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2014年 5月28日(水) 今日は19回目の父の命日である。

 今日はどこの山に行こうかと迷っていたが、今日は父の19回目の命日であることに気付き、迷うことなく「京都一周トレイル東山コース」を歩くことに決めた。父の遺骨は、遠い郷里の墓に納められているのだが、京都の西大谷本廟に分骨されているので、都合がいいのである。
 信仰心のない私だが、父に感謝し、母やキョウダイらが、いつまでも仲良く元気で幸せに生きていけることを願って、香をたき手を合わせたのである。

2014年 5月16日(金) 心訓(日常の五心)

 今日、摩耶山に登り、東山尾根を経て下山したのであるが、下山して住宅街に入ってすぐの所に中尾大神宮神社という名の神社があった。その神社の境内には、次のように書かれた立て札が立っていた。

心訓(日常の五心)
1.「すみません」という反省の心
1.「はい」という素直な心
1.「おかげさま」という謙虚な心
1.「私がします」という奉仕の心
1.「ありがとう」という感謝の心

 ここで「五心」とあるのだが、五心のうちで、どれか一つでもいいから実践出来たら、残りの四つの心も同時に実践出来たことになるのではないかと思う。一つでもいいからとはいえ、「実践」となると、容易なようで容易ではないだろう。特に日頃から「反省の心」「素直な心」「謙虚な心」「奉仕の心」「感謝の心」がないものにとっては。

2014年 5月11日(日) 働きたくても働く場(仕事)がない!

 大阪城公園を散策していると、石垣がある休憩所のベンチに、一人で寂しそうに座っているおじさんがいた。ホームレスのようだ。ベンチは丁度、西の丸庭園を見下ろす位置にあった。おじさんは西の丸庭園を見下ろしながら、近付く私に話しかけてきた。「ここはええ場所やで」
 この西の丸庭園では近日、モトクロスの大会があるそうである。大会を見るには入場料がいるが、ここから見るなら無料やと話してくれた。大会の当日は、おじさんもここにきて見るらしい。大会準備中の西の丸庭園を眺めながら、しばらくおじさんの話し相手をしていた。おじさんは九州から出てきたといっていた。働かなければいけないのだが仕事がなくって困っている様子だった。別れる時に「それではお元気で」と声をかけて立ち去ろうとしたが「明日は死んでるかもわからんわ!」という返事が返ってきた。このおじさんは元気そうだった。元気でも、働く気があっても、収入に結び付く「仕事」が見付からないのである。賃金が安くても、収入が得られる「仕事」がほしいと話していた。世の中はまだまだ不況なのである。賃金が安くても、「仕事」があると言うことだけでも幸せなことなんだろう。このおじさんにとっては。

2014年 5月 2日(金) 熟考するより、まず実行。

 外に出ない日が三日も続くと気分がすぐれない。マイナス思考に陥る。このようなことは何度も経験していることなので、意識して外に出るようにしている。とりあえず、外に出る。外に出れば、気分がすっきりする。行き先を決めずに外に出る。駅の改札口で料金表の看板を見ながら、今日はどこに行こうかと考える。健康管理は自己責任。精神的面においても肉体的面においても。責任を他人に押し付けてはいけない。各人、自分に合ったストレスの解消法を身につけておきたいものである。

2014年 5月 1日(木) いつまでも治らないのはどうして?

 山歩きをしていてバランスをくずし、転倒を避けるため、近くの岩に手をついたところ、小指の背をこすってしまった。皮がむけたが大騒ぎするほどのことではなかった。痛みは当日のうちにとれた。皮膚が完全に元通りになるのも、間もないことだと思っていた。ところが、あれから3年が経過するというのに、未だに完全には治らないのである。傷と言っても、わずかに赤くはれあがったままで少し違和感があるだけで、日常の生活には全く何の支障もないのではあるが。
 年をとってからの怪我は治り難いものであるということを身を持って知った。些細な怪我もしないことだ。自信過剰になってはいけない。今回は小さな怪我だったからいいが、大きな怪我だったらたいへんなことになるかも知れないのだから。怪我をしてもすぐ元通りに治るだろうと安易に捉えていたが、そうではないということを知って、行動は慎重でありたいと、いま反省している。