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2010年 3月26日(金) デジカメ購入


 本日、デジカメが故障したので、修理に出した。同時に、全く同型のものを新たに購入した。
 GE(ジェネラル イメージング社) GE A1050 Digital Camera 特価 6,147円

2010年 3月22日(月) 「常識」は疑ってみよう。


 山で人に出会ったら「こんにちは」と声を掛け合うのがマナーだといわれる。誰がいつ、どこで決めたことなんだろうか。耳が不自由な方、自由に発声が出来ない方などにとっては、やっかいなマナーだと思う。大多数の人たちが、信じて疑いもしないマナーだからといっても、そんなマナーが正しいと限ったものではない。マナーや常識といわれることは、多数派の人たちにとって、都合が良いようにできている。少数者の意見が無視されている。少数者の気持ちなど頭にない。それは少数者に対する差別と言ってもいい。少数者の意見を無視する態度がある限り、差別はなくならない。
 常識やマナーは守って当然と主張する多数派の人たちは、自分らの差別性に気づくことがない。だから少数者の側から、常に自己主張をし続けなければならない。
 ゴミは当日に出しましょうといわれる。前日に出すと、野良ネコや野良イヌが漁って、ゴミを散らかしたり、また放火される原因にもなるからだろうが、仕事の都合で、どうしても当日の朝には出せず、前日のうちに出さざるをえないという人もいる。多数派の人は、そんな人もいるんだということに気づくべきであり、また少数者も、たとえ少数意見であったとしても、正当な要求・意見であると思うならば、あきらめずに、主張しつづけなければならない。少数者の意見や主張だからといっても、間違っていると限ったものではないのであるから。

2010年 3月21日(日) ハイキング道で白昼堂々SEXする若い男女!?


 今日は摩耶山で、「摩耶詣祭」「摩耶山春山開き」があるので、どんなものかと、好奇心から見物に行った。会場は摩耶山山頂(掬星台)である。もちろん、ケーブルカーやロープウェイには乗らず、自分の足で歩いて、山頂の会場まで登った。たった2時間ほどの歩程だったから、充実感、達成感が得られず、六甲記念碑台から天狗岩まで歩き、展望が良い天狗岩で写真を撮って、天狗岩南尾根を下って帰ることにした。
 この天狗岩で、白昼堂々SEXする一組の若い男女に出会った。天狗岩の山頂は畳数畳程度の広さしかなく、周囲は遮るものがないといってもよい。そんなところでSEXしていれば、ハイカーの通り道だし、見られずにすむなんて考えられない。
 彼らは私の存在を知って、あわてて離れた。あきらかに二人はあわてていた。気が動転していたといってもよい。二人は当然、ともに下半身をさらけだしていたから、あわてて身繕いをした。たとえあわてて身繕いをしたところで、何をしていたかは、誰の目にも明らかで、ごまかしようがなかった。やがて、気まずい静寂があたりを包んできたので、私は一応、常識の線にそって、少しばかり批判的に、少しばかり、あきれたといった口調で、「あんたら、こんなところで、なにしとんや」と言った。  私は、下半身をさらけだした二人の姿を、見る気もしなかったし、二人に身繕いをする時間を与えてやるつもりもあって、彼らに背を向け、あんたらの行為に私はなんの関心もないというふりをして、展望のいいこの天狗岩からの景色を写真に撮り続けた。実際、年のせいか、私はこんな場面を目の当たりにしても、特別驚きの気持ちが起らなかった。二人は、二十歳前後の若者だった。私のようなおじいさんから見たら、孫のようなものである。だから、彼らに対する怒りの感情は全く起ってこなかった。今の時代はこんなもんかなーという気持ちであった。、
 私は写真を撮りながら「ここはハイキングコースやで〜。たくさんの人が通るで〜。今日は日曜日やし・・・」と、諭すというわけでもなく、つぶやくように、二人に話しかけた。
 しばらく静かな時間が流れた。二人は私が彼らに背を向け写真を撮っている間に、身繕いをすませ、来た道を戻ったらしい。下で車のエンジンがかかる音がした。天狗岩の登り口に小さなスペースがあって、赤い車が一台、駐車していた。想像していた通り、彼の車だったのだ。
 二人は、車の中でするのにあきて、展望のいい青空のもとで、見つかるかもしれないというスリルもあって、こんなところでしたかったんだろうか。 彼らはここが、多くのハイカーが普通に通るハイキングコースだとは思っていなかったのかもしれない。山歩きの経験がないため、この先に道があるようには見えず、だれもここまでやってこないと思っていたのだろう。天狗岩南尾根を下る途中で、都合3人のハイカーとすれちがった。こんな話のわかる私のような人間に先に見付かって、二人は幸運だったかもしれない。
 道端にツバやタンをはいたり、車内で化粧をしたり、車内で食事をしたり、車内で携帯電話をしたり、車内で大きな声で会話をしたり、そんなことをする輩に比べたら、むしろ二人の行為はなんでもないことである。「岩に腰かけて美しい景色を眺めながら食事をすること」は許されるが、「岩に体をあずけて美しい景色を眺めながらSEXをすること」は許されないことなんだろうか。SEXは人前で堂々とするものではなく、隠れてするものであるというのが今の「常識」「マナー」だろうけれど、私は食事という行為を見ると常に反対の排泄行為を想像してしまうから、他人の食事風景を見るのは嫌いだし、自分が人前で食事をするのも嫌いだ。私は、食事という行為は不潔で醜い行為であると思っているから、食事は人前でするものではなく、隠れてするものである、というのが私の「常識」「マナー」になっている。

2010年 3月17日(水) 観光地化した神社仏閣に詣でる気はない。


 先日駅で「大河ドラマ龍馬伝」を紹介するパンフレットを手に入れた。そこに龍馬ゆかりの地を巡るコースとして、「京都洛中コース」が紹介されていた。今日はこのコースを歩いた。何度も歩いたことがある道でも、テーマを決めて歩いてみると、また新鮮であろう。そう思って歩いてみた。
 春休みのせいか、若者も多くて、にぎやかであった。古を偲ぶなら、観光シーズンでない静かな日に訪れるのがいい。
 私は、特別「龍馬」に関心があるわけではない。特定の人間を英雄視するのが嫌いだから、この種のテレビドラマは見るつもりはない。私が神社仏閣を訪ね歩くのは、あくまでも歴史的文化財を見学するという意味で訪れるのであって、信仰の対象として神社仏閣に「参詣する」という気持ちはない。将来は、どんな気持ちになるかはわからないが、今はただ、「歩きたい」から歩いている。

2010年 3月 5日(金) 「電車が近付いて参ります。危険ですから・・・」というアナウンスについて。


 「電車が近付いて参ります。危険ですから白線の内側までお下がりください。」というアナウンスについて。
 近付いてくる電車が、この駅で停車する電車なのか、この駅には停車せず、通過するだけの電車なのか、これだけの表現では明らかでない。この駅に停車する電車ならば「間もなく電車が到着いたします。・・・」、この駅を通過するだけの電車なら「間もなく電車が通過致します。・・・」と区別して表現すべきである。電車を待っている乗客にも心づもりというものがあるのであるから。

2010年 3月 4日(木) メニューに「ピックアップ写真集」を追加しました。


 昨日の日記で、私のホームページに掲載されている写真の枚数が52,400枚になると記しましたが、これほど多量になると、もう一度見てみたいと思う写真があっても、その写真を探し出すのが大変です。それで自分自身の希望からも、「ピックアップ写真集」というメニューを新設しました。過去の写真から順不同でピックアップし、このメニューに追加してしていくつもりですので、時々訪問してください。
「ピックアップ写真集」

2010年 3月 3日(水) 「52,400」とは何の数字かわかりますか?


 山歩きなどを始めて約5年が経過しましたが、この「52,400」という数字は、今の私のホームページに掲載している写真の総枚数のことです。(ただし、2009年12月末日分まで。※サムネイルは除きます。)
  ※サムネイルとは、多数の画像を一覧表示するために縮小された画像のことです。
[掲載枚数内訳]
(2004年) 1,100枚  (2005年) 3,100枚 (2006年) 3,900枚
(2007年) 7,600枚  (2008年)16,700枚 (2009年)20,000枚。

2010年 3月 2日(火) 「忘れる」ことは良いことだ。


 老人力というものの一つに「忘れる能力」というものがあると思う。「忘れる」ということは良いことだ。一度歩いたことがある道でも、当時のことは忘れているから、初めて歩く道のように、新鮮な気持ちで歩くことができる。これは「忘れる能力」の賜物である。物忘れがひどくなったからといって、悲しむこともないのである。

2010年 3月 1日(月) 安易に道を尋ねてはいけない。


 「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」ということわざがあるが、山歩きをしていて、道に迷ったり、道を間違えたりしても、安易に他人に道を尋ねてはいけない。尋ねるということは、自力では無事に家まで帰れなくなったということであるから、それは「遭難」したことと同様と思わなければいけない。決して道を尋ねてはいけない。他人に頼れないとなれば、おのずから、事前の準備も、現地での行動も慎重にならざるをえない。それが自己責任というものだ。



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