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2003年5月16日(金) 大野川緑陰道路

 朝、書留郵便物が届いているので本局まで取りに行った。本局は自宅から徒歩20〜30分の、国道2号線沿いにある。国道2号線は、車がひっきりなしに通り、騒音が途絶えることがない。帰り道、この国道2号線からすぐ左に折れると、区民の憩いの場として親しまれている「大野川緑陰道路」に出くわす。ここに入れば車の騒音は聞こえてこない。
 この「大野川緑陰道路」は、約3.8Kmで、幅員は19〜47mある。端から端まで、途切れることもない並木が、多いところでは4列になって続いている。中央の部分は自転車専用道路で青い色、両端が歩行者専用道路で茶色というように、はっきりと色分けされているから、茶色の歩行者専用道路を歩いている限り、車や自転車のことを気にしなくていい。途中、ちょっと外れたところには公園もあって、4、50代の女性6人がキャッチボールをしていた。どこかのソフトボールの同好会にでも入っていて、試合のための練習でもしていたのだろう。大野川緑陰道路はこの地域の広域避難場所ともなっている。
 この道路はもとは川だった。西淀川区の中心部を横断していて、古くから舟運、利水、治水などで欠かせない存在だったが、地下水のくみ上げ等で地盤が沈下し、河川としての機能も低下、汚濁による悪臭も激しくなって、昭和45年度〜昭和47年度にかけて埋め立てられた。その跡地利用としてできたものだ。
 退職してから、自転車を買って遠乗りでもしようかと思っていたが、自転車や車だと、ついつい見逃したり、通り過ぎるだけになってしまう。ゆっくりと歩くのがいい。その都度立ち止まって、間近に自然に接することが出来る。高木約1万本、低木約12万本の100種類にも及ぶ樹木があって、葉が生い茂っている。木々の匂いが新鮮だ。ゆっくり歩いていると、清々しい気分になる。わざわざ遠いところへ行かなくても、近いところにも心休まる場所があるのだ。私の横を、四十代から六十代のおじさん、おばさんたちがランニング姿で、早足に駆けていく。手ぶらの人もいれば、リュックを背負っている人もいる。大野川緑陰道路は、健康づくりの場としても親しまれている。
 少し歩いては立ち止まり、木の幹に付けられた名札に書かれた木の名前をメモする。メモを取っていると、鳩が二十数羽と、雀もちらほら、餌をくれるのではと思って、私の足下まで集まってきた。
 下に、その時に取ったメモを記しておく。右側はあとで私が調べて書いたものだ。
■あきにれ(ニレ科)・・・秋楡。落葉高木。葉は楕円形。
■かんつばき・・・寒椿。ツバキの園芸品種の一。低木で枝と葉に毛がある。11〜1月頃開花。
■くすのき(クスノキ科)・・・楠。常緑高木。葉は卵形。全体に芳香があり、樟脳を採る。材は器具材とする。
■けやき(ニレ科)・・・欅。落葉大高木。防風林や庭木として栽植する。材は堅く、木目が美しいので、建材・家具材などに用いる。
■しらかし(ブナ科)・・・白樫。常緑高木。
■そめいよしの・・・染井吉野。サクラの一種。幕末の頃、江戸染井の植木屋から売り出されたのでこの名がある。
■とうかえで(カエデ科)・・・唐楓。落葉小高木。中国原産。
■なんきんはぜ(トウダイグサ科)・・・南京櫨。落葉高木。中国原産。種子から蝋、葉から染料をとり、材は家具・器具とする。漢方では利尿剤に用いる。
■にしきぎ(ニシキギ科)・・・錦木。落葉低木。
■はりえんじゅ(マメ科)・・・針槐。落葉高木。
■ひいらぎ(モクセイ科)・・・柊。常緑小高木。枝葉は節分行事に用いる。
■まてばしい(ブナ科)・・・まてば椎。常緑高木。街路樹や防風林とする。材は器具・建築用。
■もくせい(モクセイ科)・・・木犀。常緑小高木。
■やえざくら・・・八重桜。栽培園芸品種の一。
■やぶつばき・・・薮椿。
■やまもも(ヤマモモ科)・・・山桃。常緑高木。樹皮は茶褐色系の染料に用いる。


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2003年5月14日(水) ぼけ封じ観音霊場

 阪神百貨店の仏具売り場で「打敷(うちしき)」を買った。打敷とは仏壇の前卓を飾る三角形の刺繍のある布で、もともとは、お釈迦様がお説教をなさる時、地面にじかにお座りになっているのを見た弟子が、あまりにもったいないことだと言って、お釈迦様のお座りになる所に美しい布や花を敷き、飾り付けたのがいわれだ。お釈迦様(御本尊)の座布団のようなものだ。お香、お花、お灯明をのせる台の下に敷いて飾るので、一種のテーブルクロスと言ってもいい。 打敷を買うのは、母にもしもののことが起こった時を考えてのことだが、前の日記に書いたように、準備万端整えておけば、かえって母は長生きしてくれるのではないかという、私なりの祈願を込めての行動だ。母にもしものことがあれば、私は生きる目的の一つを失うことになる。

 帰りに、母の健康の回復の祈願と、母のぼけ封じのために、大阪市北区にある「太融寺」に参詣した。太融寺は弘仁12年(821年)に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により創建された寺で、ぼけ封じ観音霊場第七番にあたる。
 少子化時代にあって、特にぼけ老人の問題が深刻になってきた。このような時代背景のもとに「ぼけ封じ観音霊場」が各地で発足している。ぼけ封じ観音さまをお祀りするお寺が、近畿では下記の通り十ある。これを「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」という。
  ぼけ封じ近畿十楽観音霊場
   @京都、観音寺「今熊野観音」
   A京都、千本釈迦堂 大報恩寺
   B宇治、慈尊院
   C大津、正法寺
   D信楽、玉桂寺
   E茨木、総持寺
   F大阪、太融寺
   G神戸、大龍寺
   H但馬、七寶寺
   I丹波、常瀧寺

太融寺内名所(一部)
■淀の方墓・・・元和元年5月、大阪城落城によって秀頼と共に自刃した淀の方の遺骨が祀られている。淀の方は豊臣秀吉の側室で、浅井長政の長女。母は織田信長の妹お市の方。浅井氏の滅後、秀吉に養われ、天正17年淀城に入る。大坂夏の陣により、子の秀頼と共に自刃した。
■近代日本政党政治発祥の地・・・明治11年板垣退助をはじめ、全国の有志が大阪に集り民権運動を起こした。この運動は愛国社(後の自由党)となり、明治13年3月17日第4回愛国社大会、明治17年10月29日自由党解党大会がこの寺で開かれた。この寺は、近代日本政党政治発祥の地でもある。


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2003年5月13日(火) 大和田住吉神社

 朝10時に歯医者に行き、歯型をとった。歯医者通いはもう1、2回で終わるだろう。次は目医者に行く予定だ。目も在職中から異常があったのだが、仕事にかまけて行く機会を逸していた。今は医者にかかるだけの時間が十分ある。もう若くはないのだから、健康には注意しなければならない。
 歯医者を出ると近くの食堂で早めの昼食(=遅めの朝食)をし、この間頼んでおいた写真が出来上がっているはずなので駅前まで出た。最寄の駅は阪神電車の「千船」だが、この駅から歩いて5〜10分ほどのところに大和田住吉神社がある。今日はそこまで足を運んだ。神社に入ってすぐ右側に万葉の歌碑がある。
  浜清よく 浦なつかしき 神代より 千船の泊る 大和田の浦(万葉集 詠み人しらず)
 この歌碑から大和田の地は、万葉の時代にすでに文人の間に知られていたことが分かる。「千船」という地名はこの歌にちなんでつけられたものと言われている。他に義経の判官松の碑があった。
 神社や寺には必ずと言っていいほど、土があり、木があり、草があり、大木が茂っている。真夏でも木陰に入れば涼しくて、いつも静かで、心が休まる。じっと佇んでいるだけで、人生の煩わしいことのすべてを忘れさせてくれる。
 夜は実家の掃除、片付けごとをした。
 母は昔の人間で、物の不足した時代に育ったせいか、ものを捨てようとしない。不要と思われるものが家の中のあっちこっちに詰め込まれている。どこに何があるか分かるように、整然と整理してあればいいのだが、「捨てるのはもったいない」と言って雑然としまい込んだものだ。「ごみ」と思われるものも沢山ある。
 1年ほど前の母は、多少の痴呆状態にあったとはいえ、私よりもしっかりした面もあった。私が仕事から帰るといつも家の中は真っ暗で、布団の中で寝ていた。お昼はテレビのお笑い番組をよく見て楽しんでいたようだ。自由な時間があれば、家の中の整理でもすればいいと思われるのだが、当時はしきりに足が痛い、引きつる、腰が痛いとか言っていた。母の腰はずっと以前から折れ曲がっていたし、医者にもかかっていた。頭の方はしっかりしていても、本当に家の中の掃除や片付けごとをする体力も、気力もなかったのだと思う。
 母は痴呆状態にあった父を、子どもには迷惑をかけたくないと言って、最後の最後まで面倒を見てきた。夫の面倒を見るのは妻の責務であると信じていたようだ。父が死んでからの母の楽しみといえば、テレビのお笑い番組を見ることだった。そんな母が今、痴呆状態で、肺炎をおこし、入院している。今度は子どもの私たちが、母の面倒を見るのが道理だというのに。もう1年早く退職していれば、自由な時間があって、母のそばにいながら、片付けごとを共にし、親孝行の一つも出来たのにと思うと、悔やまれてならない。
 押入れの中は母の和裁道具や布切れ、華道の道具、母が作った手芸品で一杯だ。立体的な紙細工は、ガラスのビンに入っていたり、ダンボールの中に無造作に詰め込まれていたり、ビニールの袋で包んだりしたものもある。ホコリも被って、始末に負えない。御殿まりは無数にある。未完成のものも沢山ある。作り方の説明のメモも所々にはさまれている。狭い家だから捨てないと片付かない。
 母の今の病状から、もう二度と母自身が見るということはないと思われるが、これらは母の生きてきた証だ。母が生きている間は捨てるわけにはいかない。絶対に捨てることはできない。絶対に捨ててはならないのである。先日買ってきた「ハンディワイパー」でホコリをとるだけにとどめた。
 最後に、これまでの母の愛に感謝し、その愛に報いることが出来なかった自分を反省し、母の健康の回復を願いながら、下に大和田住吉神社の掲示板にあった句を記しておく。
  ことばの鏡  親を忘るるは易く 親をして 我を忘れしむるは難し 大阪府神社庁