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2007年11月28日(水) USBフラッシュメモリを購入。

USBフラッシュメモリ 2GB 高速タイプ HUD−2GBJ−BK 購入価格:4,480円

2007年11月26日(月) 山登りには沢山の人生訓がある。

人生には苦あり、楽あり。苦ばかりの人生がないように、楽ばかりの人生もない。山にも登り坂があるとともに、必ず下り坂がある。 急いで登ってみたところで、それが良いとも限らない。途中で息切れして休んでいるうちに、ゆっくりと登ってきた人に追い越されてしまうかもしれない。登り始めに、先を見すぎるのはよくない。「あんなに高いところまで、これから登るのか」と、登る前から気が滅入ってしまう。先は遠くに見えるものである。途方もなく遠くに見えても、目で見て感じるほどに遠いものではない。ただ足下を見つめて、ひたすら一歩一歩、確実に歩みを進めていれば、自然と山頂に達するものである。千里の道も一歩からと言うではないか。体力が問題というよりも、時間が解決してくれる。危険な岩場ではゆっくりと進めばよい。高度な技術がなくても、時間的余裕や心の余裕があれば、意外と乗り切れるものである。焦っては危険である。山道の下りは楽しい。それは苦しい登りを経験してきた後だからだ。下りばかりでは楽しくない。楽しい下りの道が待っていると思うと、苦しい登りの道の苦しさも耐えることができる。

2007年11月16日(金) 何も望みはしない。

人類は、その果てしない欲望を満たすために、宇宙にまで飛び出したが、今の彼には、よりうまいものを食べたいとか、より大きな家に住みたいとか、そんな欲望は一切なかった。彼は自然を好んだ。自然は良い。自然のままが良い。野菜はそのまま食べるのが良い。塩、胡椒などの調味料はいらない。自然のままの味で十分だ。果てしのない欲望を抱いた人間どもの、その欲望を満たしてやるために、他人との競争を強いられている。競争なんてものは、果てしのない欲望を抱いた人間どもの間だけでやってくれ!

2007年11月15日(木) あなたはどんな夢を見ますか?

あなたはどんな夢を見ますか? 私は、昔ほどに夢を見なくなった。私の見る夢に楽しいものはない。これは昔も今も変わらない。
ここで過去に見た夢を思い出しながら記しておこう。

(1) アメリカのジョンソン大統領がスキーをしていて、私はといえば、そのジョンソン大統領の後にぴったりくっつき、ジョンソン大統領がスキーが出来ないようにと、羽交い締めにしているという光景である。これが何を意味するのかはわからないが、自分なりの解釈をしてみよう。
 当時は私は大学に在籍しており、アメリカはジョンソン大統領の時代で、泥沼のべトナム戦争が続いていた。日本国内でも「ベトナム戦争反対!」の声が高らかに叫ばれていた。自分自身にも、戦争を早く止めてほしいという気持ちが、潜在的意識としてあったのだろう。そんな意識がこのような形になって現れたのではないかと思う。
 どうしてスキーの場面だったのかを考えてみると、大学の体育実習でスキー合宿があった。私の人生でスキーをするのは初めてのことで 、後にも先にもこれが最初で最後になるのであるが、この出来事とが合成されたのではないか。ただ夢の中の気候は、雲一つ無い青い空、ゲレンデは一面白い雪におおわれていて、風はなく、温かく、気持ちの良い気候であったが、実際のスキー実習の時の気候は良くなく、寒くて、どんよりとした曇り空だったのだが。
(2) 弟が誘拐された。夜を日に継いで、姉や兄らと一緒に探し回ったのだが、見つからなかった。ところがある日、身近なところで私が弟を発見した。その時、私は思わずうれしさのあまり「おったぞー」と叫んでいた。その自分の叫び声で目が覚めた。
(3) 父が死んだ(この夢を見た当時は、まだ父は生きていて、この夢を見た後も父は長く生き続けたのだが)。父の死体がベッドの上に寝かされていた。ベッドの下にはベッドと同じほど大きな皿状のものが置かれてあった。腐った(きっと腐っていたのであろう)父の死体からは下の皿状のものに向かって、汁のようなものが無数にしたたり落ちていた。皿状のものはその汁で満たされていて、私はベッドのそばに立って、その汁を柳のようなしなやかな枝でゆっくりとかき回していた。こんな不気味な光景は何を意味しているのだろうか。 夢は全体に赤褐色をしていた。
(4) 高いところ、たとえばデパートの屋上から足を踏み外して落ちる夢。落ちる瞬間に目が覚める。こんな夢はよく見る。
(5) 遅刻してはいけない時に、なぜか色々な事件が起こって、なかなか家を出られない。一つの事件を克服すると、別の事件が起こる。こんなことが際限なく続き、最後は何か決定的なことが起こって、その衝撃で夢から覚める。この種の夢は、夢から覚めた瞬間、「ああ夢だったのか」「夢で良かった」と、ほっとした気分になる。苦しみからやっと抜け出た瞬間の解放感、心地良さがある。そうはいっても見たくはない夢ではある。

 これらの夢は、いつも不安を抱えながら生きている証拠であろう。物事を楽観的に見ることが出来ない性癖が原因のように自己分析している。

 楽しい夢を見ることは全くないかのように書いてきたが、爽快な夢を見ることもたまにはある。私は人前で話をするのが得意でないが、夢の中では、弁舌巧みにしゃべって、相手を打ち負かすということがある。日頃の願望が、夢の中でかなえられるのであるが、こんな夢は良いとも限らない。夢から覚めるとがっかりする。現実の自分のふがいなさを思い知らされて、不快になる。

2007年11月14日(水) 自転車の運転にも「免許」とまでは言わないが・・・

私は自動車を運転しない。自転車にも乗らない。そのためか、歩いていて特に自転車の運転マナーの悪さに腹が立つ。自転車の運転にも「免許」をとまでは言わないが、自転車の購入時に、運転に関する講習会といったものの義務化を考えてみてはどうかと思う。自転車といえども、道路交通法では自動車と同じく「車両」にあたるのであり、道路交通法規に従い運転しなければならない。意外と法規を知らずに運転しているのではないか。自転車と歩行者との関係など、あらためて知らされることが多いことと思う。自転車の横暴な運転はマナー違反ではなく、はっきりと「法規違反」であるということを、自転車の運転者に認識してほしいものである。

2007年11月10日(土) 「優先座席」は空いていれば座ってもいい?

私は「優先座席」には座らない。たとえ空いていても座らない。たとえ疲れていても座らない。確かに「空いている時は座ってもいい」と考えるのが合理的であろうが、できるだけ優先座席は空けておくべきと思っている。もし私が妊婦だったとしても、もし私が足の不自由な老人だったとしても、後から乗ってきた私は「そこをどいて私を座らせてください」というような「あつかましい態度」に出ることはとてもできない。気兼ねなく座っていただくために、優先座席はそれを真に必要とする人のために常に空けておくべきであると思っている。

2007年11月 9日(金) ある展示会場でのこと。

ある展示会場でのことである。
「写真を撮ってもよろしいでしょうか?」と係のオバサンにたずねたところ、オバサンは直接には答えず、「そこに書いてます」と、つっけんどんに指さした。私はここで一瞬、むかついたのであるが、指さしたところには張り紙があって「作品は作者の了解を得ていますので、写真撮影ができます」という意味のことが書かれてあった。なるほど、「丁寧に注意していれば」気が付く張り紙であった。 私は性格から、他人に質問する時にはよく自分なりに調べてから質問するのであるが、ただこの時の私は、たまたまこのオバサンが近くにいて、目があった。黙っているのも気まずいので、挨拶代わりのつもりで、ついたずねたまでのことである。  細かい説明が必要な場合には、「あちらに掲示してある注意事項をよく読んでください」ということもありうることかもしれないが、簡単に答えられることであるならば、直接に「撮ってもいいですよ」という風に、このオバサンは答えるべきであったと思う。

2007年11月 8日(木) 生駒チャレンジ登山大会ゴール時のこと。

 彼は私の数歩前で、スタッフ全員の拍手に迎えられてゴールした。オバサンがすかさず、お茶が入ったカップを持ってきて、彼に差し出した。彼は、心中ではありがたいことと思いながらも断った。するとオバサンは「せっかく持ってきてあげたのに、いらんねんてー」とスタッフら大勢の人がいる前で、嘲るような口調で言った。彼は恥をかかされたと思った。この場合、彼は素直にオバサンの厚意を受けて、カップを受け取るべきであった。その後の彼は急用があるかのように足早に去っていった。彼はその日、急用はなかったのだが。
 彼は人前で飲食をするのを好まなかった。飲食の行為を見ていると、その反対の行為である「排泄行為」を想像してしまうからである。彼は、たとえスポーツによる喉の渇きや空腹を癒すためであっても、人前での飲食行為ができなかった。常識はずれで、普通の人間には考えられないことかもしれないが、彼には「食べることは罪なこと」という考え方が根にある。格好のいいことを言うなと、他人は噂するが、彼は真実そう思っている。肉を食べるときには余計にそう思う。こんなことを言いながらも、彼だって、生きていくためには必要なことだから、飲んだり、食ったりしているのも事実である。何が正常で、何が異常なのか。大多数の人はそう思わないのに、彼はそう思うとなれば、彼は奇人で、変人で、異常な人間であり、「病人」ということになるのだろうか。

2007年11月 7日(水) 兄の友人に紹介された時のこと。

兄の友人に紹介された時のことである。
兄の友人から「弟さんですか? 全然似たところがありませんね」と言われた。こう言われた私はむかついた。ここでむかつく私って変?

2007年11月 1日(木) 平成19年度 地域振興会・赤十字奉仕団大会に出席。

       平成19年度 西淀川区地域振興会・西淀川区赤十字奉仕団大会
と き 平成19年11月1日(木)
     午後1時から
ところ 西淀川区民ホール

                 大会次第
〔第一部〕
○開会のことば ○「大阪市歌」斉唱 ○あいさつ ○激励のことば ○表彰 ○お祝いのことば ○来賓紹介 ○大会宣言 ○閉会のことば
〜西淀川だいすき区民運動推進大会宣言〜

〔第二部〕
★演芸
「南京豆売り 他」「民謡お国めぐり音頭 他」「女鬼龍院」
★ラッキーカード抽選

2007年11月 1日(木) 退職する旧友(後輩)へのメール。

□□ □□くん へ

君が退職するということは、君のブログで数日前から知っていました。
人生の岐路に立ったとき、どの道をゆくべきか、どう行動すべきかは、最終的には自分自身で決めることです。
退職の結果が凶と出るか、吉と出るかは誰にも分からない、本人ですら分からないことだと思います。
決断が吉と出ることを祈ります。

 ここで私の経験から警告しておきます。退職して今、これまでの悶々とした生活から解放され、清々しい気分でいるのではないかと思います。だが、そんな気分はしばらくのことです。数ヶ月後には、将来に対する不安な気持ちでいっぱいになります。君の言うように、勉強なり体力作りなど、常に「プラス思考」で、何かをしていたいものですね。人間関係において、全ての人間が自分の敵のように見えていた時があったでしょう。そんな時はきっと「マイナス思考」に陥っていたからだと思います。

「常に何かをしていたい」といっても、焦る必要はないでしょう。これまでの蓄えは幾らかはあって、すぐ生活に困るというわけではないでしょうから。気が向けばアルバイト程度の気楽な仕事で、足慣らしをしながら、しばらくはのんびりとした生活を送るのも良いかもしれません。

家に閉じこもるのは、肉体的にも精神的にも、良くないと思います。私は、心の健康を維持していくために、「山歩き」を楽しんでいます。私は、人間という生き物の姿を見ていると、無性に腹が立ってくるのですが、人間のいない山の中、森の中を、黙々と歩いていると、とても心が癒されます。自分に合った趣味を見つけ、自分に合った生き方をしましょう。ただ、他人の意見や生き方で、参考になると思うことがあれば「自分なりに解釈して」、どん欲にとり入れましょう。独り善がりはいけません。

私の今の趣味は「山歩き」です。山歩きは、ただひたすら自分のペースで歩けばいい。他人と競争する必要はない。山歩きは、今の自分の性格に最もよく合っているのです。

 山歩きは人生によく似ていると思いませんか。山あり、谷あり、楽あり、苦あり。登り坂ばかりの山はありません。必ず下り坂があります。人生も楽しいことばかりではありません。必ず苦しいことにも出会います。険しい岩場であればあるほど、それを乗り越えた時の感動は大きいのです。苦しめば苦しむほど、その苦しみから解放された時の喜びは大きいのです。

 私は「山歩き」が趣味ですが、もし興味があるのでしたら、いつでもご一緒しましょう。「山歩き」といっても色々あります。ただひたすら鬱蒼とした森の中の道を歩きたいですか。山頂からの雄大な展望を楽しみたいですか。 清々しい沢の道を歩きたいですか。それとも勇気を出して、多少は危険を承知で、岩場、鎖場などを乗り越えるスリルを味わいたいですか。最初はピクニック程度で歩けるところがいいかもしれませんね。

私は「山歩き」が趣味ですが、他人の趣味に合わせて行動するのは、楽しいものではありません。非常に疲れるものです。けれども、君さえ良ければ、いつでもご一緒しましょう。

                                     とおきみちのり より

 

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