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2020年 6月 8日(月) 平和を維持するためには「会話」が必要。

 国家間において、何らかの対立関係が生じた場合、国家間で「十分話し合う」ことが、解決の糸口になる。問題を平和に解決するためには、この「話し合う」ということが何よりも重要なことで、話し合いが途切れたり、決裂した場合に、武力で解決しようとする「戦争」ということになる。戦争を回避するためには、常に「話し合う」という姿勢が大切である。ある政治家が暴漢に襲われた時、「話せば分かる!」といった言葉は有名である。そう、「話せば分かる」「話せば分かりあえる」のである。
逆の言い方をすれば、話さないでいると、相手に真意が伝わらず、誤解されて伝わったりするため、問題がさらに複雑にこじれてしまって、ますます解決が困難な状況に陥るということにもなる。この「話し合う」ということは、家族間、親族間でも問題解決の良い手段になる。
 問題がこじれてきたときや、議論に負けそうになってきたとき、勝ち誇ったように「沈黙」に入る人がいる。「沈黙」は「私は議論に負けました」ということを宣言したようなものである。一方、「沈黙は金、雄弁は銀」ということわざもある。ことわざというものは、自分の成長のために役に立つと思うものは、自分に都合がよいように、うまく解釈して利用すればいい。

2020年 6月 7日(日) 子供の病気に親族はどこまで責任を負えばいいのか。

 近くにある公園でのできごとですが、夜になると決まって一人でやってきて、大声を立てている男の人がいます。大声の内容をよく聞いてみても、よくわかりません。社会一般に対する、何らかの不満があってのことなんでしょう。働いている人だとしたら、仕事上の人間関係に苦しんでいるのかもしれません。一般人から見れば、明らかに精神に異常をきたしている人と見えます。広い公園でもなく、周辺は普通の住宅街なのですから、迷惑なことであることには間違いがありません。後で知ったことですが、その人は近くに住んでいて、親と同居しているそうです。親がいるなら、親が責任をもって、他人に迷惑になる行動があれば、制止すべきでしょう。「親がいるのに親は何をしているんだ」という批判を受けるのは当然のことではありましょう。ただ私の実体験からして、そう判断するのは軽率であり、単純に批判できないところがあるということです。親に責任があるといっても、親の忠告を素直に受け入れない病気もあるのです。親が世話をするにも出来ない事情があるならば、「入院」させればいいのですが、最近では「事件」と言われるほどのことを起さないと、容易に入院させてもらえないのです。いわゆる「事件」といわれるようなことを起さない限り、即入院ということにはならないのです。最近では特に家族の事情よりも、本人の「人権の保護」という観点からも、慎重にあつかわれるのです。家族の責任を問われても、家族としてすべきことにも限界があります。「自由にさせておくと、他人に迷惑な行動をする。家族がいるなら、家族が監視し、面倒を見るべき」ということが言えるのですが、家族だからと言っても、出来ることには限界があるのです。その限界をこえても、本人の行動には親などの近親者が責任を負うべきだとなると、「共倒れ」ということになります。家族が面倒を見るべきだとしても、たとえ家族であっても、出来ないことがあるということを知ってほしいです。

2020年 6月 6日(土) 統合失調症と介護について

 統合失調症で長期入院していた人が、病状も落ち着き、入院の必要がないというので、退院した(退院させられた?)人がいます。退院しても、この病気の性質上、病気が完全に治ったと言えるものではなく、ただ病院側としては、「通院で十分」ということのようです。精神障害者の長期入院状況に対する国際的批判(日本では、通院でいいのに、長期入院している人が多い)もあってのことと思われます。退院後は、介護施設にお世話になることになりましたが、「介護」といっても、その人は、身体的な介護はほとんど必要がありません。自由に外出し、買物をしています。足腰は元気なので、色々なものを買ってきます。一つで良いものを、二つ、三つと買ってきます。これも統合失調症のためでしょうか。狭い部屋が、正しく「ごみ屋敷」になっています。本人には、「ごみ屋敷」になっているという認識はありません。それが問題なのです。ヘルパーさんも掃除をしようにも、掃除のしようがない状態に、色々なものであふれています。ヘルパーさんは、掃除と言っても、個人的状況に対応して、臨機応変にしてもらえるわけではありません。決まったパターンで、決まった範囲で、決まった内容のことしか、してもらえません。時間が余ったからと言っても、一定のパターンから外れたことまでは、「介護保険」ではしてもらえないようですね。だから、一定のパターンから外れた作業は、全額自己負担でお願いするか、親族がしなければならないのではないかと思います。保険制度があるからと言っても、安心できない所があることに注意しなければなりませんね。

2020年 6月 5日(金) 話せば分かる。

 「話せば分かる。」とは第29代内閣総理大臣であった犬養毅が、自らを暗殺しようとする軍将校に向かって言った言葉として有名である。私は「困難な問題でも、良く話し合えば、解決への道が開けるものだ」という風に理解している。議論に負けそうになると、いわゆる「だんまり戦術」を使う人もいるだろうが、「だんまり戦術」は問題を積極的に解決しようという姿勢ではなく、それによって相手を困らせてやろうという「へっぴり腰」の姿勢であるから、相手に弱みを見せているのに等しい。自ら問題を解決しようという積極的姿勢ではなく、「へっぴり腰」で相手を説得させることなどできない。自分の弱みをさらけ出し、「議論に負けました」と宣言しているようなものである。

2020年 6月 4日(木) 電池の特性を理解しておくと、経費の節減に役立ちますよ。

 デジタル血圧計の電源として、単3形アルカリ乾電池を使用していますが、使用済みの電池はすぐに捨てずに、しばらく保存しておくと、再び使用することが出来るようになりますよ。これは電池の特性だそうです。保存期間はよくわかりませんが、試みに一カ月ほど経過してから、再使用を試みてください。

2020年 6月 3日(水) 「とおきみちのりの山歩きと名所旧跡探訪の記録・写真集」の閉鎖を考慮中です。

 長年続けてきた標題の「記録・写真集」の閉鎖を考えています。たとえ閉鎖をすることになっても、山歩きや名所旧跡の探訪そのものは、私の最大、最良の健康法だと思っていますので、これからも続けるつもりです。

2020年 6月 2日(火)「へっぴり腰」の大声では、相手を脅すことはできない。

 「へっぴり腰」とは、漢字では「屁っ放り腰」と表記する。つまり、おならをする時のような姿勢のことである。自信のない態度やびくびくした態度のことをいう。だから「へっぴり腰」で大声を出しても、心の中を見透かされているので、相手をおどすことにはならない。むしろ「沈黙」でいることのほうが、一段と効果が大であるということを知るべきであろう。

2020年 6月 1日(月) 「人生」とは・・・

 「人生」とは、一体何なんでしょうね。楽しいこともあったけど、苦しいことも、同じくらいにあったような気がする。過ぎてみれば短いもの、それが「人生」なんですね。「決して後悔はしていない」といえば「嘘」になる。もう一度、繰り返すことが出来るなら、きっと違った道を歩むだろうけど、今更こういってみたところで、どうしょうもないのが人生。いや、今生きている人生は初めての人生ではない。二度目、三度目の人生かもしれない。

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