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2003年8月13日(水) 大国主神社・天王寺動物園

自宅から徒歩で天王寺方面へ行きました。コースは次の通り。
 自宅→大野川緑陰道路→野里交差点→淀川大橋→野田阪神→浄正橋→出入橋→西梅田公園→ハービスOSAKA→梅田中央郵便局・アクティ大阪・大阪駅→Yodobashi−Umeda→新梅田シティ・梅田スカイビル・滝見小路食堂街・ウェスティンホテル大阪→阪急三番街→桜橋交差点→梅田新道(御堂筋)→大江橋→大阪市役所→淀屋橋→せんば心斎橋筋→船場センタービル→船場丼池ストリート→Sony Tower→宗右衛門町→戎橋→難波高島屋→大国主神社(浪速区敷津)→地下鉄大国町→労働福祉センター→JR新今宮→阪堺南霞町→地下鉄動物園前→フェスティバルゲート→ジャンジャン町→天王寺動物園→通天閣。 *復路は地下鉄を利用しました。

 9時30分 自宅発 天候は曇り
 9時52分 大野川緑陰道路を横切る。
10時00分 野里交差点(国道2号線)
10時 3分 淀川大橋北詰
 川辺には水鳥が三、四羽いました。最近はよく見かけます。環境が良くなったということでしょうか。橋の上から遠くを眺めながら歩いていると、疲れた目が癒されます。景色というものは、車や電車から見るのと、歩いて見るのとでは大きな違いがあります。視点を変えることは景色に限らず、人間の思考についても必要なことです。歩いていると、車や電車からでは見えないものが見えてきます。
10時12分 淀川大橋南詰
 淀川大橋は700mあります。渡り切るのに約10分かかりました。
10時23分 野田阪神
 歩道の巾が広く、綺麗にタイルが張られています。私が小学生のころの日本は、道路が整備されていない国として有名でしたが、最近は車道は勿論、歩道も良くなってきています。曇り空でしたが、このあたりから日が照ってきて、暑くなってきました。
10時45分 浄正橋(曽根崎通)
10時50分 出入橋・西梅田公園
 「西梅田公園」について・・・西梅田の区画整理事業によってつくられた公園。小さな公園ですが、人工の池、噴水が整備されています。ベンチもありますが、普通の公園では見かけないテーブルとイスもいくつか置いてありました。近くには、ハービスOSAKA があります。
 「ハービスOSAKA」について・・・JR大阪駅南西側にある梅田一の高層ビル。世界の高級ブランド店や、旅の情報収集ができるハービスPLAZAと、ザ・リッツ・カールトン大阪が入っています。
11時 5分 梅田中央郵便局・アクティ大阪・大阪駅
 「アクティ大阪」について・・・昭和58年に国鉄大阪駅(今のJR大阪駅)の大改築と同時に誕生しました。地上27階、地下4階。デパート(大丸梅田店)・ホテル(ホテルグランヴィア大阪)・レストラン街(世界各国の料理等)・総合クリニック・駐車場があります。
11時12分 Yodobashi−Umeda
 「Yodobashi-Umeda(ヨドバシ梅田)」について・・・JR大阪駅の裏(旧大阪鉄道局跡地)に建つ家電量販店「ヨドバシカメラ」の超大型商業施設のこと。地上13階、地下2階建て。大阪駅の裏側にあたりますが、開発がどんどん進んで、裏側とはいえなくなってきています。
11時25分 新梅田シティ・梅田スカイビル・滝見小路食堂街・ウェスティンホテル大阪
 「新梅田シティ」について・・・積水ハウスが進めた北梅田の再開発事業で、オフィス、ホテル、飲食店舗、空中庭園展望台等からなる複合都市。周りには人工の小川があり、ハトとスズメが仲良く群れていました。
 「滝見小路食堂街」について・・・昭和初期の大阪の町並み(交番・タバコ屋・郵便ポスト・床屋・クリーニング屋など)を忠実に再現していて、一見の価値があります。
11時45分 梅田スカイビル出発
11時55分 阪急三番街
12時 7分 桜橋交差点
12時15分 梅田新道(御堂筋)
 道路標識では難波まで4Kmとなっていました。
12時20分 大江橋・大阪市役所
12時25分 淀屋橋
 炎天下に関わらず、キャンパスを前にして絵を描く人が四、五人おられました。
12時40分 せんば心斎橋筋
12時45分 船場センタービル8号館
12時55分 船場丼池ストリート
「まいどおおきに」と書かれたのぼりが沢山なびいていました。
13時10分 Sony Tower
13時20分 宗右衛門町・戎橋
13時30分 難波高島屋
13時50分 大国主神社(浪速区敷津)

 日露戦役忠魂碑 海軍大将東郷平八郎書
  裏に明治四十年六月建之とある。

 木津勘助之像
 「木津勘助」について・・・江戸時代の人で、本名を中村勘助義久といいます。豊臣秀吉に仕え、木津川の開削により大阪の発展に寄与しました。大飢饉のおり、貧民の窮状に耐え切れず、先頭にたって「蔵破り」を行い、その業績が今なお語り継がれています。

 ことばの鏡 とかくあまり人生重くみず 捨て身になって何事も 一心になすべし 大阪府神社庁

14時00分 大国主神社出発
 地下鉄大国町を過ぎると、前方にJR環状線、左手には通天閣が見えました。
14時20分 労働福祉センター・JR新今宮・阪堺南霞町
14時25分 地下鉄動物園前・フェスティバルゲート
14時30分 ジャンジャン町・新世界「平野屋」
 「ジャンジャン町」について・・・映画・演劇・飲食店・マージャン・パチンコなど、大衆向きの歓楽街です。戦前に女性が三味線をジャンジャン鳴らしてサービスしていたところからこの名が生まれたといわれています。現在は南陽通り商店街といいます。
14時50分 天王寺動物園に入る。
 コアラには3亜種いますが、天王寺動物園にいるのは、一番大きなビィクトリアコアラ。オランウータンはマレー語で「森の人」という意味。カバの汗は赤い。ペンギンは南極だけでなく、フンボルトペンギンのように南アメリカの海岸などにすんでいるものもいます。
 鳥の舎には当然のことですが、網が張ってありました。コンドルのような大型の鳥にとっては、網の巾も狭く、高さも低すぎる。天空を自由に駆け巡るだけの空間がないのはかわいそうです。ある鳥の舎では、スズメが二十羽ほど中に入り込んで、餌場の餌をついばんでいました。舎は網に囲まれているとはいえ、スズメのような小さな鳥なら十分入り込める透き間があります。そのスズメらのなんと元気なことか。動きが俊敏で、生き生きとしています。それに比べて、ライオン、トラ、サイは間近に見ると想像していた以上に大きく、勇ましく見えましたが、概して元気がありません。半分眠っているようです。とらわれの身である動物園の鳥や獣が、その置かれている環境から、野性を失ってしまうのは無理もないことですが。みな悲しそうな目付き、顔付きをしている。と私には見えました。
16時30分 天王寺動物園を出る。
16時40分 通天閣
 「通天閣」について・・・初代の通天閣は明治45年7月に完成、そのエレベーターは日本最初のものでした。通天閣の下には、将棋で有名な坂田三吉の偉業をたたえて、碑が建てられています。
17時00分 フェスティバルゲートを出る。
 復路は地下鉄動物園前から乗車。
18時20分 自宅着
  *四天王寺に寄りたかったのですが、今日は時間がなかったので、別の機会にすることにしました。