▼戻 る▼

2016年 8月14日(日) オリンピックがたけなわですが、勝ち負けを争う競技・スポーツには全く興味がわきません。

 オリンピックがたけなわですが、勝ち負けを争う競技・スポーツには全く興味がわきません。どうして国ごとに分かれて、勝ち負けを争う必要があるのでしょう。国の枠を取っ払うべきではないかと思うのですがね〜。

2016年 8月13日(土) 盂蘭盆会

 お盆の季節がやってきましたね。日本人の生活習慣の中で最大のものは、お正月とお盆だと言われているそうです。案内状が届いていましたので、お盆の法要として、盂蘭盆会に行ってきました。普段着で、念珠のみ持参すればよいということでしたので、気軽にお参りしました。内容は「お勤め:約30分、ご法話:約30分×2」。このような行事に参加したのは初めてのことでした。日頃は無関心ではありましたが、なにかと感心するお話が聞けて、反省させられました。

2016年 8月12日(金) 人生の無常を感じた一日になりました。

 昔のことが懐かしく思い出されて、職場の先輩だったお宅を、ウォーキングを兼ねて訪ねてみました。先輩といっても、特別親しかったというわけではありません。直接お会いしたいという気持ちもありません。ただ、どんな所にお住まいになっているのだろうかとか、そのたたずまいを、そっと拝見させていただきたかったのです。だから、あらかじめお伺いするという電話を入れてのことではありません。
一時は捨てようと思っていた職員録の住所を頼りに、なんとか枝番号までぴったりのお宅にたどり着きました。立派なたたずまいでした。ところが、掲げてある表札の名前が異なっていました。あれから約40年の歳月が過ぎています。私の先輩の方でしたから、私と同様に「高齢者」と言われる年齢に達しておられます。高齢のためお子さんのお世話になっておられるのか、老人施設に入所されているのか、それとも不幸なことにも他界されているかもしれません。私はこうして、今は高齢者といわれる年齢に達していても、幸いにして、長距離のウォーキングが楽しめるほどに元気です。でも、人生は長いようで短いですね。年を取るということは、とても悲しいことですね。人生の無常を感じ、悲しい気分にさせられた一日でした。

2016年 8月 3日(水) 本日、母の一周忌法要を執り行いました。

 はやいもので1年の歳月が過ぎ、本日、1周忌の法要を済ませたところです。母がいなくなって、寂しい思いをする一方、ほっとした気分もあります。母の年老いた顔を思い浮かべたとき、やっぱり生存中に親孝行といえることをもっとしておけばよかったと、後悔しています。「後悔先に立たず」ですが。
 宗教には特別の関心はありません。代々、家の宗教として引き継がれてきた慣習に従って、近日中に母の郷里の墓地に納骨に行く予定です。

2016年 8月 1日(月) テレビ画面の片隅に出現するコメンテーターの顔が「うざい!」

 テレビでニュースなどを見ていると、画面の片隅に、四角い画面が現れて、コメンテーター(有名人)の顔の表情を映し出す番組がありますね。有名人を出現させることにより、視聴率をあげようとしているのでしょうが、本体の画面に集中できず「うざい!」です。 コメンテーターの顔を見たくない人には見えないようにする機能が付けられないものでしょうかねえ。