▼戻 る▼

2013年 9月28日(土) 深刻に何事も考えたら身が持ちません!

 私は以前から、つい考え込んでしまって、生きている目的がわからなくなったり、生きる意欲を失ったりと、いわゆるマイナス思考に陥ることが度々ありました。  よく言われるように、気持ちが落ち込んでいる時には、最も自分が好きなことに没頭することですね。私は、山を歩くのが好きで、落ち込んだときには、とりあえず山に行きます。グイグイと足に力を入れて急峻な道を登るのです。とても辛いのですが、その辛さが快感というか、心をいやしてくれるのです。
 私は今、毎日のように山歩きを楽しんでいます。何も知らない人から見れば、うらやましく思われるかも知れませんが、実は私は今「苦しんでいる」のです。苦しみから逃れるために山に行くのです。苦しいことがあればあるほど山に行くのです。山に行く頻度が多いときは、私は大いに苦しんでいる時だということになります。肉体的には健康だと判断されるかもしれませんが、今の私は、精神的には病気の状態にあるというのが実情なのです。
 山を歩いてみたところで、一時的にはストレスの解消にはなってはいても、悩みの本質的解決にはなっていないのです。悪く言えば「逃避」しているだけです。それでも私は、一時的にしろ、苦しみから逃れる手段、方法を手にしているのですから、幸せです。苦しみから逃れる手段、方法を「趣味」と言ってもいいでしょう。もしこの「趣味」がなければ、私は今、どうなっていたでしょうね。
 最近になって、以前勤めていた職場の元部長さんがなくなったという情報を知りました。私と比べて、それほど年齢差がない方だったので、ショックでした。いつまでも若いと思っていた自分自身も、もういつ死んでもおかしくない年齢に達していることに気づかされ、さびしい思いがしました。寿命というものは、遅かれ早かれ、すべての人にやってくるのですから、深く考えてもどうしょうもないことです。
 今日は今日一日のことのみ考えて、明日のことは明日になってから悩み考えなさい、ということわざのようなものがありましたね。明日のことを考え悩んで、今日一日をうっとおしい気持ちで過ごすのはもったいないことです。
 まあ、何事も、こうすれば一番いいと確信を持って言えるものなどないのですから、最後に頼れるのは「自分」だけです。自分なりのストレス解消法を見つけて、「自分を大切に」生きてください。

2013年 9月25日(水) クマが出た〜!

 今日は太神山(たなかみやま)を往復しました。一帯は「湖南アルプス」と呼ばれているようですが、少しはアルプス気分が味わえる山ということでそう呼ばれるようになったようです。その太神山に登り、下山途中で「クマに出会いました」といえば嘘になりますが、「犬」に出会いました。真っ黒い犬です。細い一本道でのことでしたから、避けて通ることも出来ず、犬のほうから去ってくれることを願いながら、しばらく立ち止まっていました。犬は走り回った後の様に、息を弾ませ、疲れたのか、その場を動こうとしません。動いてくれないと私はいつまでも家に帰れないのです。10分ほど経過したでしょうか。登山道の脇の草むらから、茶色い犬が現れました。大きさは黒い犬と同じようでした。黒い犬はこの茶色い犬が戻ってくるのを待っていたのでしょうか。まるで仲の良い恋人どうしでもあるかのように、横並びして歩き出しました。私はようやく、先に進むことが出来るようになり、ほっとしました。私はマイペースで歩きましたが、犬の歩く速度が速く、すぐに姿が見えなくなりました。この二匹の犬の正体は? 首輪がついていたようにも見えたのですが、なにせ遠くからでしたので、判然とはしません。おとなしい飼い犬だったのかも知れませんが、ちょっと恐怖を感じた日でありました。

2013年 9月23日(月) 22日の「名案とは」の「解答」です。

 行きの運賃の支払いに不足が生じているわけですから、その不足している運賃の額を帰りの運賃で補って支払うということにしたのです。要するに、帰りは行きとは逆に、過払いになるように切符を購入したのです。途中下車(運賃の払い過ぎ)したということです。
 あなたはこの話を信じますか。

2013年 9月22日(日) 乗り越し精算機

 切符は、目的の駅までの切符を、乗車する駅で購入すべきですが、最近は乗り越し精算機というものがあって、とりあえず乗車してから目的地を決めたりすることが容易になりました。もちろん、乗車時に目的の駅までの切符を購入するのが正しい切符の購入の仕方であり、乗り越し精算機をこのように利用するのは「不正乗車」になるかもしれません。
 当初の予定ははっきりしていたので、予定通りの切符を買ったのですが、車中で気が変わり、予定の駅より先の駅で降りることになりました。一時的にしろ、無賃乗車の区間が生じることになるのですが、降車駅で精算すればいいことだと、安易に考えていました。ところが、駅に着いてから驚いたのです。あると思っていた乗り越し精算機がなかったのです。無人駅であることは、前々から知っていたのですが、乗り越し精算機までもない駅とは想像もしていなかったのです。
 驚いたというのは、そのこともあるのですが、それ以上に驚いたのが、もしここでいきなり駅員が現れて、声をかけられたらということでありました。たとえ「乗り越し精算機で精算するつもりでした」と言ってみたところで、いわゆる「無賃乗車」「キセル乗車」の類の嫌疑をかけられるのは明らかでしょうから。
 幸いにして、駅で降りたのは私一人だけで、周囲には誰もいませんでした。駅を出るには自動改札機を通ることになるのですが、自動改札機を通らなくても、すぐ隣りにも出入り口があって、自由に出入りが出来るような状態でした。それで自動改札機を通らずに、駅の外に出ることが出来ました。
 黙っていれば駅員にわかることでもないので、罪に問われることはないかもしれませんが、気持ちがすっきりしませんでした。そこで「帰途に駅員のいる駅で事情を話して差額の料金を支払う」ということにしました。
 一度はそう決めたのですが、駅員にこんな話しを持ちかけると、駅員も忙しい中、かえって迷惑がられるのではないかとか、駅員に馬鹿正直な奴と蔑まされないだろうかとか、色々な思いが浮んできました。黙っていればいいことかもしれませんが、私には、そうすることが苦しかったのです。どうすべきか考えて、名案が浮んできました。私の名案とはなんでしょう。しばらく考えてから、私の「解答」を読んでください。「解答」は明日の日記に記載します。

2013年 9月 8日(日) 「自然」に感謝!

 各地で異常気象による災害が発生していますね。異常気象の原因は、自然を破壊し続けてきた「人間」にあるのではないでしょうか。 山中を歩いていると、シカやイノシシやサルなどを見かけます。彼らは、自然を破壊するというほどのこともせず、自然をそのまま利用することで、生きています。人間も、静かに自然と接して、自然からの恵みを、自然のままに受け入れるだけで、充分に生きていけるのではないでしょうか。 私は今、山歩きを楽しんでいます。自然と静かに接して、自然を自然のままに受け入れて、肉体と精神の健康のために、大いに「自然」を利用させていただいております。