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2009年10月29日(木) やっぱり山が一番いい。

 今日は兵庫県三田の大船山に登った。危険なところは全くなく、家族で気楽に登れる山だ。コンクリートジャングルの中の道でも、歩いて汗を流せば、ストレスの解消にはなるだろうが、やっぱり山が一番いい。いわゆる「森林浴」は、特に精神に良い効果があるようだ。樹木が発散するフィトンチッドと呼ばれる物質が良い作用をしているらしい。そんな暇などない! と怒られそうだが、週に一度は「森林浴」をし、自分という人間を振り返ってみたらどうだろうか。無駄な競争に駆り立てられている自分に気がつくことだろう。人間は欲望の塊であり、醜い存在であることに気がつくことであろう。「社会は進歩しなければならない」というのは迷信ではないかという疑問も湧いてくることだろう。人間社会の進歩はめまぐるしいが、少しは思いとどまる余裕も大切だ。

2009年10月28日(水) 信仰心のない私は不幸者?

 私の「家」の宗教は浄土真宗であるが、私には宗教を信じる心がない。これは良いことなのか、悪いことなのか。信仰心がないとはいえ、年を重ねるにつれ、死後の世界を思ってみたり、輪廻転生とかの思想に共感してみたりする。これも高齢者といわれる年齢に近づいたためだろう。それでも私は、いまだに特定の宗教を信仰することができないでいる。素直な心で宗教を信仰し、安楽の境地が得られる人は幸せだと思う。信仰心のない私は不幸者なんだろうか。

2009年10月27日(火) 一度歩いた道でも、テーマを見つけて歩けばまた楽しい。

 今日は、現在でも運航されている大阪市内の渡船場、全8ヶ所を巡り歩いた。歩行距離は約18km。コースの一部は何度か歩いた道だが、「渡船場巡り」というテーマで、別の観点から見て歩くと、また新鮮だ。船上から見る川(自然)は疲れた体と心を大いに癒してくれた。ただ、渡船場から次の渡船場への道は、工場が建ち並ぶ道であったり、ダンプカーなどの大型車両が頻繁に走る道であったりして、気楽に、のんびり歩くということができなかったのが残念だった。

2009年10月26日(月) 便通がない母、内視鏡で検査したいと医者が言うが・・・

 私の母が先日、軽い肺炎と便秘のために入院し、色々薬剤で処置をしていただいているのであるが、いまだに便通がない。1〜2週間分の便が溜っているらしい。便が出ないのはガンのせいかもしれないので、内視鏡で調べたいと医者が言う。母は高齢だから、検査に耐えうるか心配だ。検査の結果、ガンが見付かっても、手術(ガンの切除など)にも耐えうるだろうか。放置していて、手遅れになっても困るので、母がこの内視鏡による検査を嫌がらない限り、していただくということにした。今の母の容体は、外観ではいたって元気なのである。

2009年10月22日(木) 健康審査結果の数値に一喜一憂することはないのだが・・・

 毎日のように山歩きなどしているから、病気知らずのように思われているかもしれないが、私は数年前から糖尿病と診断され、月に1回、近隣の病院で採血し、検査をしている。糖尿病といっても軽いほうで、「糖尿病」といわれるほどの患者ではないと、自分では勝手に解釈し、気にしないようにしている。
 また別に、いわゆる「市民検診」なるものを年1回受診しているのであるが、今年も今月に受診したところ、その結果が今日届いた。ヘモグロビンA1c(過去1〜2か月間の血糖の状態が分かる。)が5.6で(5.8を超えると「糖尿病」と診断される。)、「糖尿病」でもなく、「糖尿病の疑いがある」でもなく、「糖尿病予備軍の疑いがある」というのがその結果だ。
 最近の病院での検査では6.0であったが、市民検診の採血日と3日しか違いはないのに、検査結果の数値に差が出たことになる。5.8を超えると糖尿病と診断されるとすれば、病院の検査での「6.0」では、私は「糖尿病」ということになる。市民健診での5.6なら「私はまだ糖尿病ではない」と主張できるのであるが、この程度の数値間の差は「誤差」といってもよいものだろうか。とにかく、「糖尿病」でもなく、「糖尿病の疑いがある」でもなかったとしても、「糖尿病の予備軍の疑いがある」ことは確かであろうから、注意しなければならないと思っている。
 糖尿病の治療といえば、運動療法と食事療法が基本になるのであるが、一口に糖尿病といっても、人によって、その病気の原因が異なるだろうから、運動療法や食事療法だけでは改善がみられない場合、何が原因か個人個人、つきとめなければならない。糖尿病は生活習慣病といわれている。私の場合、毎日毎日の生活習慣を見直す必要があると反省している。規則正しい生活、一日三食、睡眠時間など、見直さなければいけないことが多々あるのが偽りのない事実である。
 また、目のほうであるが、現在、黄斑前膜(黄斑上膜)という診断を受け、一年前から、用心のため3か月ごとに検診を受けている。放置していても、失明に至るまでの病気ではなく、日常生活で支障がなければ、無理に手術することもなさそうではあるが、万が一、失明という危険もないわけでもなく、また、手術が遅れれば遅れるだけ、手術後の視力の回復が思わしくないとのことで、医者からもすすめられているので、そろそろ、手術をしていただこうかと思っている。
 糖尿病であれ、目の病気であれ、実は在職時から「精密検査が必要」と診断されていた。ただ、異常なしと診断された年もあったりしたものだから、それほど深刻にとらえていなかった。また、遠慮もあって、仕事を休んでまでして、精密検査を受けに行く勇気がなかった。退職してからは、自由な時間ができたので、何の気兼ねもなく、精密検査を受け、病院通いをしている。これらの病気と、毎日のように続けてきた山歩き、ハイキングなどとは、因果関係がないと思われるので、山歩き、ハイキングなどの運動は、これからも続けるつもりでいる。
 健康で長生き出来たら、幸せなことだが、なかなかそうはうまくいかない。もうすぐ「高齢者」や「老人」といわれる年齢に近づいてきたのだから、ある程度のことは仕方がないことではある。

2009年10月21日(水) 他人に遠慮し過ぎて生きてきた我が人生に悔いが残る。だから・・・

 もうすぐ「老人」「高齢者」といわれる年齢になって、他人に遠慮し過ぎて生きてきた我が人生を、今、激しく悔いている。もっと我がままに生きてきたらよかった。もっと、もっと我がままなことを主張し、もっともっと我がままに行動してくればよかった。もっと、もっと自分が好きと思うことを、勝手気ままにしてくればよかった。迷惑になってはいけないと、思い過ぎた。あまりにもいい子であろうとし過ぎた。
 気をつかってみたところで、こちらが気をつかっているほどには相手は気をつかっていないのだ。こちらが思っているほどに、相手にこちらの気持ちが通じているわけではないのだ。こちらが気兼ねしていても、そんな気持など理解してくれてはいなかったのだ。こちらがどんなに真剣に考え、真面目に行動していても、相手にはこちらの気持ちが通じてはいなかったのだ。いくら正義を振り回してみたところで、煙たがられるだけだったんだ。あまりにも自分を犠牲にし過ぎて、生きてきた。他人のことなど考えずに、もっと利己的に生きていたらよかった。つまらないことに気をつかい、無駄な時間を費やしてきた。
 だから、今、残された人生を、精一杯自由に気ままに、生きていきたい。変な病気にかかっているんじゃないかと疑われてもいい。どのように思われようとかまわない。私は焦っている。今までに失われた自由な時間を取り戻すために、もう時間がないのだ。悔いのない人生を全うするためには、じっとしている暇はないのだ。山の中を歩き、これまでに失った、とてつもない分量の時間を、今、取り戻そうと、必死になっているのだ。海外旅行? そんな贅沢はいわない。近隣の山歩きで十分満足している。歩いていて、喉が渇いたからといっても、甘いジュースなんかいらない。水道水で十分だ。腹が減ったからといったって、お米を炊いたご飯があれば十分だ。野菜は生で食べてもおいしいのだ。味噌や醤油や塩、胡椒っといった調味料なんていう、余計なものはいらないのだ。
 失った時間を、今取り戻すために、悔いのない人生を送りたいために、私は今、自由な意思で山歩きを楽しんでいる。これぐらいの自由、これぐらいの楽しみは許してくれてもいいじゃないか。あまりにも多くて、かつ大きな犠牲を払ってきたつもりだから。

2009年10月20日(火) 母入院(便秘と軽い肺炎のため)

 老人施設に入所している母(91歳)が便秘と軽い肺炎のため、本日病院に入院した。
母の現在の病名:便秘、肺炎、糖尿病、高血圧。
今後の予定:CT、採血、内視鏡検査。点滴:ソルデム3A、生食溶解液キットH、ビオフェルミンR散。
入院予定期間:約2週間。

2009年10月19日(月) 携帯電話を新機種に取り替える。

ドコモの携帯電話サービスmova(ムーバ)が2012年3月31日をもって終了になるため、FOMA(フォーマ)の携帯電話に取り替えた。機種 P−06A。主な付属機能:テレビ電話、モバイルカメラ、ワンセグ。 

2009年10月 9日(金) 一般の日記(見出し一覧)の標題をクリックすると直接本文が見れるようにした。

一般の日記(見出し一覧) 




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