▼戻 る▼

2012年 5月 9日(水) 便秘にまつわる苦い思い出

 便通は一日に一回あるのが正常と言われていますが、私は幼いころから便秘症でした。便秘にまつわる苦い思い出がありますので、そのお話をさせていただきます。小学校高学年の児童であったころのお話ですが、担任の先生がクラスでみんなを前にして、こんな意味の質問をされました。
「便通が毎日ある人!」
 クラスのほとんどが「はい!」とか、「はい!、はい!」とか言って手をあげました。
 次に先生は、
「二日に一回の人!」と質問した時、手をあげたのはほんの数人でした。
 続いて先生が、
「三日に一回の人!」と質問した時、手をあげたのは、私一人だけになっていました。
 ここまでは、まだよかったのですが、このあと先生がみんなの前で、
「三日もウンコをしないやつのオナラはとてもクサイ!」とかなんとか解説するように話されました。みんなはどっと笑い転げていました。このとき、私も気楽な気持ちで、みんなと一緒になって笑い転げていればよかったのでしょうが、そうできる性格の子供ではありませんでした。
「便通が毎日ある人!」という質問の時に、ウソでもいいから手をあげておけば、嫌な思いをしなくてすんだのですが、そんなウソをつくという知恵もなかったのです。こんな人間のことを「馬鹿正直もの」とか「クソ真面目」とかいうのでしょうね。そんな性格はいまだに変わっていません。
 いま覚えている具体的な内容はこれだけなのですが、私はいまだに忘れることができません。トラウマになっています。当時は大きなショックを受けたのでしよう。こうして何十年もの前の出来事を、忘れずに記憶しているのですから。
 私はこのように幼いころから便秘症だったのですが、精神的な面というか、性格的なものが原因していたのでしょう。
 因みに、よく言われていることですが、「野菜をたくさん食べれば便通が良くなる」ということを、最近になって実感しました。便秘がちの方は野菜をたくさん食べてください。「野菜をたくさん食べれば便通が良くなる」ことは真実だと思います。

2012年 5月 8日(火) 今日は「のざきまいり」の最終日。出かけてみたが・・・。

 天候が不良でも、山歩きがしたくて仕方がない。それで、近場で安全な河内飯盛山に登ることにした。野崎観音(慈眼寺)が登山口だ。丁度、最終日とはいえ「のざきまいり」のお祭も見物できる。そう思って出かけたのだが、最終日のためか、平日のためか、「のざきまいり」のお祭は人出が少なく、にぎやかな雰囲気を味わうことは出来なかった。
 とはいえ、私はお祭り騒ぎは好きではないので、落胆したわけでもない。あくまでも山歩きのついでに、ということであったから。
 河内飯盛山は幾度も登っている。飽きないように違ったコースで歩いたりもした。今日も、出来るだけ未踏のコースを選んで歩いてみようと試みたのだが、迷走してしまった。迷走したといっても、「遭難」というほどのことではない。ただ、今日は5時に歯医者の予約をしてある。約束を破るわけにはいかない。急用ができたのでと一本電話を入れればすむことなのだろうが、クソ真面目な私には嘘がつけない。嘘も方便なんていうことわざもあるが、私には嘘がつけない。(ここで「私は嘘がつけない」と何度も言っているが、一度も嘘をついたことがないというわけではない。「平気で嘘をつくということができない」ということである。いちいち、こんな断りごとを言うのも「クソ真面目」「馬鹿正直」と言われる由縁かもしれないが)。それで、帰りは一部、タクシーを利用した。山歩きでタクシーを利用するのは三度目だ。一度目は、二時間に一本しか出ていないバスに乗り遅れたためである。出発が遅れると下山中に日が暮れて危険なため、やむなくそうした。二度目は、今日と同じ理由だ。今日の記録は不十分なものであるが、失態も何かの参考になるのではと思いアップすることにした。

2012年 5月 1日(火) 「常識」を押しつけるのは少数者に対する虐待である。

 「常識」や「マナー」が正しいとは限らない。多くの人が正しいと思っているだけの見方、考え方であるにすぎない。少数意見、少数者、弱者を無視した所で成り立っている。「常識」とか「マナー」とか言われることのなかに潜んでいる差別性に気付かなければなりません。
 山で人に出会ったら「こんにちは」と、あいさつを交わすのがマナーとされている。私がもし、耳が不自由で、他人の声が聞こえないとしましょう。また私は、自由に言語を発することが出来ないとしましょう。私は山歩きが唯一の趣味だとしましょう。それも「単独行」の山歩きを。私は、あいさつをしろと言われても、あいさつをすることができません。きっとマナーを知らない「非常識者」と見られることでしょう。そんな私は、気楽で自由な山歩きを楽しむことができません。
「常識」や「マナー」は、たんに多数者の意見に支配された結論であり、少数者のことなど、全く考えることもなく導かれた結論なのです。こんな意見を、突飛で、奇妙で、全く理解出来ないというあなた! あなたは「常識」や「マナー」と言われていることの、その中に潜んでいる「差別性」に気がついていないのです。世間で言われる「常識」や「マナー」なんて、少数意見を全く無視した、多数者の横暴にすぎず、そこに正義や、思いやりなど、微塵も見られず、矛盾だらけなのです。