私の母に関する記録・写真集です。(8枚)
私の母は華道と和裁の教師をしていました。手芸も得意でした。 交通安全週間には小学校のPTAのお母さん方を相手に御殿毬作りの講師を勤めたこともあります。毬は、交通安全を願って近くの国道を走る運転手さんに プレゼントするために作られたのでした。

 
 
 
 

  「池坊 総華監 正教授」の免許状

 私の母は「池坊 総華監 正教授」の免許状を持っている。これがどれほどの位のものなのかは「華道資格検定禮録」という資料を見れば分かる。この資料もまた、今回整理しているうちに出てきたものだ。「昭和34年3月15日改正実施」とあり、「華道家元池坊総務所・池坊学園本部・池坊華道会本部」が発行したもので、薄い一枚ものの紙である。折り畳んでいた折り目が切れかかっている。ここに下記のような順序でその資格が記されている。
 入門(入門)、初等科(初伝)、中等科(中伝)、高等科(皆伝)、師範科(華掌)、助教授三級(准華匡)、助教授二級(准華監)、助教授一級(准華綱)、准教授三級(華匡)、准教授二級(華監)、准教授一級(華綱)、正教授三級(総華匡)、正教授二級(総華監)、正教授一級(総華綱)、准華督、華督、副総華督、総華督と続いていて、さらにこの上に二つ階級があるように思われる。今はゆっくりと調べる気がないので、よく分からない。 幅が10数センチの「華道免許席札」というものもあって、これは展示品の前に、その作者の肩書きと名前を書いて、置いておくものらしい。母のその札には「華道総華監、正教授二級、三種生二級教授 □□ 照月」と書いてある。
 若い頃は文化服装学院や家政専門学校で教えていた。歳を取ってからは、区民ホールで催される「華道教室」の講師として招かれたこともある。
「和裁教授」の肩書きが付いた名刺も見つかった。幼い頃、母が狭い家の中で、嫁入り前の娘さんに和裁やお花を教えていた頃がよみがえってくる。母は「袴(はかま)」も縫うこともできるし、着付けもできる。最近は着物を着る機会がほとんどないから、「着付け教室」というものが流行っているが、その存在を不思議がっていた。「不思議がっていた」と過去形で書いたが、母はまだ健在だ。

  華道教室の記事

 昭和52年9月から53年3月まで、区民ホールで華道教室の講師をしていた。その時の「大阪市政だより NO.349 昭和52年7月」に掲載されたものである。

区民ホールで茶・華道教室


 炭は湯の沸くように置き、花はその花のように活け、夏は涼しく、冬は暖かに・・・。
 コミュニティ協会が初心者向けのお茶とお花の教室を企画しました。
 この機会に新しいお友達を増やし温かい人間関係を深めつつ、とかく忘れがちな”心”をゆっくり見つめなおしてみませんか。

<華道>
・期間・・・52年9月〜53年3月、月3回(第1,2,3の水曜日)、18回で終了。
・組分けと講師
  A組 午前10時〜正午 池坊 □□□□(←私の母の雅号)先生
  B組 午後2時〜4時  遠州流 □□□□□先生>
  C組 午後5時30分〜7時30分 未生流(庵家) □□□□□先生
・定員・・・各組25名
・会費・・・月1500円(別に花材代月額1500円)
・申し込みと問合せ
  西淀川区民ホール茶華道教室係


■母のメモ(主として和裁・華道の教師としての履歴が書いてある。)
昭和12年・・・・・・・上阪
昭和32年・・・・・・・西淀川区野里中村綜合センターにて10年間
昭和33年・・・・・・・千船病院にて10年間
昭和35年7月 4日・・「現代生花」指導教授の免許取得(三種生三級教授)
             学校法人池坊学園短期大学・華道文化研究所
昭和36年・・・・・・・青年会 寺にて3年間奉仕
昭和37年・・・・・・・西淀川佃五丁目大阪ゴムにて
昭和37年7月 4日・・「現代生花」指導教授の免許取得(三種生二級教授)
            「現代立華」指導教授の免許取得(二級助教授)
             学校法人池坊学園短期大学・華道文化研究所
昭和37年7月・・・・・「総華監正教授職二級」免許取得
             華道家元 池坊 専永
昭和40年・・・・・・・野田文化服装学園
昭和43年1月 1日・・学校法人野田文化服装学院和裁科教師に採用される。
             勤務時間及び日数
              毎週 昼間部 3日 月・水・金(10:00〜16:00)
                 夜間部 6日 月〜土(18:00〜21:00)
昭和43年3月24日・・「和裁科三級」教員免許取得
             大阪府学校法人洋裁学校協会
             和裁科教員検定委員会
昭和47年・・・・・・・河野プラスチックにて 和裁
            佃小学校にて 和裁・手芸
昭和48年・・・・・・・秋の交通安全デーに「御殿まりづくり」の講師
昭和52年9月・・・・・区民ホールで華道教室の講師 53年3月まで
昭和52年9月・・・・・区民ホール 花・手芸 56年3月まで
昭和55年・・・・・・・佃会館にて
昭和56年・・・・・・・交通安全
■母の名刺 大阪府学校法人和裁科教員 池坊流 総華監 □□□□□(照月)

  「交通安全デーに御殿まりづくり」の記事

 講師をつとめた母の名前が出ている新聞記事の切抜きである。母が55歳の時のもので、朝日新聞か毎日新聞の市内版、昭和48年9月中旬頃の記事と思われる。

運転手におくる御殿まりづくり 安全へ母親の願いこめて -佃小のPTA-

 赤、白、黄、緑の色あざやかな糸で花模様を仕上げた小さな”御殿まり”。それにぶらさげた「交通安全」と書いた札-。西淀川区佃一丁目、佃小学校PTAのお母さんたちがいま、学校近くの国道2号を通る自動車の運転手さんにプレゼントして交通安全を訴えようと、運転席に飾るきれいな御殿まりのマスコットをせっせとつくっている。
 同校では、校下を通る国道2号や第二阪神国道を越えて通学しなければならない子どもが多く、子どもを事故から守るのが最大の課題。PTAに交通安全委員会を置き、横断歩道橋設置運動をしたり、五年前からは秋の交通安全運動期間に国道の車へ児童の書いた「運転手さんへ」の手紙を渡して安全運転を訴えてきた。おかげで登下校中の事故はこの五年間、ゼロ。今年は児童の手紙といっしょに御殿まりのマスコットを贈ることにした。
 手芸の得意な同区佃□丁目、□□□□□さん(五五)が先生になって九月上旬、お母さんたちに二回の講習をした。ボロ布をまるめて直径三〜五センチの玉をつくり白糸をきつくぐるぐる巻きにして固いまりをつくる。その上に色とりどりの糸で花模様を仕上げる。初心者だと一個に一日もかかったが、七十人のお母さんが参加して約二百個つくる。二十一日も同校に集まっ・・・」