もっこはもういらない
昔、天候が不順で穀物や野菜が育たず、一人分の食料さえ惜しいという時代がありました。貧しい村では、口減らしのために、役に立たなくなったお年寄りのおじいさんやおばあさんを、奥深い山の中に捨てに行くというならわしがあって、その山はいつしか「おばすてやま」と呼ばれるようになりました。
ある村に住む若夫婦にも、いよいよお年寄りを養うだけの余裕がない日がやってきました。やむなくおばあさんをもっこに乗せると、まだ幼い息子を連れて山を登り始めました。もっことは、縄を網のように編んで、土や石を運ぶのに使うかごのようなもののことです。
おばすてやまといわれるところまでは険しい山道で、若夫婦にとっては初めての道でした。もっこに乗せられたおばあさんはしばらくおとなしくしていたのですが、やがて道すがら、手を差し伸べては木の枝をぽきん、ぽきんと折り始めました。不思議なことをするもんだと、若夫婦は首を傾げていましたが、おばあさんにそのわけを聞くことはありませんでした。おばあさんの不思議な行動は、おばすてやまに着くまで続きました。
やっとのことでおばすてやまの頂上に着きました。丁度一人が座れるぐらいの平らな石がありましたので、若夫婦はおばあさんをもっこから下ろすとそこに座らせました。後ろは深い谷間になっていました。もう日も暮れかかり、静かな谷底からは夜鳥の声がぶきみに聞こえてきました。こんなところで長居は無用です。若夫婦はおばあさんに、「元気でいてください」と道理に合わない別れの言葉をかけました。
来た道を戻ろうとして振り返りましたが、目の前の景色が来る時とは全く変わって見えるのでした。帰り道が分からなくなって、おろおろしている若夫婦に、おばあさんが、「来る道すがら、木の枝を折って来たから、その枝を目印に帰れば道に迷うことはない。さあ、早く行きなさい。嵐がやってくる」と言いました。そう言われて若夫婦は、息子を呼び寄せ、早速折られた木の枝を頼りに山を下り始めました。
途中、息子が気がついて、「お父さん、もっこを忘れているよ!」と知らせました。お父さんは忘れていたのではありませんでした。「もっこはもういらないんだ」「どうして?」息子はすかさずたずねました。「我家には、年寄りはいなくなったから、もっこはもういらないんだ」息子は合点がいきませんでした。「お父さんやお母さんはまだ若いけれど、いずれは今のおばあさんのように年取って、今度は僕たちがお父さんやお母さんをこの山までもっこに乗せて捨てに来なければいけないんだから」息子にそう言われて、なるほどと一度はうなずいてみせましたが、お父さんはそんなことを言う息子がそら恐ろしくなりました。でも、息子の言うのは道理にかなっていましたので、お父さんは二人を置いて、しぶしぶ頂上へ戻りました。
頂上では、おばあさんは目をつむって経を唱えていました。その顔は黒くて、深い皺が幾つも刻まれ、目はくぼんでいました。野良仕事をしていた若くて元気なころのおばあさんに比べたら、今のおばあさんは腰も曲がり、古着を着せられて、あまりにも惨めな姿をしていました。
日が落ち、あたりは闇に包まれました。谷底からは夜鳥の声に混じって、オオカミの遠吠えさえ聞こえてきました。お父さんはしばらくそこで突っ立っていましたが、突然、「もうもっこはいらない。もっこはもういらないんだ!」と叫びながら、おばあさんを抱きかかえ背に負うと、そのまま険しい山の道を一気に駆け下りました。勢いが余ってつんのめるのもいとわず、走りました。途中で、お父さんの戻ってくるのを待っていた妻と息子に出くわしましたが、かまわずその前を走り抜けました。二人はただ呆然とながめているだけでした。
やがて、おばあさんを背負ったお父さんは、月の明りさえ届かない暗闇の中に入りました。そこでお父さんは、おばあさんを背負ったまま、一息つきました。すると真っ黒の空から、にわかに大粒の雨が落ちてきました。おばあさんの予言が見事にあたったのです。先を急がなければなりません。
暗闇を稲妻が走り、激しい雷鳴が鳴り響いてきました。もう雨は豪雨となって、足元の土をえぐり取りながら流れていきました。お父さんはさらに先を急ぎました。つる草や木の根に足を取られながらも、走りました。背に負ぶったおばあさんのなんと軽いことか。お父さんは途中で涙をこらえることができませんでした。
おばあさんは、我が息子に捨てられようとしているのに、恨むこともせず、行き道からただ息子や家族の帰り道のことを心配してくれていました。大蛇かオオカミの餌食にもなるかもしれないこんな山中に、そんなおばあさんを一人だけ、どうして置き去りにすることができましょう。たとえあばら屋とはいえ、雨風のしのげるあたたかい我家に一秒たりとも早く届けてあげたい。いばらで傷ついたお父さんの手や腕や足からは、血が絶え間なく滴り落ちていました。血と汗と涙と泥土にまみれながらも、お父さんはこの豪雨に負けてなるものかと、ただひたすら、おばあさんを背負い駆け下りました。あたりは真っ暗闇とはいえ、おばあさんが折った木の枝の折口だけは、まるで提灯行列の明りのように白く光って、途切れることなく続いていました。それで道に迷うことなく、無事我家までたどり着くことができたのです。
若夫婦は行く時は行く道だけのことを心配し、帰り道のことはとんと考えもしませんでした。もしおばあさんの心遣いがなければ、真昼間さえ暗いあの密林のようなおばすてやまで、道にまぎれ家族一同、命さえ落としかねなかったのです。
もっこは今でもあの奥深い山の頂上に残されたままになっています。このもっこはもう二度と使われることはないでしょう。