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2008年 4月29日(火) 人生は短い。悔いのない人生を送りたい。

 過ぎ去った人生を振り返ってみると、周囲に対する気兼ねから、多くの自由な時間を失ってきたと思う。今、その失った自由な時間を取り戻すように、立て続けに山歩きを楽しんでいる。静かな山中にいる時が、今の私の至福の時である。

2008年 4月28日(月) 噂だけで人を判断してはいけない。

 「勝手なやつ」「奇妙なやつ」と噂されている人には、直接会って話してみることだ。きっと 「勝手なやつ」でも「奇妙なやつ」でもなく、普通の人であるということが分かるだろう。本人にも言い分があるだろうから、その言い分を聞かないで、噂だけで人を判断してはいけない。

2008年 4月24日(木) 近場でもまだまだ未踏の良いところがある―山歩きと名所旧跡探訪に関して

 北海道や九州、沖縄に住んでいる方なら、世界遺産が多い京都や奈良にあこがれて、一度は行ってみたいものだと思われていることだろう。近くに住んでいると軽く見てしまうが、まだまだ近場で良いところがあると思うから、あらためて足元を見つめなおしている。 

2008年 4月18日(金) ソバを食する時、音を立ててもいい?

 一般的には、音を立てて食べるのは良くないこととされている。ただ、ソバを食する時は、音を立ててもいい、いやそれ以上に、音を立てて食するのがマナーである、かのような話を耳にした。
 私は、食べることは罪なことだと思っている。だから、食べる行為そのものを見るのが嫌なのだ。あの口の動きを見ていると、同時に排泄をしている時の行為を想像してしまうからだ。そんな聖人君主のような私に、食する時の音まで聞かされては耐えられない。レストランや食堂には「禁煙席」があるように、「ソバ席」などというものを設けて、「ソバはつるつると音を立てて食べてこそおいしいのだ」とおっしゃる方には、その「ソバ席」で食していただければと思う。聞きたくもない「音」を聞かされるのは不愉快だ。
 最近はタバコの煙害に対しては厳しく、レストランに入ると一番に、「タバコを吸われますか?」と聞かれる。「吸いません」といえば、「禁煙席」に導かれる。これで吸いたくもない煙を吸わされることもないのでいいことだ。 ただ、「音」に対する害に対しては無頓着な気がする。「音」といっても、具体的には話し声のことである。特に大声、奇声のことである。最近の電車内は話し声で実にうるさい。地理にくわしくない地方に行った時には、車内放送が聞こえなくて困ることがある。携帯電話の利用については、繰り返し繰り返し「車内での御使用は御遠慮ください」と放送されているが、「車内での会話は御遠慮ください」とでも放送してほしいものである。公共の場所は自分だけが利用する場所ではない。静かであることがあたりまえのことだ。

2008年 4月16日(水) 再び訴える! 「男性専用車両」を設けよ!

 2007年5月15日の日記にも書いたことだが、再び訴える!「男性専用車両」を設けよ!
女性専用車両は痴漢対策として設けられたのだろうが、ぜひ「男性専用車両」も設けてほしい。
@化粧中の女(あえて「女」と言う)の姿を見せつけられるのは不快だ。
A食い、「ラッパ飲み」をする女(あえて「女」と言う)の姿を見せつけられるのは不快だ。
B女(あえて「女」と言う)の強い香水の臭いをかがされるのは不快だ。
C女高生(あえて「女高生」と言う)の大声で話す声や、大声で笑う声や、奇声を聞かされるのは不快だ。
本日追加
D痴漢の冤罪で苦しめられるのは嫌だ!

2008年 4月14日(月) 桜の「ライトアップ」

 桜の名所では夜も「ライトアップ」をして、観光客や参詣者を呼び込もうとしている。城や五重塔などの建物の「ライトアップ」は問題ないとは思うが、植物の「ライトアップ」には賛同しかねる。人間側の勝手気ままな興味から、植物に悪い影響を与えていないのか。植物をいじめていることにはならないのか。人間が手を加えなくても、自然は自然のままで美しい。自然は出来るだけそのままの姿を愛でたいものである。

2008年 4月12日(土) 友への書簡

 いつもお誘いいただき、大変ありがたく思っています。 私のホームページをご覧いただいたらお分かりいただけるのですが、自分でもちょっと異常ではないかと思うぐらい、毎日のようにハイキングや山歩きをしています。今は、家の中でじっとしておれない気持ちで一杯です。雨の日でない限りは、ハイキングや山歩きに出かけたいのです。何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」といわれるように、ハイキングや山歩きで、体や心を鍛えているつもりでいても、悪い結果を生むのではないかと危惧しています。危惧をしていますが、分かっていても「やめられない」「とまらない」という状態です。私の性格からくるものでしょう。一種の病気かもしれません。また明日、どこかへ出かけることを、今考えています。
 最近は残された人生がとても短く感じて、あせりのような気持ちがあります。じっとしておれない、出来るときにしたいことをしておきたいという心境です。映画や演劇など、じっと椅子に座って、みているだけというのが、とてもじれったく、いらいらして、つらいのです。今はじっと座っているのではなく、少しでも自分の意思で体を動かしたいという気持ちで満ちています。
 そんなわけで、また内容的にも私の趣味にはあわないようなので、今回は遠慮させていただきます。いつもご配慮いただき、ありがとうございます。
 現在の私の心境は以上ですので、ハイキングや山歩きのお誘いでしたらいつでも応じられると思います。その気が起これば、いつでもご一緒しましょう。
 私の経験からいうのですが、「春」は世間では気候がよく歓迎される季節とされているようですが、精神的には何かと不安定になる時期です。肉体的面はもちろんのこと、特に心の面でご留意ください。以上

2008年 4月 6日(日) 公園入口に駐車している車に腹が立ち、注意しようと思ったが・・・

 今日、天気も良いので近くの「大野せせらぎの里」まで歩いて出かけた。「大野せせらぎの里」とは、大阪市の下水処理場が環境に配慮して取り組んでいる公園施設の一つである。入口で写真を撮ろうとしたが、入口の一部をふさぐような形で、右側に車一台が駐車していた。駐車場所とも見えない狭いところであった。当然こんなところで駐車してはいけない。注意してやろうと、むかつく心で車の周囲を巡っていた。するとすぐ近くに、「見学者以外の車両は駐車ご遠慮願います」という看板が立っているのに気がついた。つまり「見学者」ならここに駐車してもいいということである。うっかり腹を立てて注意するところだった。だが、こんなところに駐車することを認めていいんだろうか。日頃から自転車や自動車の横暴、違法に腹を立てている私は思うのだ。
 堺市の旧跡「千利休屋敷跡」の前には、「写真を撮る見学者のためにここに駐車しないでください」という意味の看板があるが、私が訪れた時は、全く無視されていた。

2008年 4月 2日(水) 私はもはや「おじいさん」? 自分を客観的な目で見ることは難しい。

 一人の若者が息せき切って登ってきた。「おじいさんを見かけませんでしたか?」と聞く。二、三人の男の人に出会ったような気がするが、「おじいさんといっても、どれぐらいの年のおじいさんですか?」と聞いてみた。すると「失礼ですけど、丁度あなたと同じくらいのおじいさん」とおっしゃる。私は常日頃から、自分のことについて、まだまだ「おじいさん」といわれるほどの年ではないと思っていた。自分を客観的に見ることは難しい。若い人からはもはや私は間違いなく「おじいさん」に見えているらしい。残念なことだが。

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