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2008年12月14日(日) 神戸ルミナリエ(阪神・淡路大震災メモリアル)に行ってきました。

 神戸ルミナリエ(阪神・淡路大震災メモリアル)に行ってきました。昨年に続いて二度目になります。今年も感動させられました。何が私の心を動かすのでしょう。少し考えてみたところ、そこには「静」があるからだと分かりました。「動」よりも「静」が、より深く人の心を動かすのです。音楽が流れているわけではありませんでした。電飾は点滅(点いたり消えたり)は決してしませんでした。明かりに動きはないのですが、決して見ていてあきるということはありませんでした。このような作品を「品がある」とでもいうのでしょうか。もし都会のネオンサインのように、「点滅」していたら、これほど感動はしなかったでしょう。観客が多くて、にぎやかでしたが、「騒々しかった」という印象はありません。むしろ「静かだった」といってもいいでしょう。もともと被災者の慰霊と復興の励ましとして始められたものですから、バカ騒ぎもできないことではありましょうが。日頃から、「静かであることの大切さ」を主張している私ですが、ここで再び主張します。さわやかさをねらっての小鳥のさえずり音を駅構内に流すのは止めていただきたい。「騒々しい」だけです。余計なことだと思います。[お断り] 駅構内に流れる「小鳥のさえずり声」は視覚障害者のためだったことを、この日記を記載後に知りました。自分の無知を恥じなければなりません。
[参考]:
旅客施設における音による移動支援方策ガイドラインの策定について

 会場である東遊園地には、阪神・淡路大震災メモリアルとして「慰霊と復興のモニュメント」があり、その地下室には震災で亡くなられた方々の銘板が掲示されています。その銘板の前で、まだ若い母親が涙を流していました。連れの子どもが「おかあさん! どうして泣いてるの?」とたずねていました。子どもは震災後に生まれたのは明らかです。この母親の親族で被災した人がいたのでしょうか。被災者はいなかったが、ここにきて、身につまされたのでしょうか。
 阪神・淡路大震災では、たくさんの方々が、壊れた家の下敷きになったり、地震に起因する火災などで、苦しみながら、命を失われました。それらの方々に比べたら、微々たる被害ではありますが、私及び私の父母も被災者でした。人的被害はなかったのですが、詳しいことは2002年12月の日記に記録として留めています。
 たくさんの人の命が失われた現場に立つと、気持ちが謙虚になります。JR福知山線脱線事故があった現場は、私が山歩きで時々利用する路線です。事故現場のマンションは、車窓から手を出せば触れられるほどの(実際はそんなにも近接しているわけではありませんが)近くにあり、電車が近付くにつれ、込み上げてくるものがあります。不信心な私でも、通過する時にはいつも心の中で手を合わせ、亡くなった方々のご冥福を祈っています。神戸ルミナリエは震災被害者の慰霊と震災復興の励みとして始められたようですが、あの素晴らしい電飾を前にすると、被災者はなおいっそう、込み上げてくるものが多くなることでしょう。被災者でなくても、身につまされて、きっと気持が謙虚になることと思います。

2008年12月 5日(金) 軽々に「非常識」を非難してはいけない。

 この日記で私は時々「非常識」なことを書いている。「あなたは心を病んでいるのでは?」と思われている方がおられるかもしれない。「常識」を知った上で「非常識」なことを書いているつもりでいるから、私自身は病気という意識はない。ただ、世間で「常識」と言われていることについて、そのすべてを「正しい」とは考えていない。むしろ、「常識なんてくそくらえ!」と思っている。だから、突飛もない「非常識」なことを言って、変人やへそ曲がり人間に見られたりすることがある。
 若い頃の話であるが、ワープロで年賀状を書くのは「非常識」「非礼」とされていた。今では自然なことだ。「幸町一丁目3番地 日の出マンション3棟240号」といった住所を、「幸町1―3―3―240」というふうに書いたら、当時の上司から笑われた。当時としては「非常識」な書き方だったのだが、今ではこのような書き方の年賀状をよくいただく。「銀行はつぶれない。だからどこの銀行に預けても同じことだ。」と言われていた。へそ曲がりの私は「銀行だってつぶれることがある」と主張してやまなかった。「銀行がつぶれるはずはない」というのが当時の「常識」だったから、みんなから笑われた。社会が変化すれば「常識」も変化する。軽々しく「非常識」を非難してはいけない。

2008年12月 4日(木) 「料理」の意味。

 テレビ番組を見ていると、料理番組が目立つ。飽食の時代のあらわれだろう。番組で用いられる食材は、きっと「新鮮な野菜」であり、「とりたてピチピチの魚」であろう。「新鮮な野菜」「とりたてピチピチの魚」などは、調味料を加えたり、煮たり、焼いたりしなくても、そのまま食してもおいしいものである。わざわざ手を加える必要はない。「料理」とは、たとえしなびた野菜であっても、たとえとりたてピチピチの魚でなくても、「おいしく安全に食べられるように手を加えること」というのがその本来の意味であってほしい。

2008年12月 3日(水) 自動販売機に忘れ去られた釣り銭。あなたならどうする?

 先日のことである。自動販売機で缶コーヒーを買おうと、硬貨を入れた。出てくる釣り銭は80円のはずであるが、手にとって見たところ、多すぎることが分かった。前に買った人の釣り銭が含まれていたのである。気にせず一緒に、私の財布に入れれば、いわゆる私は「ネコババ」したことになる。この忘れ去られた釣り銭の「占有権」は、自動販売機の管理者にあると思われるので、刑法上は「窃盗罪」ということになる。金額が少額なので、刑法上の罪まで問われることはないかもしれないが、黙って失敬するのも気が引ける。私は、受け取るべき正当な釣り銭80円分だけを私の財布に入れ、残りはそのまま釣り銭受けに放置したまま去った。ああ、私の行動は正しかったのだろうか。近くに自動販売機を管理している人がいれば、迷うことなく「前のお客さんが忘れて行きましたよ」といって、その人に託しただろうけれど、それらしき人を見かけなかった。次に買いにきた人は、その自動販売機に残された釣り銭を見て、どう判断し、どう行動したのだろうか。問題の解決を、あとの人におしつけ、責任逃れをしたようで、まったく気持ちがすっきりしない日であった。
 ※以下に、「お金が路上に落ちていた場合、あなたならどうしますか?」という、あるアンケート調査の結果を記しておく。あなたならどうする?
     小銭だったら拾わない・・・・・・9%
     小銭だったらネコババする・・・14%
     お札なら届け出る・・・・・・・47%
     いくらでもネコババする・・・・29%

2008年12月 2日(火) 「山歩き」と「人生訓」

 山歩きを始めておおよそ5年になります。ここで一つの区切りとして、自省の意味からも、私なりの「山歩きの心得」というものを記しておきたいと思います。
「山歩き」には、たくさんの「人生訓」が含まれています。「山歩きの心得」を一言でいえば、「謙虚であれ」ということではないでしょうか。私はこれがまた、最良の人生訓ではないかと思っています。
 内容は、網羅したわけではありません。できるだけ私の実体験から感じたことを記しました。これから山歩きを始めようと考えておられる方に、私なりの「山歩きの心得」から、「人生訓」をも汲み取っていただければ幸いです。

@時間的余裕を持ちましょう。
 早く出て、早く帰ること。そのつもりでいても、道に迷って、日暮れに下山することがよくありました。日暮れの山中は想像以上に「真っ暗」でした。日暮れの山歩きは危険です。もし懐中電灯を携帯していなければ、一歩も先に進めなかったことでしょう。山歩きには予定外に時間を費やすことがあります。特に秋や冬は夏に比べて日が暮れるのが早いことを念頭に入れておきましょう。

A戻る勇気を持ちましょう。
 道に迷って、「ちょっとおかしいな」と思ったら、早期にはっきりした道まで戻ることです。戻る時間がもったいないという気がするものですが、かなり進んでからでは大変なことになります。来た道をまっすぐ戻ればいいだけのつもりでいても、いざ振り返ってみると、景色がまるで違って見えます。一本道を真っ直ぐに歩いてきたつもりでも、意外と道が枝分かれしていたりします。どの道を通ってきたのか分からなくなるのです。道に迷ったら早期にはっきりした道まで「戻る勇気」を持ちましょう。

B時々は後ろを振り返りながら歩こう。
 自然の山道では、よく道を間違えることがあります。道を間違えたと分かれば、その時点で引き返せばいいのですが、引き返して歩いているうち、枝道にたくさん出会います。来た道がどの道だったか、分からなくなるのです。山歩きは、足下に注意することが大切ですが、道に迷って引き返す時のためにも、時々は後ろを振り返りながら、周辺の景色、雰囲気も記憶しながら歩くとよいでしょう。

C道に迷わないために。道に迷ったら。テープ、リボンに注意。
 登山道というものは、たくさんの人が通ってきた道なので、一見して「道」と分かるものです。とはいえ、分かりにくい道があるのも事実です。公の道標があればそれを参考にすれば安全ですが、私製の道標も大いに助かります。いずれにしても「道標」があれば、それを信頼して従えばいいでしょう。故意に道標にいたずらして、困らせようとした事例に、私は出くわしたことがありません。ただ朽ちていたり、指し示す方向が紛らわしいという道標はよくありますので、注意して、慎重に判断してください。多くの場合、木の枝や幹にテープやリボンがしてあって、登山道であることが示されています。逆にいえば、このようなテープやリボンが一切見当たらない場合は、迷い込んだ確率が高いでしょう。道は道でも正規の道ではないかも知れません。
※迷うことがない「一本道」では、全くテープやリボンがないこともあります。また、テープやリボンは、必ずしも登山者、ハイカーのために付けられたものばかりとは限りません。その点、注意が必要です。

D十分な装備
 懐中電灯は常に携帯するのがいいでしょう。明るいうちに帰るつもりでいても、山歩きでは道を間違えたり、道に迷ったりして、予定外に時間を費やすことがあるものです。日暮れの山道はまさしく暗黒の世界です。月が出ていても足下は真っ暗です。明かりがなければ一歩も歩けないと思っていたほうがいいでしょう。地方へ行けば、綺麗に舗装された道であっても、街灯がないところがたくさんあります。そんな道でも、路面が白ければ、月の明かりが反射して、なんとか歩けるでしょうが、初めての道か、慣れない道だったら、危険極まりないことです。

E非常食として常に最低一食分は持参しましょう。
 たとえ日帰りの低山でも、非常食として常に最低一食分は持参しましょう。

F食物よりも水が大切です。
 水がなくなって、やむなく登頂を断念したことがあります。ちょっと遠いところだったので、断念したことが未だに悔しくてなりません。 私は、腹が減っていても、水さえあれば力が出るのですが、水分不足では体が動きません。これは誰にでも当てはまることなのかどうか分かりませんが、私は「食物」よりも「水」が大切だと思っています。ペットボトルが空になれば、たとえ飲むつもりはない沢の水でも、汲み入れておくといいでしょう。非常時には食物よりも役に立ちます。

G登山靴
 近畿圏の日帰り山歩きでしたら、スニーカーで十分という山もたくさんあります。ただ、ザレ場、ガレ場、岩場などがある山道を歩くと、ニ、三回で靴にほころびができて、使い物にならなくなるかもしれません。靴底は厚いほうが、地面からの衝撃が少ないので楽です。くるぶしまでおおわれているものがいいでしょう。私は底が薄い靴をはく時は、厚手の靴下をはくか、靴下を二枚重ねてはくかしています。そのため、靴のサイズは大きめのものを買っています。

H手袋
 転倒は思いがけないところ、思いがけない時に起こります。その際、手袋をしているかしていないかで大いに結果が違ってきます。手袋をしていれば傷を負わずにすんだのにというケースは何度もありました。手袋をしていなかったために、手のほうをかばおうとして、かえってよくない結果になったりします。平地でない限り、手袋はしていたほうがよいでしょう。

I油断は大敵です。
 普通の場合、山道は登る時のほうがつらく、下る時のほうが楽なのですが、危険度が高いのは、圧倒的に下りの時です。私の場合、転倒したのは100%、下りの時だったといってもいいほどです。下りは楽ですが、油断は大敵です。最初から険しくて危険なところと分かっていれば、そのつもりで慎重に行動するので、意外と事故は起こさないのですが、かえって安全と思われる平たい道を歩いている時に、つまずいてこけたりします。これも油断したためでしょう。

J生き物に出会ったら
 クマ・・・幸いにも私は、クマに出会ったことがありません。クマに出会った時の対処法で、一般的に言われていることは、「目線をそらさず、刺激させず、ゆっくりと後ずさりしながら遠ざかること。決して走って逃げてはいけない。クマは走って逃げていくものを追いかける習性があるから。」と言われています。
 このことはイヌにも言えるのではないかと思います。道を間違えて、山のふもとの私有地に入り込んでしまったことがあるのですが、放し飼いにされている四匹のイヌが、吠えながら、私に近づいてきました。その時、クマに出会った時の心得が頭にあったので、そのように行動しました。イヌは私が後ずさりすると、私が後ずさりした分だけ近づいてくるのですが、それ以上に近づくことはありませんでした。イヌは四匹とも私に向かって吠え続けていたのですが、決して背を向けずに、後ずさりしながら、なんとか難を逃れました。そのうちの一匹は真っ黒の色で、図体もはるかに私以上のものでしたので、少し怖かったです。クマに出会わないためには、鈴やラジオを鳴らし、人間の存在をアピールしながら歩くといいと言われています。
 イノシシ・・・イノシシは六甲の風吹岩あたりに行くと出会う確率が高いです。ハイカーに餌付けされているので、餌をくれると思ってついてきたりします。今は条例で餌を与えたらいけないことになっているのではないでしょうか。こんなイノシシならそれほど危険はないでしょうが、餌を与えようとして指を食いちぎられた人がいるとかいう話も耳にしましたので注意してください。箕面の山に登った時は、イヌを連れて散歩をしていた人がいて、「今、イノシシに体当たりをされたわ」と話していた人がいました。 普通、野生のイノシシは、こちらが気づく前に敏感に感知して隠れてしまいます。ですから、写真に撮れたのは風吹岩でのイノシシだけです。イノシシに限らず、シカ、サルなどの野生の動物はみなそうでした。特別近くで驚かしたり、ちょっかいを出さない限り、気にすることはないでしょう。
 ヘビ・・・ヘビは春から夏の季節には、幾度となく出会いました。すべてが毒蛇というわけではないでしょうが、気持ちのいいものではありません。これも、相手のほうから逃げてくれるので特に心配することはないのですが、常に足下には気をつけて、踏みつけないようにしたいものです。踏みつけたり、こっちからちょっかいを出さない限り、襲ってくることはないのではないでしょうか。登山道のど真ん中で、全く動かないヘビに出会ったりすることがたまにあるのですが、ちょっかいを出すといきなり飛びかかってくるかもしれません。踏みつける可能性があるので、足下をよく見て、ゆっくりと歩くことです。
※普通、野生の動物は、こちらがちょっかいを出さない限り、襲ってこないのではないでしょうか。シカなどはよくその声を聞くのですが、いつも先にこちらの存在を知って、一目散に逃げてしまいます。見る姿といえば、いつもハート型をしたおしりの模様ばかりでした。ただ、大台ケ原のシカはハイカーに慣れているようで、写真に撮ることができました。野生の動物たちは自然の中で静かに生きています。突然人間が入り込んで、驚かせないようにしたいものです。
 スズメバチ・・・威嚇するように、私の胸から胴のあたりを中心にして回ったリ、空中停止したりして、しばらく付きまとい離れないため、少しびびったことがありました。なにより刺激させないことです。叩き殺すとよくない話を聞いていましたので、私はただ静かに、進むのみでした。しばらくは私にまとわりついて離れませんでしたが、いつのまにかいなくなっていました。自然界に断りもなく踏み込んだ人間のほうが悪いのですから、謙虚に引き下がる姿勢がいいでしょう。

K山では携帯電話は役に立たないと思いましょう。
 山には「レスキューポイント」「救急ポイント」などといって、そこに書かれた記号を言えば、その場所が分かるようになっています。遭難者の救助に役立つものですが、「山では携帯電話はつながらない。」と思って、事故を起こさないよう心がけるべきでしょう。私の経験では、多くの場合「圏外」でつながりませんでした。

L山はゴミ捨て場ではありません。
 山や川、湖といった自然は「ゴミ捨て場」と思っている輩がいます。たとえ人里離れたところであろうと、それが私有地であろうと、国有地であろうと、決してゴミ捨て場ではありません。ゴミは法律に従って指定された方法で処理しないと罰せられます。

M山にも所有者がいます。
 山にも所有者がいます。私有の山であろうと、国有の山であろうと、山で生えている草木、山で育ったマツタケ、タケノコはみな山の所有者のものです。山の所有者の許可なく採取すると窃盗罪になります。登山道を自由に歩けるのは、所有者の厚意によるものです。

N山道での大きな声でのおしゃべりは慎むことです。人間ほど騒々しい生き物はいないでしょう。ウサギやリスなどの小動物に、何度か出会ったことがありますが、彼らは自然の中で、静かに生きているのです。「静かに通り過ぎる」というのが彼らに対するマナーではないでしょうか。また、静かさを求めて山歩きをする人もいることも知るべきです。

2008年12月 1日(月) 悔いのない人生を送りたい。

  最近は「人生は短い」と感じる気持ちが増すばかりである。その気持ちが「焦り」となって私の心を襲ってくる。この焦りの気持はどこから来るのだろう。今までの人生が、あまりにも自由でなかったからだ。悔いのない人生を送りたい。だから、これまでに失った自由な時間を、今になって一挙に取り戻そうとしているのだ。残された人生は短い。失った自由な時間は、残された短い人生だけでは決して取り戻すことができないほどの長い時間だ。だから焦っている。
 今年も早いもので、最後の月がやってきた。山歩きを始めておおよそ5年になろうか。振り返ってみると、まさしく、あっという間の出来事であった。もうそろそろむきにならず、焦らず、ほどほどにしなければと、反省もしている昨今だが、自由な時間を使って、ただ自分が好きだと思うことをしているだけなので、まだまだ続くことだろう。


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