▼戻 る▼

2008年11月30日(日) 携帯電話の料金をもっと高くして!

迷惑メールが大量に送られてくる。昔からあったハガキのダイレクトメールなら、送料がかかるので、効果を考えてするだろうが、送料が無料か、無料同然だから、無差別に大量に送ることが可能になったためだろう。送るに際しても手間がほとんどかからない。無料というのは利用者にとってはメリットであるが、迷惑メールを受け取る側にとっては、その名の通り、迷惑なことである。たばこ税や酒税のように、利用するたびに課税し、税金として徴収してはどうかと思う。そうすれば迷惑メールも、不必要な電話も少なくなるだろう。料金は安くするのではなく、高くする方向で、税金としてどんどん徴収してほしいものである。

2008年11月29日(土) 黄金に勝る「水」

山歩きをしていると汗をかく。汗をかくと喉が渇き、水が飲みたくなる。そんな時に見るペットボトルの中の水は、太陽の光を受けてきらきら輝き、その透明さが実に美しい。透きとおった水の輝きは黄金以上に美しい。このような物質を創造したのは誰か。そこに「神」の存在を感じる。口に含むと、何よりもうまい! ただの水なのに。水は大切なもの。生命の源である。

2008年11月28日(金) いつまでも「自由」でいたいために。

 今、私の母は特別養護老人ホームにお世話になっている。ホーム内では敬老会、誕生会、運動会と何かと行事がある。そのたびに本人は好きでも、嫌いでも参加させられていることであろう。施設での集団生活だから自由が限られてくる。好きな時に好きなことができない不自由さ。施設のお世話にならないよう、今の自由を大切にして、いつまでも元気でいたいものだ。

2008年11月27日(木) 歩行者信号にも「黄点滅」「赤点滅」の信号機を。

法規は遵守しなければならないが、いわゆる「取締法規」では、素直に従えないものもある。二、三歩で渡れる小さな横断歩道にも、信号機が設置されているところがある。この場合、車は忠実に守っているのだが、忠実に守っている歩行者は皆無といっていい。法律というものは臨機応変に解釈して、時には破ってもいい、ということも言えるかもしれないが、それは正当防衛や緊急避難といわれるような、特別に限定された場合であって、日常的に法規が無視される状況は好ましくない。遵法精神からも問題がある。そこで提案であるが、歩行者信号にも「黄点滅」「赤点滅」の信号を設置し、「いつ渡ってもいいが、注意して渡ってください」という風にしていただきたい。

2008年11月26日(水) 車の排気ガスについて。

 煙草の煙害が、昨今内外で、異常なまでに言われている。ところで、車の排気ガスはいかがなものか。比較にならないほどの有害なガスを、大量にまき散らしているのではないか。ガソリンの質もよくなって、黒い煙を吐きながら走っている車はみかけなくなったが、これがいけない。私は、排気ガスにわざと色をつけることを提案したい。そうすれば、これだけ排気ガスが空気を汚しているのだということが、目で見てはっきりと分かるようになる。車の排気ガスはもっと問題視されるようになってほしい。ちなみに、都市ガスは無臭らしいが、無臭だとガス漏れがあっても気付かないので、わざと臭いをつけているということである。

2008年11月25日(火) 車社会を見直そう。

 昔は我が家のすぐ前の路上でよく遊んだものだ。今では車が通るので危ないから、そんなところで遊んではいけませんということになる。車は狭い道でも入り込んでくる。幹線道路だけにして、あとは車いすや荷車、台車を使うことにすればどうか。戸口から戸口まで、人や物を運んでくれる車は、確かに便利なのだが、そのために「失われたもの」を考えてみよう。車の便利さを決して否定はしないけれど、歩けばすむことなら歩こう。歩けなくなった時には車のお世話になろう。

2008年11月24日(月) 好きこそものの上手。自由であることの大切さを知ろう。

 今年は日本からたくさんのノーベル賞受賞者が出た。受賞した人たちは最初から賞をとろうとしていたわけではない。ただ単に自分の好きなことを自由に好きなだけやってきた、その結果が受賞に結びついた。そう思いたい。賞はとろうと思ってもなかなかとれるものではない。
 私の場合、平均週二、三回のペースで山歩きをしてきた。時には一日おき、時には連日という時もあった。自分でも、少し異常ではないかと思う。よくそこまでできますね、とうらやましく思われる方もおられるかもしれない。そのようなことが許される環境にある今の自分の健康と、周囲の方々の理解に感謝しなければならない。
 なによりも、単に「好きだから」という理由で続けてこれたことである。そこには「自由」があったからである。強制されていたら続かなかっただろう。義務や命令で「明日、どこそこの山に登ってこい」といわれていくのは疲れる。楽しくもない。
 自分のペースで生きる。人は人、我は我。マイペースで歩く。他人のまねをする必要ない。「自由」があるからそれができる。
 山の中を歩く。ひたすら歩く。歩くことが楽しい。楽しいから、苦しかっても続ける。苦しかっても続けられる。なによりも「自由」があるからできる。自由であることが大切。この自由を許してくださっている周囲の人々に感謝しなければならない。当初は健康のためにと思ってはじめたことだが、今は何らかの成果を求めて続けているわけではない。ただ単に、山の中を歩くのが好きだから、そうしている。成果はあとからついてくる。

2008年11月23日(日) センサーライトについて苦言。

 不法侵入防止のために、近づくと点灯するセンサーライトという防犯装置がある。夜中に歩いていると、いきなり照らされてびくっとさせられることがあるが、公道を歩いているのに作動するのはいかがなものか。これがセンサーライトという機械ではなく、人間の仕業だったら、いきなり懐中電灯で照らすなんて行為は、非常識千万、非礼な行為であるということはいうまでもない。機械の仕業というのは言い逃れである。人間の意志で設置したものである。私有地に侵入してはじめて作動するよう「調整」していただきたい。

2008年11月22日(土) JRの駅ホーム内の「小鳥のさえずり」について

 JRの駅ホーム内に「小鳥のさえずり」の音が流されている。さわやかさを目指してのことだと思うが余計なことだ。静かであることの大切さ。静かであることのさわやかさを知ってほしい。携帯電話が普及して、聞きたくもない私的な会話を聞かされる。夜遅くに歩いていると、後ろから声がする、周囲には私以外にはいないようなので、話しかけられたものと思って振り返ってみると、携帯電話の話し声だったりする。とかく今はどこにいても、やかましい。静かな所を探すのが大変だ。静かな所とはどんなところ? そう、そこは山の中。だから私は山に行く。
●この「小鳥のさえずり」は視覚障害者のためだったことが、後日、知りました。自分の無知を恥じなければいけませんが、一般の人にもその意図が浸透するようPRしていただければと思います。実際、インターネットで調べてみると私のように誤解されている方がたくさんおられました。
[参考]:
旅客施設における音による移動支援方策ガイドラインの策定について

2008年11月21日(金) 歩道では歩行者が優先!

 歩道では歩行者が優先する。「自転車通行可」の標識がないところでは、自転車は車道の左側を走行しなければならない。「自転車通行可」の標識がある歩道でも、自転車が優先するのではない。自転車は歩行者の通行を妨げないように走行しなければならない。そこのけそこのけという風にベルを鳴らして走行するのは「違法」である。ベルを鳴らす必要がある歩道では、自転車から降りて、自転車を引きながら通行すべきである。この場合は歩行者と同じ扱いになる。自転車はあくまでも「車両」である。このことをよく認識してほしい。信号無視、二列走行、逆走、二人乗りなど、自転車の横暴が目に余るので書き留めておく。

2008年11月20日(木) 働いているのではなく、「働かされている」

 科学技術が驚異的に進歩したので、そんなにあくせく働かなくても、十分ゆとりある生活ができるはずなのに、なぜかその進歩の度合に比較して、労働時間は短くなっていない。なぜなのだろう。世の中がいかに進歩しようと、人間は満足することを知らない。次から次から、新しい欲望を生み出している。その新たな欲望を満たすためには働かなければならない。欲望は果てることがないから、働き続けることになる。「もう私はこのレベルの生活で十分だ。今はこれで満足している。」と個人的には思っていても、自分がこの社会のシステムの中の一員として組み込まれている以上は、「社会は進歩しなければならない」という社会の迷信に押されて、欲が深くて、いつまでたっても満足できない人間どものために、働かされ続けることになる。

2008年11月19日(水) 「抜群」という言葉。

 他人と比較して特別に優れた能力がある人をほめて言う言葉に「抜群」がある。「抜群」という言葉は、私の最も忌み嫌う言葉の一つである。優れていることを他人と比較する必要はない。「抜群」という言葉がほめ言葉として使われるのは、競争社会の悪弊だろうと思っている。山歩きをしていて出会った素晴らしい景色を表現するのに、私は決して「抜群の景色だった」とは言わない。単に「素晴らしい景色だった」と表現する。私はあらゆるところで「抜群」という言葉は使わないようにしている。これは私のこだわりである。私のホームページをそのような観点から見ていただくと「抜群」という言葉が使われていないことに気づいていただけることと思う。

2008年11月18日(火) だから商売人は信用できない。

 最近、虚偽表示など、商取引における不正が頻繁に発覚している。まだまだ氷山の一角だと思う。

 今日、郵便受けに大阪ガスから、「ガス料金改定のお知らせ」なるものが届いていた。「このたび弊社は、平成20年11月1日からのガス料金を改定することといたしました。」とある。「改定することといたしました。」とあるが、「値上げ」したのか「値下げ」したのか、これだけの表現では分からない。
 今ここに2年前の大阪ガスからのお知らせがあるのであるが、これは料金の「値下げ」のお知らせである。「大阪ガスからのお知らせ」という表題のすぐ下に続けて、「平成18年11月1日から、小口ガス料金を値下げいたしました。」とある。また、「料金改定のポイント」として「現行料金に比べて小口ガス料金を平均2.33%値下げしました。モデル世帯での値下額が年間約1,600円となります。」とも書かれてある。とても表現が具体的で分かりやすい。
 今日届いたお知らせは「値上げ」のお知らせなのだが、「改定することといたしました。」とあるだけで、「値上げ」したのか「値下げ」したのか、すぐには分からない。「値下げ」の時には、値下げをしたことを分かりやすく宣伝しておきながら、「値上げ」になると、「改定することといたしました。」と書くだけで、「値上げ」したのか「値下げ」したのか、すぐには分からない書き方をする。どれぐらいの値上げになるのかも、すぐには分からない。「現行料金に比べて平均何%の値上げになります。モデル世帯での値上げ額が年間何円となります。」と、値下げの時と同様に、値上げの時でも、分かりやすく書くのが親切というものではないのか。日頃は「お客さま」などと言っていても、商行為というものの最終目的は、利潤追求にあるのだから、真心なんて期待するほうが間違っているのだろうけれど、せめて公共性のある事業ぐらいは、もっと誠実、親切であってほしい。人間や人間社会の醜い面を見せつけられたようで、実に不快だ。

2008年11月 7日(金) 次期米大統領にオバマ氏が勝利。名前が同じの小浜市(福井県)が祝福の声で沸き返る。

 米大統領選でオバマ氏が勝利しました。小浜市(福井県)では「オバマ氏を勝手に応援する会」というものがあって、祝福の声で沸き返っているそうです。オバマ氏の出身地ハワイにちなんで結成されたフラダンスチーム「おばまガールズ」らが踊りを披露し、国内に限らず外国のマスコミも取材にきて、その模様が報道されたようです。小浜市は友好親善に寄与した外国人に贈ると条例で定められている特別名誉市民に、オバマ氏を選ぶことを検討中だそうです。本当にくだらないことです。
「オバマ氏を勝手に応援する会」という一つの私的団体のお祭りなら、どのように騒ごうが勝手ですが、名前が同じというだけで、市をあげての喜びようは恥ずかしい限りです。福井県は私の故郷(正しくは私の父母の故郷)です。福井県民の意識が疑われます。福井県民の名誉にかかわることです。町おこしのためには利用できるものなら利用してやろうという、浅ましい根性からくるのでしょうか。もし市の名前が「マケイン」だったら、マケイン氏を応援していたのでしょうか。まったく主義主張のない、なりふり構わない行動です。小浜市のお祭り騒ぎに反比例して、私は意気消沈しています。



▼戻 る▼