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2003年9月15日(月) 難波宮跡、大阪城公園、大阪ビジネスパークへ

[本日の歩行コース]
 地下鉄「谷町四丁目」駅→難波宮跡→JR「森之宮」駅前→JR「大阪城公園」駅前→大阪MBS劇場(大阪ビジネスパーク内)→ホテルニューオオタニ大阪→松下IMPビル→クリスタルタワー→片町橋→大阪城公園→NHK放送会館

10時50分 地下鉄「谷町四丁目」駅
10時55分 国立大阪病院
11時00分 難波宮跡(なにわのみやあと)
 難波宮は6、7世紀に造営されました。文献上では頻繁に登場するのですが、長い間その場所が不明でした。1954年(昭和29年)から始まった発掘調査によってその全容が明らかになっています。 現在史跡公園として整備が進められています。
11時20分 難波宮跡 出る。
11時25分 難波宮内裏東方遺跡、中央青少年センター、大阪府立青少年会館
11時30分 歴史の散歩道 森之宮勝山線、
11時40分 JR「森之宮」駅前 着
11時50分 JR「大阪城公園」駅前 着
12時30分 大阪MBS劇場(大阪ビジネスパーク内)入場
13時00分 観劇 劇団四季『夢から醒めた夢』
15時30分 大阪MBS劇場 出る。
15時40分 ホテルニューオオタニ大阪、松下IMPビル、クリスタルタワー
16時30分 片町橋
17時00分 大阪城公園
 淀君・秀頼自刃の石碑・・・大阪夏の陣で淀君と秀頼は天守閣から逃れて、この辺りで自刃(じじん)したと言われています。
 NHK放送会館     →帰宅


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2003年9月12日(金) 四天王寺、愛染堂、大江神社、口縄坂、生國魂神社へ

[本日の歩行コース]
 地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅→四天王寺→愛染堂・勝鬘院・多宝塔→大江神社→愛染坂→清水坂→口縄坂→善龍寺→生國魂神社→地下鉄谷町線「谷町九丁目」駅

13時40分 地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅
 地下鉄の改札を抜け地上に出ると、右前方に大阪星光学院の建物が見えました。四天王寺へは「乾門」から入りました。
 英霊堂→六時堂→池(亀が沢山いました)→石舞台→鐘堂→親鸞聖人像→弘法大師修行像→阿弥陀堂。
 四天王寺は聖徳太子が建てたということですが、古代を偲ぶという雰囲気ではありませんでした。境内は広いですが、あちこちに車が止めてあって、樹木がうっそうと茂っているという景色も見かけませんでした。境内の石段に男の人が荷物のバッグを横に置いて、ぽつんと一人で腰掛けていました。初老の人で、どこか悲しく寂しい、物思いに耽っている風でした。世は不況です。失職でもしたのでしょうか。芥川龍之介の小説『羅生門』の冒頭を思い出しました。

 境内の掲示板より
   人におもねり 人をあざむく者は 国を滅ぼす 鋭い剣となる者だ
   「其れ諂い詐る者は則ち国家を覆す利器たり」
    聖徳太子(十七条憲法第六条)


14時30分 四天王寺 出る。
 南大門から出ました。
14時45分 四天王寺病院
14時50分 四天王寺鳥居
14時55分 関西特許情報センター、大阪カトリック教会、大阪星光学院
 このあたりで「0.3Km 清水寺、0.5Km 口縄坂、1.1Km 生國魂神社」の標識に出くわしました。
15時05分 清地蔵
 明治の元勲、陸奥宗光の娘「清(さや)」を祭っています。
15時10分 大阪府史跡 伝 藤原家隆墓
 藤原家隆は藤原定家と並ぶと言われる鎌倉時代初期の歌人です。
15時20分 法岩寺、太平寺
 日は照っているのに、小雨が降り出しました。
15時35分 愛染さん(四天王寺別院 愛染堂・勝鬘院)
 縁結び霊木、愛染かつらが入口を入ってすぐ右にありました。
 若者がリュックをそばに置いて、一人で何度も丁寧にお墓を洗っていました。遠いところから久しぶりにお墓参りに来たのでしょうか。そのひたむきな態度に心を打たれました。
15時50分 愛染堂を出る。大江神社に入る。
 愛染堂を出るとすぐ隣りに大江神社への入口があります。大江神社について最近ある知人より入手したニュースの要点を記しておきます。

 大江神社では8月31日、欠けていた狛虎のうちの1体「吽形(うんぎょう)」が新しく建立され、除幕式が行われた。狛虎は口コミで「阪神の守護神」として慕われるようになっていたのであるが、吽形が長い間行方不明になっていた。「阿形(あぎょう)虎」1体で神社を守ってきたことになるのだが、氏子たちが「1頭だけではかわいそう」と吽形虎の建立、寄進を決めたのである。
 六甲おろしが流れる除幕式には氏子やタイガースファンら約200人が出席。狛虎の前には18年前に発売された阪神マークつきのビールやたばこが供えられた。新しい吽形虎が神社に納品された8月26日からこの日まで阪神は負け知らずで、氏子らの間では「狛虎効果」だと驚いている。

 境内の掲示板より
   ことばの鏡 苦は楽の種 楽は苦の種 と知るべし 大阪府神社庁

16時05分 大江神社 出る。愛染坂を下る。
 大江神社に沿って、愛染坂があります。愛染坂は階段ではなくスロープです。
16時10分 大江神社鳥居
 見上げると長い階段が続いていて、階段の登り口には下記の立札がありました。

          百歳(ももとせ)の階段
この階段は 百一段あり 人生の区切り百歳よりあともう一歩 心も身体も健康でありますようにと 願いをこめて名付けました 一歩一歩踏みしめて神様にお参りしましょう 
                                      大江神社


 50段登ったところが踊り場になっていて、さらに51段登ると大江神社の入口に至ります。ここから眺める夕陽は絶景と言われています。
16時14分 清水坂
 日は照っているのですが、小雨が降ってきました。
16時30分 口縄坂 着
 坂の中央あたりの右に「大阪府立夕陽丘高等女学校跡」の碑があります。真っ直ぐの坂道です。登り切った右に『夫婦善哉』で有名な織田作之助の碑があります。織田作之助の短編小説『木の都』に口縄坂の記述があり、碑にはこの作品の一節が刻まれています。口縄とは蛇のことで、坂の下から眺めると、蛇(くちなわ)のように見えるところから、この名が付けられたと言われています。
17時05分 生國魂神社 着
 以下は生國魂神社社務所「難波大社生國魂神社略誌」より一部を抜粋したものです。

大阪三大夏祭り いくたま夏祭(毎年七月十一日・十二日)
 大阪三大夏祭りのトップを切って行なわれるのが「いくたま夏祭」である。大阪の夏祭りは「いくたま夏祭」に始まり、天神祭、そして住吉祭で締めくくると言われている。

近松門左衛門の「曽根崎心中」や「生玉心中」は当社の境内が舞台である。

彦八まつり(毎年九月第一土・日曜日)
 京都で露の五郎兵衛によって始められた上方落語は、大阪では当社を舞台に米澤彦八が広めたと伝えられている。近年「上方落語の祖」としての偉業を偲び、境内には記念碑が建立されると共に、上方落語協会の人気落語家が勢揃いしての「彦八まつり」が盛大に催されている。

井原西鶴
「世間胸算用」「好色一代男」などで知られる井原西鶴は、俳人としても秀でた才能を持っていた。延宝八年(一六八〇)に三十九歳の西鶴は、当社の境内(別当南坊)で一昼夜をかけて矢数俳諧を行い、一人で四千句を詠み上げた。その偉業を称え、今日は緑に包まれた南坊跡に西鶴の座像が建てられている。


 *今年の彦八まつりは一週間前に終わり、境内は閑散としていました。巫女さんが一人、私の後ろを通り過ぎて、社務所へ入っていきました。
 *矢数俳諧とは一昼夜に句をどれくらい詠めるかを競う競技のことです。

17時45分 生國魂神社 出る。地下鉄谷町線「谷町九丁目」駅より乗車→帰宅


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2003年9月9日(火) 適塾、大阪府立上方演芸資料館へ

[本日の歩行コース]
 ・大阪梅田→大江橋→大阪市役所→淀屋橋→懐徳堂跡→愛珠幼稚園・銅座跡→適塾→難波橋
 ・大阪難波→大阪府立上方演芸資料館

 9時30分 大阪梅田
 9時45分 大江橋・大阪市役所
 9時50分 淀屋橋
 9時55分 懐徳堂跡(懐徳堂:大坂町人出資の庶民教育の漢学塾)
         懐徳堂記念会
        大阪市立愛珠幼稚園
          愛珠幼稚園は寺か武家屋敷と見違えそうな園舎です。
        銅座跡(銅座:江戸時代、銅の精錬・専売をつかさどった役所)
 10時00分 適塾
 適塾は蘭学者緒方洪庵が開いた学塾です。洪庵は日本全土から集まった門人に蘭学・医学を教え、幕末から明治にかけての日本の近代化に貢献しました、橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉ら多くの人材を育て、門下生に手塚良仙(良庵)がいます。手塚治虫さんの曾祖父に当たる人です。適塾2階の学生大部屋の隣りの部屋に、手塚良庵のマンガのカットと手塚治虫の写真が入った額が掲げられています。
 適塾は当時(江戸時代)の大阪北浜の町屋の姿を示す貴重な建物です(木造一部2階建。所在:大阪市中央区北浜。道路に面して「史跡緒方洪庵旧宅及塾」の石碑があります。東西のビルを撤去し公園になっています。参観料250円)
 適塾は現在の大阪大学の前身です。大阪大学に勤めていた頃、是非訪ねてみたいと思っていましたが、当時は予約をしなければ入れませんでした。今は予約の必要はなく、気楽に訪ねることができます。今日は三十年後にして、ようやく念願を果たしたことになります。
 適塾
 緒方洪庵旧宅および塾(適塾)
11時00分 適塾 出る。
11時05分 難波橋
・・・・・・
16時10分 大阪府立上方演芸資料館 入館
 大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)は、上方演芸(落語・漫才・講談・浪曲など)の世界を映像・音声をはじめ、さまざまな資料で紹介しています。(所在:大阪市中央区難波千日前。展示室入場料400円)
17時30分 大阪府立上方演芸資料館 出る。
17時55分 難波→帰宅


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2003年9月5日(金) 万博記念公園、国立民族学博物館、大阪府立国際児童文学館へ

[本日の歩行コース]
 万博記念公園駅→公園中央口→太陽の搭→お祭り広場→万国博ホール→国立民族学博物館→国際児童文学館→公園西口→万博記念公園駅

12時25分 阪急「梅田」駅 発(「北千里」行、各駅停車)
12時50分 「山田」駅 着
13時10分 大阪高速鉄道(大阪モノレール)「山田」駅 発
 山田駅の北側、下を見下ろすところに中国自動車道が走っています。左前方には太陽の搭。
 山田駅から万博記念公園駅までは一駅です。
13時12分 「万博記念公園駅」 着
 駅を出ると正面に広い駐車場があります。左側にはエキスポランドの観覧車が見えます。
13時30分 万博記念公園 入園
 中央口→太陽の搭→お祭り広場→万国博ホール。今日は平日で、学校の夏休みも終わったし、暑いせいもあって、園内は閑散としていました。歩いている人はちらほら見かける程度でした。
 国立民族学博物館 入館(常設展観覧券420円)・・・お客さんが少ないせいか、受付嬢が親切に順路を教えてくださいました。館内に入ると、中学生と思われる団体が一組いて、少し賑やかでしたが、それ以外に出くわしたお客さんは五、六人程度でした。
16時05分 国立民族学博物館 出る
 大阪府立国際児童文学館 入館・・・「ロボット漫画の系譜」と題する小展示がありました。2003年に鉄腕アトムが誕生したことを記念して、この館所蔵の単行本と雑誌を中心に、ロボット漫画の系譜をたどるもの。展示作品の著者として、田河水泡、手塚治虫、石森章太郎、藤子不二雄など。作品名として、『鉄腕アトム』『鉄人28号』『人造人間キカイダー』『8マン』『ドラえもん』など。雑誌名としては、『少年クラブ』『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』『週刊少年ジャンプ』など。
 *大阪府立国際児童文学館は、わが国最初の国際的な児童文学資料・研究・情報センターです。
  この館には私の初めての出版物が1冊所蔵されています。
16時30分 大阪府立国際児童文学館 出る
 近くに国立国際美術館、日本庭園がありましたが、時間がなかったので中には入りませんでした。公園の西口から出て、外周に沿って、万博記念公園駅まで歩きました。
17時53分 大阪高速鉄道「万博記念公園駅」 発 →帰宅


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2003年9月3日(水) 阪急沿線一日紀行「嵐山」−過ぎ去りしロマンを訪ねて−

[本日の歩行コース]
 阪急「嵐山」駅→渡月橋→美空ひばり館→天龍寺→清涼寺→想い出博物館→阪急「嵐山」駅

11時20分 阪急「梅田」駅 発(特急「河原町行」)
11時55分 「桂」駅 着
12時08分 「桂」駅 発
12時15分 「嵐山」駅 着
12時20分 中ノ島橋、中ノ島公園
 中ノ島橋を渡ると中ノ島公園です。一面に砂利が敷き詰めてありました。
12時28分 渡月橋
 橋の欄干は木製です。下を流れる川は桂川です。水は汚れがなく、透き通っています。これほど綺麗な川を大阪で見かけたことはありません。日が照っていて暑かったのですが、大阪よりは涼しいような気がしました。この清々しい川の流れを眺めていたせいかもしれません。人力車に若い娘の客を乗せて走る、若くてかっこいい車夫をちらほら見かけました。
12時40分 美空ひばり館へ入館
 渡月橋を渡ってちょっと進んだところの左に「美空ひばり館」があります。
美空ひばり・・・本名加藤和枝。昭和21年、9歳で初舞台を踏む。歌、映画、舞台で活躍、歌謡界の女王といわれました。平成元年、永眠。女性初の国民栄誉賞を受賞しました。
「美空ひばり館」(入館料1,600円)
1階・・・エントランスホール(ひばりさんの等身大ブロンズ像と世界最大の肖像陶板があります。)、川の流れのように(水の流れるシアター。名曲「川の流れのように」のメロディーと共に、ひばりさんのステージ姿をワイドスクリーンで見ることができます。)
2階・・・ひばりアトリエ(ひばりさんが色紙に描かれた自作の詩や絵画など)、ひばりコレクション(東京ドームでの豪華衣装を始め各ステージで使用された衣装やアクセサリーなど)、ひばりリビング(ひばりさんの自宅リビングルームを再現)、ひばり劇場(映画、芝居、ステージと活躍していく姿を年表や舞台衣装と共に展示。梅田コマ劇場の楽屋を再現したものもあります。)
3階・・・ガイダンスホール(ひばりさんの直筆色紙が織り込まれた屏風や国民栄誉賞を始め、数々の表彰状)、ひばりシアター(当時の時代背景とひばりさんの生涯を東京ドームの再起コンサートの映像と共に見ることができます。)、ひばり歌謡史(ひばりさんのヒットナンバーを映像と共に聴くことができます。)
  *「悲しい酒」を歌と映像で堪能しました。お客さんが少なかったので、ゆっくり丁寧に観て歩くことができました。あらためて美空ひばりの偉大さに恐れ入りました。今の自分の無能さが嫌になりました。
14時00分 「美空ひばり館」を出る。
14時10分 天龍寺 参拝
 天龍寺は美空ひばり館のすぐ近くにあります。
天龍寺・・・京都五山第一位の寺格を誇る臨済宗天龍寺派大本山。庭園(曹源池)は、日本で最初に特別史跡名勝に指定され、1994(平成6)年、世界文化遺産(World Cultural Heritage)に登録されました。
15時00分 天龍寺を出る。
15時20分 清涼寺
15時30分 清涼寺を出る。
16時00分 想い出博物館(入館料300円)
 嵯峨野の道沿いにあります。ブリキのおもちゃやメンコ、マンガなど、明治から昭和にかけての懐かしい玩具を展示しています。「博物館」というので、大きな建物だと勝手に思っていたため、目の前にありながら、最初はなかなか見つけることができませんでした。博物館の入口の前はお土産売り場になっていて、博物館そのものにはお客さんはおられなかったです。私が入館を申し込むと慌てて電気を点けてくださいました。
17時25分 阪急「桂」駅 着
19時20分 自宅 着