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2014年 9月25日(木) 強情な私でも、弱者には優しいのですよ。

 駅構内の階段で、地面に矢印のマークが張られているのをよく見かける。人の流れを規制するためである。私は忠実に従っている。このマークに全く無頓着で歩いてくる人に出くわすが、私の方から道を譲ると言うことはない。意地でも道を譲ると言うことはしない。私のほうが正しいのだから。
 先日も逆行してくる人にぶつかったのだが、私は決して道を譲ることはしなかった。ところが良く見ると足が不自由そうなおばあさんだった。おばあさんだとは言え、許されてはいけないのだろうけれど、つい道を譲ってしまいましたよ。

2014年 9月24日(水) 人間関係を良好に保つコツを一つ、お教えしよう。

 社会があっての自分ではなく、自分があっての社会なのである。人は誰よりも「自分」というものに最も関心があるのである。このことを知っていれば答えは容易である。
「人間関係を良好に保つコツ」は相手のことに関心を向けると言うことである。たとえば、久しぶりに会った友人が「こんな白髪頭になってしまったわ」と嘆きの言葉を発した時、あなたはどう答えますか。「実はわしも最近急激に白髪が増えてきたわ」と、すぐ自分のことを話してしまいがちだろう。この時、自分のことを話すのではなく、相手のことに関心を向けるのである。「白髪頭になっても、体調はいいのかい。過去に大病を患ったことはないのかい。ご家族の方はみんな、お元気なのかい」と言う風に、話題を相手のことに向けるのである。人は誰よりも「自分」というものに最も関心があるのである。自分のことに関心を向けてほしいものであるから。

2014年 9月23日(火) 相手の欠点は良く見えても、自分の欠点には気がつかないものである。

 たとえば、10年ぶりに知人に会ったとしよう。その知人は白髪になっていた。口には出さずとも、「年をとったなあ」と言う目でこの知人を眺めることだろう。この時、自分も同じようにこの知人から「年をとったなあ」と見られていることに気がつかなければならない。
 相手の欠点は良く見えても、自分の欠点には気がつかないものである。自分だけの立場で物事を見るのではなく、冷静に、客観的に物事を見る習慣というものを、身につけておかなければならないと思う。

2014年 9月22日(月) 堤防の壁画に添えられていた言葉。 

 今日、寝屋川の堤防を歩いていて、堤防の壁画に添えられていた言葉が心に残ったので、ここに記しておきたい。

「人は年をとるから老いるのではない。夢を失う時、老いるのだ」

2014年 9月19日(金) あいさつが出来ない子供だったけれど・・・ 

 道を歩いていると、「ここはあいさつ通りです。お互いにあいさつをかわしましょう」とかいう張り紙をよく見かける。学校の周辺で多く見かけるので、児童、子供に向けられたものだろうが、もし大人にも向けられたものだとしたら不愉快だ。
 私はあいさつができない子供だったけれど、子供の時も、大人になってからも、誰よりも真面目に、正直に、生きてきましたよ。これはあくまでも自己評価ですがね。「誰よりも真面目に、正直に生きてきた」というのは、これまでのことであり、これから先も、誰よりも真面目に、正直に生きていけるかどうかはわかりませんがね。