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2013年 7月 8日(月) 一週間ぶりの外出(山歩き)は辛かった。猛暑のため?

 今日は荒地山を目指して歩き出したのだが、体が重たく、足がすぐに疲れてきた。とても荒地山まで登れるはずがない。途中で挫折して帰るのでは様にならないので、当初からの予定通りということにして、風吹岩を往復することにした。それでも辛かった。猛暑のためだったのか、歩くのが一週間ぶりだったからか。猛暑のためというよりも、久しぶりの山歩きだったからだと思っている。その証拠に、帰りの車中でも、家に帰ってからも、しきりに「こむら返り」が起こって、痛い目にあっている。やっぱり「継続は力なり」だ。

2013年 7月 7日(日) 「家庭内教育」が大事。

 最近、学校でのいじめが問題視されている。学校側の責任が追及されたりしているが、親の責任を学校の教師に押し付けてはいないか。子供の教育について、その道徳的面においては特に「家庭内教育」が大切だと思う。社会に出れば一定の決まり、マナーに従わなければならない、ということを「家庭内教育」として、親は子供に教えるべきである。
 この「家庭内教育」というものが、最近は出来ていないのではないかと思う。なぜかと考えてみたら、一つの理由として、教える実践的場がなくなったからではないか。今ではマイカーを所有している家庭が当たり前になっている。子供を連れての旅行もマイカー。マイカーの車内は自宅の部屋の延長だから、マイカー内では、大声で会話をしたり、食事をしたり、化粧をしたり、ゴミを散らかしたりしても、親も大目に見ている。注意する必要もないことかもしれない。家庭内で注意されないまま社会に出ると、車内放送が聞こえないほどの大声で話していても、車内で食事や化粧をしていても、平気である。他人から注意されても、迷惑行為であるということに気がつかない。
 電車やバスには「優先座席」というものがある。お年寄りとか、足の不自由な方とか、妊婦の方などが、気楽に座れるようにと設けられた席である。この「優先座席」というものの存在を、学校で教えているのだろうか。そもそもこんなことまで、学校の先生は教えなければならないものなのか。学校の先生が教えないとすれば、誰が教える。子供の親である。ところが、親が教えるとしても、前に述べたような理由で、実践的場がなくなった。
「車内では食事をしないようにしましょう」「車内では静かにしましょう」とかは、本来、どこの誰が注意すべきことなんだろうか。本来は「家庭内教育」として、親が責任を果たすべきことであると思う。車内での迷惑行為について、鉄道会社の団体がキャンペーンをしたりしているが、こんなことは鉄道会社の責任ではない。親は自分の子供の「家庭内教育」に責任を負うべきである。学校や、学校の教師や、世間にその責任を押し付けてはいけない。

2013年 7月 1日(月) 美しい日本語 第一位は「ありがとう」

 ある調査によると、美しい日本語のベストテンは次の通りである。

「ありがとう」「さようなら」「はい」「すみません」「おはようございます」「さわやか」「いらっしゃいませ」「おやすみなさい」「どうぞ」「いいえ」

 ほとんどは「あいさつ言葉」と言ってよい。この結果から、人間関係を良好に保つためにも「あいさつ言葉」が大切であることがわかる。この中でも、「ありがとう」が第一位である。
 若い母親が、何かものをいただいた子供に、「ありがとうは!」と声をかけて、「ありがとう!」と言うように促している場面をよく見かける。私の父や母は、私が子供のころ、この「ありがとう!」という言葉を教えてくれなかった。
 私の父は公務員で、こびへつらうことを潔しとしない性格だったから、人前で「ぺこぺこ頭を下げる」ということはなかった。子供は親を見て育つ。他人にぺこぺこ頭を下げたり、こびひつらうことを潔しとしない性格は、今の私に引き継がれている。私は子供のころから愛想のない子供であったし、大人になってからも、他人にお世辞の言葉をかけたり、他人のご機嫌取りをしたりすることができない人間であった。 私は今、小さいころに「ありがとう」という言葉を教えてくれなかった親を恨んでいる。
 今でも「ありがとう」という言葉は、容易には言えない。ところが、「すみません」という言葉は言えるのである。「すみません」が言えても「ありがとう」が言えないのはどういうことかと、私なりに考えてみた。
 実際に口を動かして発音してみれば、あきらかに分かるとことだと思うが、「すみません」と発音するほうが「ありがとう」と発音するよりも口や舌の動きが、少ないことが分かる。「ありがとう」と言うには特別に意識して口を動かす必要があるのである。要するに、「ありがとう」と発音する方が発音しにくいということである。それなら、なおさらのこと、幼いころから容易に発音できるよう、言いなれていることが大切だったのだ。
 確かに私も「ありがとう」という言葉が、日本語で一番美しい言葉だと思う。だからといって、軽々に「ありがとう」の言葉を連発されたら、口先だけの「ありがとう」だろうと解釈して、不快な気分にさせられるだろう。多くを語る必要はない。「ありがとう」という一言だけでもいいのである。「ありがとう」は日本語で一番美しい言葉なのであるから。