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2010年 8月29日(日) 「24時間テレビ 愛は地球を救う」チャリティーマラソン


 恒例の「24時間テレビ 愛は地球を救う」でチャリティーマラソンに挑戦したはるな愛さん(38歳)が本日午後8時45分、25時間40分で85キロを完走し、東京・日本武道館にゴールしたそうですね。私はテレビといえば主にニュース番組しか見ないので、ネットで知りました。
 私は本年の5月29日に、大阪→京都(約46km)を約13時間で踏破したのですが、まだまだ余力がありましたので、がんばれば、私にも可能なことではないかと、自信が湧いてきました。

2010年 8月28日(土) 商品価格の表示にだまされるな!


 小銭入れの中をのぞいてみると、一円玉が沢山あったので、少しでも減らそうと思い、一の位の値が「9」になるような買い物をしようとスーパーに入った。数点の買い物をして、一の位の値が「6」になった。一の位の値が「3」と表示されている商品を、あと一つだけ買えばよい。そこで該当の商品を探したのであるが、全く見当たらない。すぐに気がついたのであるが、この店では商品価格の一の位の値がすべて(といってもよいほど)「8」と表示されていたのである。例えば、調製豆乳78円、えのき茸78円、レタス238円、はくさい88円、きゅうり98円、キャベツ58円、というふうに。
 昔、学生の頃、産業心理学という科目があって、そこで知ったことであるが、例えば20,000円と表示するのではなく、19,800円と表示すると、たった200円の価格差なのに、19,800円のほうがはるかに安く感じてしまうということである。この店の価格設定の方針はこの原理に基づいていることは明らかである。
 いっそ、最少単位を10円にすればよいと思う。実際、電車賃やバス代、自動販売機の飲料水の代金など、あらゆるところで、そうなっている。消費者は姑息な手段にだまされてはいけない。日頃は、「お客様は神様です」といっていても、消費者はこの程度でだませるとさげすまされているようなもので、実に不愉快だ。

2010年 8月13日(金) なぜ一番でなければダメなのか。二番でもいいではないか。


 特に研究開発の分野では、特許権との関係で一番でなければ意味がないとされる。そのため、各国は国家の威信をかけて、一番になろうと開発にしのぎを削っている。他国に追い抜かれてはならないのである。
 とはいえ、現代社会は競争原理に煽られ過ぎてはいませんか。個々の人間関係においても、企業間においても、国家間においても。個人は企業に自分を売り込もうと、ハウツーもので、小手先の知識や技術で就職戦線を乗り切ろうとしている。企業はより優秀な人材を確保して、企業間の競争に打ち勝とうと躍起になっている。競争原理に煽られ、個人も、企業も、国家も、競争に打ち勝つことばかりが念頭にある。人間のあさましい性を見せつけられて、実に不快だ。
 世界が一つの国家であれば、国家間の「競争」はないことになる。国家間のあの忌まわしい「戦争」も起りえないことになる。 競争ではなく「協力」により、より良い社会をつくることに努めなければならないと思う。

2010年 8月12日(木) 感謝を期待しての親切は、真の親切とはいえない。


 感謝の言葉を期待して親切を行うものではない。真の親切は「可哀そう」など、自然に湧き出てくる素朴な感情から行うものであり、その行動に対して感謝の言葉を期待してはいけない。感謝の言葉がないからといって不満を抱いたら、その行った親切は、利己的なものであり、真の親切ではなかったことになる。

2010年 8月11日(水) 安易に他人の親切を受け入れてはならない。


 安易に他人の親切を受け入れてはならない。利害関係の有無にかかわらず、全くの善意で助けてくれる場合もありうることだが、いつまでも恩に着せられては気が滅入る。辛くても、可能な限り、自分のことは自分で解決するように努めよう。

2010年 8月10日(火) 「血は水よりも濃い」といわれるが・・・


 「血は水よりも濃い」ということわざがある。その意味は「何かあったときは、他人よりも血のつながった親、兄弟姉妹のほうが頼りになる。」ということである。はたしてそうであろうか。残念なことだが、必ずしもそうとは言い切れない場合があるということを、事前によく認識しておかなければならない。日頃から、辛い時でも、自分のことは可能な限り自分で解決するように努め、親、兄弟姉妹だからといって、安易に彼らに頼ってはいけない。彼らに助けてもらおうとは思わないことだ。とても寂しいことではあるが、所詮、人間は一人で生まれてきて、一人で死んでいくものなのである。

2010年 8月 9日(月) 京の七夕、LEDの「いのり星」に心和らぐ。


 家の中にいると、気分がふさぐ。歩きたくなる。だから、炎天下でも外に出る。曇り空なら、かえって都合がいい。少しは涼しいだろうから。
 明智越を歩くことにした。明智越は過去に何度か歩いたことがある。明智光秀が本能寺攻めに使った道といわれている。ほとんどが樹林帯の中を歩くので、暑さを感じない。終始、誰にも出会わなかったのもいい。清々しい気分だ。
 私が出かける目的は、歩くことにあるが、そろそろ歩きつくして、二度三度、同じ道を歩くことが多くなった。同じ道を歩いて、その日は終わりというのではつまらない。そこで、山歩き+花火見物や、山歩き+お祭見物などといったケースが多くなった。とはいっても、歩くことを主たる目的にして出かけているということに変わりはない。
 今日は、明智越を歩いたあと、「京の七夕」で堀川を歩いた。堀川を流れるLEDの「いのり星」に、心和らいだ。決して派手な光ではない。光の色は青白く、むしろ陰気な光に見えるけれども、流れに逆らうということもなく、物静かに流れていく様は、争いを嫌い、平和を願う心を持った、健気な生き物のようでもある。「竹と光のアート」や「光の天の川」よりも、控えめで幻想的な光を放ちながら、堀川を流れるLEDの「いのり星」が、何よりも私の心に残った。



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