蛙 の 子

 理科の授業で蛙を解剖することになりました。先生はクラスをA、B、C、D、Eの五つのグループにわけました。各グループで代表者を決め、グループごとに一匹の蛙を準備してくるように言われました。良太のAグループでは、代表者をじゃんけんで決めることになりました。良太は、じゃんけんに負けて、その役割が良太に回ってきました。
 良太のお家は新興の住宅街です。少し歩けば畑や田んぼがあって、自然がたくさん残っています。すぐ近くにある大きな池からは、やかましいほど蛙の鳴き声が聞こえてきます。
 良太は、授業が終わってから網を持って池に出かけました。蛙はたくさんいたので、最初は蛙を一匹捕まえることなど、何でもないことだと思っていました。でも、いざつかまえるとなると容易なことではありません。蛙は思っていたよりずっとすばしっこいのです。近づくと、ちゃぼん、ちゃぼん、と音を立てて、みんな池の中に飛び込み、逃げてしまいました。
 良太は毎日池に出かけました。まだ日数に余裕がありましたので、しばらくは蛙がとれなくても、暗くなる前にお家に帰りました。
 日はどんどん過ぎていきました。蛙を持っていかなければならない日が明日に迫りました。良太はあせりました。今日中につかまえることができなければ、良太はグループを代表しているのですから、同じグループのお友達に迷惑をかけることになるからです。
 妹が手伝うと言って、付いてきてくれました。蛙は二人が前に進むと、順々に、池の中央に向かって飛び込みました。網の棒は良太の背丈ほどありましたが、もう一本棒をつなげたら、今までの倍の長さになりました。それで池のほとりから中央に向かって、何度もすくったのですが、蛙は一匹も網にかかりませんでした。危険を感じた蛙はみな鳴くのを止めました。
 そのうち日が暮れて、夕飯の時間になりました。お家に戻って食事をしていると、蛙の鳴き声が聞こえてきます。安心した蛙がまた鳴き始めたのです。
 良太は食事を急いですますと、再び妹を連れて池に向かいました。妹は懐中電灯を下げています。良太は妹と一緒に池の周りを巡りました。蛙は鳴くのを止めて、池の周囲が不気味なほどに静かになりました。蛙は池のほとりから網の届くところにはいなくなって、池の中央に避難したか、池の奥深くに潜ってしまったに違いありません。良太は覚悟を決めました。蛙を持っていく日が明日に迫っています。服とズボンを脱ぐと、池の中に飛び込みました。
 良太は右手に網を持ちながら、蛙泳ぎで器用に泳いでいます。良太は蛙泳ぎが得意なのです。でも水は冷たく、中は真っ暗で、蛙の姿を見つけることはできませんでした。良太があきらめて、池のほとりにあがろうとすると、池の反対方向に飛んで逃げる蛙が一匹いました。妹が懐中電灯で照らしたので、目がくらんで方向がわからなくなったのかもしれません。良太と妹は挟み撃ちにして、やっと一匹を捕まえることができました。妹の服はどろんこです。
「お兄ちゃん、血が出てる!」
 良太の膝頭から血がしたたり落ちていました。切り株にぶつけてしまったのです。
 妹が両の手で包むと、すっぽりと隠れてしまうほど小さな蛙でした。蛙はのどをひくひくさせています。
「しっぽがないからもう立派な蛙だ」
「でも、まだ子供みたい。子供はかわいそう。もっと大きな、大人の蛙にしようよ」
 妹が子猫の頭をなでるように、蛙の頭をさすっっていました。
「もう時間がないよ。早くお家に帰らないと、お母さんにしかられる」
 良太も妹も心残りでしたけれども仕方がありません。
 良太の腕や足は、いばらで傷だらけになっていました。切り株にぶちつけたときにできた傷が、ずきずき痛みました。でも良太はその晩は、安心して、ぐっすりと眠ることができました。何とか滑り込みセーフで間に合ったのですから。
「きっとみんなも苦労しただろうなあ」
 妹と協力して、やっと一匹の蛙をつかまえることができました。つかまえることができなかったグループだってあることでしょう。つかまえて持っていけば、それだけで立派だとほめられるかもしれません。こんなに努力し、苦労もしたんだから、そのときはうんと自慢してやるんだ。良太は当日の朝、いさんで出かけました。
 ところがどのグループの代表も、先生の言われた通りに、忘れることなく持ってきていました。それだけでなく、みんなが持ってきた蛙はみな、良太が持ってきた蛙の二倍も、三倍も大きく、丸々と太っているのです。良太は唖然としました。つかまえるのが大変で、そのことが話題になるはずなのに、みんなけろっとしています。よく聞いてみると、みんなはデパートで買ってきたといいます。お金さえ出せば、苦労しなくても、立派に太った蛙を手に入れることができたのです。
 良太が苦労話を聞かせると、
「良太は真面目だからね」
「けがまでして、馬鹿なやつだなあ」
 みんなは良太の苦労をねぎらうどころか、同じグループのお友達さえ、良太をからかい、侮辱しました。自然の中で生きている蛙をとってこなければならないとばかり思っていた良太には、お金で買うという知恵が浮かびませんでした。良太は自分の愚鈍さを呪いました。自分がつかまえた、みんなとは比較にならないほど小さな蛙を見ながら、恥ずかしい、惨めな気持ちを味わいました。
 良太のお父さんは会社に勤めるようになって十年になります。同期に入社した人の中では、係長や課長になったり、早い人なら部長になっている人もいます。良太のお父さんはいまだに平社員です。お父さんは機転がききません。「蛙の子は蛙」ということわざがありますが、良太の性格はお父さんによく似ています。良太はクロールや背泳ぎは苦手ですが、蛙泳ぎなら誰にも負けません。
「ぼくの先祖は蛙だ」
 と良太は日頃から思っています。蛙の面に水っていうことわざがあります。蛙にまつわることわざにはいいものはないのですが、良太はこのことわざを逆手にとって、
「僕は蛙の申し子。いかなるからかいや、侮辱やいじめの言葉に出会っても、少しも動じない人間になろう」
 と思いました。良太のお父さんは要領が悪く、ぎこちなく生きているから出世できません。でも良太は、ぎこちなくても正直に生きているお父さんが、どこのお父さんよりも好きでした。