわかる。一般的にいって手術や注射や検査といった目に見える有形処置はたかく、器具のいらぬ無形の処置はきわめてやすい。/無形の技術への評価が低いという現実はわれわれ教育者にとっては頭の痛いところである。若い医師たちが年月をかけて学ぶわりにはそれほど実益のない技術に対して関心をうすくしていくとしても、・・・」・・・標題:「精神科「医院」」より

2006年12月 8日(金) 永山則夫『無知の涙』読了。

 著者の永山則夫は、当時「動機なき、理由なき殺人」といわれた連続射殺魔事件の犯人である。犯行当時は19歳だったが、平成9年8月1日、東京拘置所で死刑が執行された。その年、永山は48歳。獄中29年、娑婆19年という生涯だった。(警察庁広域重要「108号事件」)
(下記は獄中で書かれた彼の「ノート」である『無知の涙』から引用したものである。)

●「憎むより憎まれて死んで行こう」
●「逆らえる物があるから 私は生きていると感じられ 逆らう何かがあるから 若いと思う」
●「ブルジョアジーが圧力団体を維持し行動するが、私のような貧乏人はこのように表現するしか方法がないのです。」
●「社会の矛盾の上に犯罪がある・・・」
●「若し、私の殺人に動機というものがあるのなら、肉親への憎悪からとしか思いようがない。」
●「馬鹿が付くほど正直な貧乏人は 他人様の物盗まなきゃ 生活できねぇ」
●「精神的云々はゆとりがあって言えることで、貧乏人には精神的幸福は二次の問題なのだ。」
●「人は自分に都合の良いように物を考えるものだと思う。どんな善人面した御方・男女の区別を問わずにである。」
●「ぼくはマルクスが何故あれを書いたか分かる。ぼくのような貧乏人が理解しなくて誰が理解するんですか。」
●「誰も信頼していないのであるのなら裏切られる心配は全くない。」
●「月の真砂が尽きるとも、資本主義があるかぎり、世に悲惨な事件尽きまじが」
●「私のような輩が出ない社会とは共産主義社会しかありえないのだ。」
●「天皇家族には罪はないかも知れん、などと躊躇してはならないのである。その存在がある以上、罪は歴然とあるのである。現代日本社会では、天皇制は治安を守護するために必要であるというが、その治安を守護する社会は資本主義経済社会体制なのである。この資本主義国家というものが、どんなに民衆が悲惨な生活をしているかということを思惟するのであったなら、変革しなければならなくなるのは当然であることが理解できるだろう。」

参考:「無限回廊」←国内で起きた事件や海外で日本人が関わった事件などの詳細な情報が得られます。

2006年12月 4日(月) 高野悦子『二十歳の原点ノート』読了。


2006年12月 3日(日) 高野悦子『二十歳の原点序章』読了。


2006年12月 3日(日) 刑事犯と行政犯(取締法規違反)、法と道徳、破廉恥犯と非破廉恥犯

■いじめの問題について・・・いじめるほうが悪いのです。一部に、「いじめられるほうも悪い」という意見があります。「いじめるほうが悪い」という基本的な観点を見失ってはいけません。「いじめられるほうも悪い」と言うと、いじめを助長することにもなりかねません。「真に悪い人間は誰なのか」、この観点を見失ってしまうと、「いじめられるほうも悪い」ということにもなり、被害者が二重の被害にあうという悲劇が起こります。(現実の問題としては、どちらがいじめているほうで、どちらがいじめられているほうかが判然としないというケースもあるでしょうが)
■ゴミ問題について・・・ゴミを平気で捨てる人がいます。ゴミが落ちているのを知りながら、拾おうとしない人がいます。「落ちているゴミを拾おうとしない人も悪い。」という見方も出てくることでしょう。この時、「捨てるほうが悪いのだ」という基本的観点を決して見失ってはいけません。「ゴミを平気で捨てる人」が悪いのです。「落ちているゴミを拾おうとしない人も悪い」のではありません。自分が捨てたゴミではないのに(善意で拾うことがあっても)、拾う義務はありません。非難は「ゴミを平気で捨てる人」に向けられるものであり、「落ちているゴミを拾おうとしない人」に向けられるものではありません。 「捨てる者がいれば、拾う者もいるんだ。だから捨ててもいいんだ」ととらえられかねません。「いじめられる方も悪い」のではなく、「いじめるほうが悪い」のです。「本質的に誰が悪いのか」という観点を決して見失ってはいけません。
■服装について・・・どんな服装で歩こうが自由です。他人からとやかくいわれる筋合いはありません。服装は好みの問題です。ただ、全裸体で町中を歩けば警察に捕まるでしょう。それはその行為が「本質的に悪い」からではなく、「正常な社会秩序を乱す」とかなんとかの理由で、「取締法規」に違反するからです。「本質的に悪い」というわけではありません。その行為が「本質的に悪いこと」なのか、「本質的には悪いことではない」のか。この見極めがとても重要なことなのです。
 私は、最近の女高生の短いスカート姿は好きではありません。「好き」「嫌い」は個人の勝手です。勝手ですから言います。私は女高生の短いスカート姿を不快に感じています。だからといって、長くすべきだとまで主張することができません。それはどうしてでしょうか。そのこと(短いスカートをはくこと)だけをとらえてみれば、「本質的に悪い」ことではないからです。自分が「好きだから正しい」とか、「嫌いだから悪い」とか、そんな判断は間違っています。だから私は「嫌い」と、はっきり言えても「悪い」「間違っている」とまでは言えないのです。
■殺人、傷害、暴行、脅迫、詐欺、窃盗はすべて「本質的に」悪い犯罪です。一方、未成年者の飲酒・喫煙行為、その他いわゆる「取締法規違反」の行為は、その行為そのものが、「本質的に悪い」というわけではありません。誤解を恐れずに端的に言えば、社会政策的観点等から、いわゆる「取締法規」ができ、その「取締法規」に反するがゆえに、その罪が問われるというだけです。「本質的に見て悪い行為」なのか、それとも「本質的には悪くはないが、いわゆる取締法規に違反するために悪いとされる行為」なのかをはっきり区別することは重要なことです。
(本質的には悪い行為ではないからといっても、違反を奨励しているわけではありません。法規を守るのは国民の義務ですから。ただ、日常「犯罪」といわれるものの中には、「本質的に悪いこと」と、「本質的には悪くはないこと」の二つがあることを、はっきり意識しておくことが大切だということです。)
■シートベルトを締めずに運転すると違反です。「取締法規」の違反です。シートベルトを締めずに運転することは「本質的に悪いこと」ではありません。ちょっと前まではこのような規定はありませんでしたから。「運転する時にはシートベルトを締めなければならない義務」が「取締法規」に定められたために、その「取締法規」に違反するために「悪いこと」となったのです。「本質的に悪いこと」ではないのです。酒を飲むこと、煙草を吸うこと、これらは「本質的に悪いこと」ではないのです。未成年者は煙草を吸ってはいけない。未成年者は酒を飲んではいけない。成人であっても酒を飲んで運転してはいけないという「取締法規」があって、その法規に反するために「罪」とされるにすぎないのです。これも誤解を恐れずに言えば、酒を飲んで運転することは「本質的に悪いこと」ではないのです。酒を飲んで運転すると事故を起こす確率が高くなる。そんな研究調査結果を踏まえて、酒を飲んで運転することを禁止し、「取締法規」として規定したのです。殺人、傷害、暴行、脅迫、詐欺、窃盗などといった罪とは本質的に違うのです。
(だからといって、未成年者の喫煙・飲酒、酒酔い運転を奨励しているわけではありません。世間で「犯罪」とみられている中にも、「本質的に悪いこと」と、「本質的には悪くはないこと」の二つがあるということを、日常はっきり認識しておく必要があるということです。)
■信号機が「赤」なのに、横断歩道を渡ってしまったことがあるでしょう。特に深夜で交通量が少ない時など。世の中には「時と場合によっては許される」ことがたくさんあります。臨機応変(この言葉は私が最も嫌いな言葉の一つですが)に振る舞えということでしょう。 そこには、交通の危険がなければ渡っても良いという判断があるのです。(危険があっても渡る人もいるでしょうが)。もちろんのこと道路を渡る行為そのものは「本質的に悪い」という行為ではありません。「取締法規」に反する行為が悪いとされるのです。
※これらの問題は、法律と道徳の違い、刑事犯と行政犯の違い、破廉恥犯と非破廉恥犯の違い、などを研究すればよくわかるのではないかと思います。一般社会人でも法律の基礎的学習の必要性を感じています。
※社会や世間の「常識」は疑ってみることです。疑ってみることに解決の糸口があると思っています。
※常識的判断が正しいと決まったものではありません。あいさつができない子は良くない子と限ったわけではありません。子供はすべて「明るい子」でなければならないわけではありません。暗い子もいるのです。「明るい子」でなければいけないという重圧に悩んでいる子もいるのです。
※道徳やマナーに確固たる基準はありません。時代の変化、社会の風潮によって、いかようにも変化しうるものです。だから、絶えず「本質的には何が悪いのか。誰が悪いのか」を模索し続けることが必要なのです。
※できるだけ分かりやすく書こうとしたため、「非常識だ」と誤解される点が多々あることと思います。こんな私も実社会では、一般的に「常識」「マナー」と言われているところに従い行動しています。心の中ではいつも「本質的にはどこに問題があるのか」「誰が悪いのか」などを考えています。その結果の一つがこのような「非常識」な見解になりました。


▼戻 る▼