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2014年 6月19日(木) 注意されても腹を立てずに従ったおばあさんの態度は、賞賛に値するものだった。

 電車内でのこと、孫(と思われる)を連れたおばあさんが、席に座っていた。孫は菓子袋からお菓子を出しては、口に入れていた。向いの席に座っていたおばさんが、こんなところでお菓子を食べてはいけないとその子をさとした。おばあさんは気付いたようで、おばあさん自身が、注意されたことに腹を立てることもなく、おばさんの注意に従い、孫に注意していた。注意するほうも勇気がいるが、注意されたほうも腹を立てることもなく、その注意に忠実に従った態度は賞賛に値するものだと思う。

2014年 6月18日(水) 目の前で携帯電話を使われては、小心者の私でも、注意せざるをえないのである。

 電車が駅に到着すると、若い娘が携帯電話をしながら乗ってきた。私の対面の席に座り、電話を切る素振りはなかった。相手の声はイヤホンで聞いていたが、娘の話し声はもろに耳に入る。私は耐えきれなくて、娘を何度もにらみつけた。こちらの言いたいことが分からないのか、態度に変化がない。そこで、軽いジェスチャーと言葉をかけて、電話の使用をやめるよう促した。ようやくこちらの意図が通じたようだったが、電話を切ることはなかった。娘のほうから話すということが心持ち少なくなって、相手の話を聞くほうに回っているようだったが、いつまでも通話を止めると言うことはなかった。次の駅が近付いてきたら席を離れた。降車するためか、私から離れた席に移るためかは知らないが。
 車内での携帯電話の使用は「マナー違反」で、「犯罪」というほどのことではない。だから、真面目な人間だけが、忠実に守っている。マナー違反ではなく法令違反とすべきであろう。車内での大きな会話なども。

2014年 6月17日(火) 「子はかすがい」と言いますが、キョウダイの関係では親がかすがいだったのですね。

 今、仲良しでも、安心してはいけません。悲しいことを言うようですが、親の意識がなくなってきたら、親の財産を巡って、いわゆる「相続争い」が起ります。きっと起ります。財産の多少にかかわらずです。財産は一円だって残してはいけません。けんかのもとです。
 「子はかすがい」ということわざがあります。たとえ夫婦仲が悪くても、子供の存在が夫婦の良好な関係を保ってくれるという意味です。「かすがい」とは、材木と材木とをつなぎとめるために打ち込む大きな釘のことです。
 ところで親子は一親等です。強い結びつきがあります。キョウダイは二親等です。キョウダイのことよりも、我が子の方が大事と言うのはうなずけます。それでも、親が元気でいた時に比べると、親の意識がなくなってきてからは、今まで良好だったキョウダイの仲が、悪くなってきたようです。子は夫婦のかすがいでしょうが、キョウダイの関係では親がかすがいだったのですね。

2014年 6月16日(月) 生活保護を受けている人が増えているようですが・・・

 年金収入があっても、生活保護費に満たない場合は、その差額が生活保護費として支給されるそうですね。そうだとすれば、年金収入と生活保護費としての収入の二種類の収入があるということになります。この場合、生活保護を受けていながら、高価な贅沢品を買ったとき、どう判断されるのでしょうかね。買った方では「生活保護費はいただいているが、高価な贅沢品は自分の年金収入で買ったんだから、文句を言われる筋合いはない」といった反論が出そうですね。保護を受けている立場にありながら、こんな屁理屈が通用するんですかね。生活保護費が減額支給されてしかるべきだと思いますがね。
 支給された生活保護費で、パチンコなどのギャンブルにうつつを抜かしている人もいるようですね。生活保護費を現金で支給するからこのようなことになるのですから、現物支給にすべきだと思います。たとえばクーポン券などで支給するのです。クーポン券では利用目的が限定されますからね。でも、このクーポン券を買い取ってくれる業者が現れたりして、効果が期待できないかもしれませんがね。

2014年 6月15日(日) 本当に困っている時に助けてくれた人。素直に感謝の言葉が言えた。

 日頃から性格もあわず、うとましく思っていた人が、窮地にあった時、助けてくれた。心から、素直に「ありがとうございました」という言葉が出た。その人は、私を助けたことをなんとも思っていなかったかも知れないが、私は彼から罵声を浴びせられながらも、本当に命を救われたという思いで一杯だった。 とにかく、私はその人に対して感謝の気持ちを伝えたかった。
 世間には私のように口下手で、容易にお礼の言葉を述べられない人がいるだろうけれど、その時の私は、素直に言えた。本当に困っている時に助けてくれた人。未だに、感謝の気持ちが湧いて出る。もし、あの時、彼の助けがなかったら、どうなっていただろうかと思うとぞっとする。遠い遠い昔の出来事でした。

2014年 6月14日(土) 家計簿をつけましょう。

 私は糖尿病です。一日に摂取する適正なカロリー数は1600キロカロリーです。油断するとすぐオーバーしてしまいます。そこでオーバーしないために、食品を摂取する都度、その食品のカロリー数を記帳し、オーバーしないように努めています。最近では、食品の包装紙にカロリー数が書かれたラベルが貼られていますので、カロリー数の管理は容易です。
 糖尿病の人は食べ物を漫然と摂取していてはいけないのと同じように、火の車の家計では、家計簿をつけて管理しましょう。電気代、ガス代、水道代、食料品代など、それらの費用を家計簿に記帳し、数字で把握していくのです。一年間続ければ、全体の見通しが付くようになります。家計のやりくりで困っている時など、どこを節約したらよいかという見当もついてきます。
毎年赤字だといっても、赤字の原因や金額を明確にすることが必要です。無計画ではいけません。一年間の収支の計画表、大まかでもいいから数年先の収支の計画表など、見通しを立てる必要があります。

2014年 6月13日(金) 「もったいない」精神で生きています。

 「子孫のために美田を買わず」ということわざがあります。子や孫のために財産を残しても、かえって良くないという意味です。それでも生来の「もったいない」精神は変えようがありません。
 白い下着のシャツは、洗濯を怠るとすぐ黄色くなります。黄色くなるといっても、襟の所だけです。生地はしっかりしています。洗濯さえすれば清潔なものです。だから黄色くなっても捨てずに着ています。「もったいない」ですからね。
 ところが最近、ふと思ったのです。急病で病院に搬送され、服を脱がされ、下着のシャツがさらけだされた時のことを。本人である私も恥ずかしく思うでしょうが、駆けつけてくれた家族のほうが、もっと恥ずかしい思いをするのではないかと。
 そこで二、三日考えていたのですが、「下着は白い色でなければならない」という固定観念にとらわれていた自分に気が付いたのです。黒なら目立たない。以来、下着の色は「黒」と決めた。こんな話をあなたは信じますか。

2014年 6月12日(木) 山歩きに危険はつきもの、自己責任で行動しましょう。

 山歩きをしていて、通行禁止の看板に出くわすことがある。土砂崩れなどで危険だからというのがほとんどの理由だが、この「通行禁止」というのが、自動車に対するものなのか、歩行者も含めてのものなのか、判然としない場合がある。歩行者は通行可能であることが多いのだが、その場合「歩行者は通行可」とか「歩行者は注意して通行してください」とか書かれていると助かる。
 通行禁止の看板があっても、通行不能かと言うと、そうでもない場合がある。道を管理している側からは、少しでも通行に危険があれば、事故を未然に防止するためにも、「通行禁止」にしたいだろう。危険と知りながら、通行禁止の措置もせず、そのために事故が起ったということになれば、「管理責任」が問われる。だからだろうか、やたらに「通行禁止」にしている所があったりする。また、安全に通行できるようになったのに、いつまでも「通行禁止」の看板が残されていたりもする。忠実に従っていると、ついには「通行禁止」の道を通らなければ帰れないという状況に陥ることもある。
 いずれにせよ、山歩きに危険はつきものであるから、すべては「自己責任」であり、事故にあっても、他人に責任を転嫁しないと言う覚悟で歩きたいものである。

2014年 6月11日(水) 健康管理は自己責任で。

 健康管理は自己責任。自分の不健康を他人のせいにしてはいけません。自分なりのストレス解消法を身に付け、実践しましょう。私のストレス解消法は「山歩き」。心身共に、健康管理は自己責任で。

2014年 6月10日(火) キリシタン自然歩道が恐ろしいことになっていた!!!

 今日、大阪府茨木市の「キリシタン自然歩道」を歩いた。阪急バス「泉原」停留所前にその入口があったのだが、期待に胸を躍らせ入ってみると、ほんの数分後に、我が目を疑う光景が目に入ってきた。その光景というのは、今日の写真集を見ていただければ如実にお分かりいただけるだろうから、ここでの描写はしない。
 帰宅してからネットで調べたら、新名神高速道路の工事現場だったのだ。インターチェンジも出来るらしい。何に驚いたかと言うと、「自然歩道」というものが失われ、むごたらしい自然破壊の光景が広がっていたからである。道路工事と、その道路が完成したあとの「経済効果」というものは、計り知れないものがあるというのだろうが、私にはとても許すことができない「自然破壊」と言わざるをえない。とても残念だ。こうまでも、人間は己だけの都合で行動して言いいものなんだろうか。強い憤りを感じたのである。今の人間には自然を敬い、自然からの恵みに素直に感謝する心が欠けているのではないか。今の人間社会は、人間の科学や技術力を過信し、突っ走っているように見える。きっと、近い将来、その反動で、良からぬことが起るだろう。いや、近い将来ではなく、異常な気象現象など、すでに今、良からぬことが現実に起っているのである。

2014年 6月 9日(月) 貧すれば鈍する( ひんすればどんする)

 貧すれば鈍する( ひんすればどんする)ということわざがある。経済的に貧しくなると、心まで貧しくなるという意味である。経済的に貧しいからといって、心まで貧しくなってはいけない。
 世の中のものは、カネがあったら、ほとんどのものが手に入れられると言われる。しかし、「ほとんどのものが」ということであって、カネがあっても手に入れられないものがあるのである。ここで「カネがあっても手に入れられないもの」こそ、経済的に困窮している貧乏人でも、心がけ次第で、手に入れられるものだということである。
 カネがない貧乏人でも手に入れられるものとは何だと言えば、それは「愛」である。愛は身近なものとして、親子間の愛、兄弟間の愛がある。大きくは人類愛というものもあろうが、まずは身近な「親子間の愛」や「兄弟間の愛」を大切にしたいものである。「親子間の愛」や「兄弟間の愛」については、「カネがないから手に入れられない」という言い訳は通用しない。カネがなくても手に入れることが出来るものであるから。私は貧乏だからといって、あきらめてはいけないのである。

2014年 6月 8日(日) 私は黄斑上膜(黄斑前膜)です。

 私は黄斑上膜(黄斑前膜とも言います)です。3か月ごとに検査をし、途中、手術をすすめられましたが、手術となると一週間の入院生活と、その間はじっと下を向いた生活になるということで、ためらっていました。そのうち急性期が過ぎ、検査をすることもなくなりました。黄斑上膜は、そもそもあわてて手術をしなくてもいいようです。症状としてはまっすぐのものが、曲がって見えたりするのですが、たんに視力が衰えてきたなと感じる程度のもので、日常生活に支障があるというものではありません。手術は日常生活に支障があるようになってからでも遅くはないそうです。ただ、手術は早くした方が、術後の視力の回復度合いが良いそうですがね。
 何事も、出来るだけ「自然」であることを好む私ですので、人為的な「手術」は好みません。けれども、この黄斑上膜という病気は、目薬のように、外から治すということができず、治療と言えば手術以外にないそうです。ただ、自然に治癒することも、まれにはあるそうです。
 そこで数パーセントであっても、自然治癒に期待してきました。また、外から治せないなら、内から治してやろうと頑張ってきました。その手段が、山歩きなどのウォーキングだったといえます。内部から血の巡りをよくし、内部から目に刺激を与えることによって、「自然治癒」を願ってきたのです。
 その効果かどうかは分かりませんが、真っ白な空を仰ぎ見た時、糸くずのようなものが見えていたのですが(いわゆる「飛蚊症」)いつのまにか見えなくなっていました。
 黄斑上膜のほうは、治ったということは言えませんが、特別にひどくなってきたということもありません。視力はわずかずつでも、年齢を重ねるにつれ、衰えているということは実感しています。たんに老化現象だととらえています。最近も「白内障の兆候がありますね」と言われもしました。これもまた「老化現象」の一つの現れなんでしょうね。進行を遅くすることが出来ても、進行を止めると言うことまでは出来ないでしょうね。年齢相応のものであれば、それも「自然」というものですから、仕方がありません。

2014年 6月 4日(水) 車内ではお静かに。

「痴漢は犯罪です!」というけれど、車内での大声の会話は犯罪ではないのですかね。暴行、傷害罪になりますとでも言ってほしいものですね。車内での飲食も、マナー違反と言うだけで、犯罪とまでは言えないらしいですね。「マナー」は違反しても罰則がないんですね。強制力がないから、だから、いつもまじめな人間だけが愚直に守っているだけなのですね。「そんなことぐらいで文句をいうな」とおっしゃりたいあなたに、お願い申し上げます。車内放送が聞こえなくて困るのですよ。

2014年 6月 3日(火) 一度上った生活水準を下げるのは極めて困難なことである。

 一度上った生活水準を下げるのは極めて困難なことである。
 私が小学生だった頃のことを今、思い出している。家に風呂はなかったから、家族はみな銭湯に行った。我が家では週に一回だった。私は父のお伴をして行った。夏はかまどで湯を沸かし、大きなたらいで「行水(ぎょうずい)」をした。「行水とは何ぞや」と言われそうだが。
 食生活といえば、主食はご飯で、「おかわり」は1回だけだった。3碗だと大食いと言われた。副食は一種類で、魚の切り身が多かった様に思う。あとは塩コンブやらっきょう、たくあんの漬物などの香辛料だけだった。
 母は裁縫が得意だったためもあり、ズボンはツギをあてたものをはいていた。容易に新しいズボンを買ってはくれなかった。服は大きくなっても着れるようにと、最初から大きめのものを買って、大きくなって着れなくなったら、弟にまわし、弟が着れなくなったら、さらに下の弟にと「お下がり」を着るのが普通だった。その頃の写真帳を見てみると、ぴったりと体にあった服を着ている写真を見つけるのが困難である。編物も得意だった母は、着れなくなったセーターも、ほどいて編みなおしていた。
 おもちゃは兄弟で仲良く使った。自転車は一家に一台あればいいほうで、我が家では、小学生のころはまだなかった。中学生になってから、他家の子供の自転車を借りながら、共に遊んでいるうち、自然と乗る技術を身に付けた。
 泊りがけの旅行は、毎年あったが、旅行と言っても、親の里帰りに同行するというものだった。家族そろっての泊りがけの旅行は、この親の里帰りの時だけだったように思う。日帰りの旅行も、町会の親睦会に同伴するぐらいで、あまり記憶にない。
 正月には鏡餅を飾るが、鏡開きのころはカビが生えていた。今ではカビが生えてしまったもちなど、すぐ捨ててしまうのかも知れないが、包丁でカビをこすり落とし、カビ臭いままでも煮たり焼いたりして食べた。決して、カビが生えたからと言って捨てることはなかった。
 米櫃のコメには黒い小さな虫が、無数にうごめいていた。米粒を白い紙のうえにばらまき、その黒いゴマのように見える虫を、一匹一匹、つまんでは取り出していた。
 落し紙は古新聞を切れなくなった剃刀で適当な大きさに切って使った。当時は新聞紙は何かと便利だった。便所は汲み取り式だったから、落し紙に新聞紙も使えたのである。今では、便所も水洗化されて、つまるといけないので使えない。
 石鹸は固形せっけんで、顔もからだも頭髪も洗った。手洗い用、洗顔用、洗髪用、ボディ用と色々あるようであるが、私は今でも固形せっけん一つで間に合っている。
 今から、昔の生活に戻れと言われたら、僧が修業に入る前のような一大決意と一大決心が必要だろう。

2014年 6月 2日(月) 自然の恵みに感謝!

 山の中を歩いていると、「自然」というものに驚異を感じます。「自然」からの恵みに感謝しなければいけないと思います。自然は偉大な力を秘めています。自然からのエネルギーを大切に利用させていただくことですね。
 原子力は、放射性物質を容易に無害化できる技術が開発されるまで、実用化すべきではなかったのではないかと思います。早期に実用化に走ったのは、「人間社会は常に進歩しなければならない」という迷信から来たのでしょうか。人間の果てしなき欲望や競争心の現れなんでしょうかね。私はただ、山の中、森の中、湖の畔など、そんな「自然」にのんびりと接しているだけで、満足していますよ。汗をかいた後の水分補給には、色々と加工されたビールや、ジュースよりも、素朴なお茶をこよなく愛していますよ。

2014年 6月 1日(日) 健気に花を咲かせています。

 父や母が世話をしていた植木鉢の花が、水をやっているだけなのに、毎年健気に花を咲かせてくれます。咲いている花を見ると、自然の驚異を感じるとともに、自分も頑張って生きていかなければと、元気づけられます。