恐怖の各駅停車

 私は一介のサラリーマンである。毎朝8時9分発の「準急行」に乗る。「急行」に乗ればいいじゃないかと言われても、最寄りの駅は「急行」が止まってくれるほど大きな駅ではない。
 電車は発車するとすぐ、下水のような神崎川を渡り、御存知の淀川を越えて、間もなく野田に着く。ここで地下鉄千日前線に乗り継ぎ、さらに難波で御堂筋線に乗り換え、天王寺に出る。
 これがいつもの私の通勤経路だが、別の経路もある。それは、最寄りの駅から野田を経て、一気に終着駅の梅田まで出るのだ。これだと少しばかり遠回りになるが、乗り換えは一回ですむ。 とはいえ、通勤手当支給規程というものがある。それによると通勤手当は、「最短経路かつ最低料金の定期代を支給する」とある。私は今日まで、忠実にこの規程を守ってきた。

 私は、眠気まなこをしょぼつかせながら、いつもの通り8時9分発の「準急行」を待っていた。電車は寸分違わず滑り込んできた。どうしたことか、普段に比べ、やけに込んでいた。私は恐れをなして、次の「各駅停車」を待つことにした。私の行動には、常に安全装置が働いている。ひと電車遅らせても、十分出勤時刻に間に合うのだ。
 過ぎ去る電車の後ろ姿に、サラリーマンの悲哀を感じながら、腕時計に目を落とすと「各駅停車」が、これまた寸分違わずやってきた。だが、私の見込みは外れた。「準急行」にもまして混雑していたのである。仕方がない。これを見送ると遅刻になるから、私は飛び乗った。いや飛び乗ったというほど格好のいいものではない。体を左右によじりながら、なんとか透き間を見つけて潜り込んだのだ。
「間もなく扉が閉まりまーす!」
 扉はすうっと私の体をこすりながら閉まった。車内は、体臭と香水のにおいでむせ返っていた。
 電車は発車した。
「次は姫島ー、姫島ー!」
 私はアナウンスに安堵しつつも、間もなく体に抵抗を感じた。電車が揺れるたびに、私の背広の裾を、鉄のような堅い物で、つまんでは引っ張る者がいるのだ。それは誰かと言えば、人間ではなかった。電車の扉が、私の背広の裾をくわえ込んでいたのである。ちょっと引っ張ってみたが、外れそうにない。
「次の駅で扉の開くのを待てばいい。ほんの二、三分の辛抱だ」
 その時の私は、安易に考えていた。
 電車がホームに入った。
「姫島ー、姫島ー! 出口は左側にかわりまーす!」
 私は一瞬青くなった。背広の裾をくわえ込んでいるのは右側の扉。「各駅停車」が止まる小さな駅では、左側の扉しか開かないのだ。戸惑う私を尻目に、客がどっと乗り込んできた。不幸中の幸いと言おうか、混雑に紛れて、私の背広の裾が、無様に扉に挟まれていることに気づく者はいなかった。
 私は野田に期待をかけた。野田は急行が止まる大きな駅だ。一番線から四番線まである。一番線に電車が入れば、右側の扉が開く。私の体は自由になるのだ。私はそこで、いつものように降りて、地下鉄に乗り換えればいい。
 だが、天は私を見放した。電車は二番線に入り、またまた右の扉は閉まったままだ。乗客が一団となって、左の扉から降り始めた。
「私もここで降りたいのだ。ここで降りなければならないのだ!」
 私は思い切って引っ張ってみようかと思った。力任せに引っ張れば、外れるかもしれない。だが、私は考えた。運よく外れればいいが、もし、この右の扉が、執拗に私の背広の裾をくわえて放さなかったら、私の大きなアクションで、乗客は気づくだろう。パートに出勤のオバタリアンたちが、二人、三人と寄ってきて、
「どうしました?」
 コギャルたちが、そのどんぐり眼を剥き出しにして、
「まあ、扉に挟まっちゃってる!」
 とかなんとか言って騒ぎ立てるだろう。私は赤恥をかかなければならない。少なくとも、このままじっとしていれば、気づかれずにすむのだ。
 そんなことを考えているうちに、扉は閉まり、電車は発車した。乗客は空席が目立つほどに減り、扉の側に突っ立っているのは私だけになった。
 私は相変わらず、その部分を隠すようにして、扉のガラスにへばりついていた。今の今まで抱いていた、悩みの全てを忘れ、窓外の移り行く景色を、放心の眼で眺めていた。仲間はずれにされた時の悲哀、取り残された時の不安、冷酷な社会の仕打ち。人生において何度も出くわしたことのある多くの思いや事実が、私の頭の中を駆け巡った。
 民家の屋根が、次から次へと現れては、後方へと消えていった。私は、不自由ながらも、体をよじって、車内の座席に目を転じた。乳飲み子を、腕に抱えてあやす若い母親の姿が目に留まった。その母親の顔と仕種は、若かった頃の私の母によく似ていた。その傍らでは、男の子が一人、おとなしく座っていた。澄んだ瞳で、遠くから私を無心に凝視しているその顔は、青白く、弱々しく、私の幼かった頃の顔に、余りにもよく似ていた。その子の顔を眺めているうち、私の人生の過去を記録したビデオテープが、私の頭の中で、急速なスピードで巻き戻しを始めた。その男の子と同じ年齢のところにたどり着くと、テープはそこで、ぴたっと止まった。テープは自動的に再生モードに入り、私自身の子供の頃の記憶が、鮮明に蘇ってきた。

「よーい!」
 朝田先生が、ピストルを大空に向かって差し上げた。僕は、左手を後ろに引き、右手をぐっと前に突き出した。
「パーン!」
 ピストルの音が、青空を突き抜けた。みんなは一斉に駆け出した。第一コーナーを曲がり、第二コーナーまでは、みんなは追いつ追われつだった。
 第三コーナーを曲がる頃、僕は走れなくなった。みんなは僕をどんどん追い抜いていった。僕は、みんなから取り残された。その時、大歓声の中から、
「がんばれ! がんばれ!」
 お母さんの声が、はっきりと僕の耳に届いた。僕は勇気を取り戻し、再び駆け出した。どんじりでゴールを突っ切ると、目の前で、青空と大地が引っ繰り返った。
 一着は健太君だった。中身は何か知らないけれど、大きな包み。一等の賞品だ。二着は将司君。賞品は健太君ほど大きくなかったけれど、将司君はにこにこしながら受け取った。三着の純平君は、ノートを三冊いただいた。みんな嬉しそうだった。どんじりの僕に賞品はなかった。僕は悔しかった。惨めだった。一年に一度の運動会。お父さんやお母さんは、きっと僕の活躍するのを楽しみにしていたことと思う。お父さんやお母さんの気持ちを思うと、僕は悲しくなった。
 運動会が終わって家に帰ると、お父さんは新聞を見ていた。お姉さんはテレビを見ていた。お母さんは夕飯の支度に忙しかった。みんなは、わざと僕と顔を合わすのを避けていた。食卓を囲んでの夜のお食事。いつもは賑やかなお食事だけど、みんなは僕の気持ちを思って、静かだった。新聞を見ながら食事をしていたお父さんが、急に大きな声を出して言った。
「台風五号発生か。今度は、すごいらしいぞ!」
 みんなは、今日のことを話題にしなかった。お父さんやお母さんは、顔には出さないけれど、きっと心の中では悲しんでいる。僕だって、いつかはお父さんやお母さんに、安心してもらえるような丈夫な体になってみせる。僕は口を大きく開け、御飯を押し込むと、
「おかわり!」と言った。

 テープはここで突然停止した。電車は、急激にスピードを落とし、左に大きくカーブすると、遠方から踏切の警笛が聞こえてきた。私は身の危険を感じた。ここからすぐ逃げ出さなければならない。だが、私はどうすることも出来なかった。警笛は段々大きくなって、私の不安は急速に高まってきた。心臓の鼓動が荒々しく打ち始め、私は、息苦しくなった。私は、軽い目眩を感じ、瞼を閉じた。爆音が車体を突き破り、一気に進入してきたかと思うと、車内が急に静かになった。
 私は、おもむろに瞼を開けた。整然と並んだ吊り革の群れ。派手に彩られた週刊誌の中吊り広告。座席にゆったりと腰掛け、新聞に目を落としている男。膝の上で服飾雑誌を広げて見ているOL。乳飲み子を抱えた母親。その傍らで、表情一つ変えずに座っている男の子。目に映る全てのものが、物憂いリズムで揺れていた。静かだった。夢の中の出来事のように、静かだった。わずかにゴトン、ゴトンという鈍い音だけが、足下の床から伝わってくるだけだった。私は、扉のガラス越しに空を仰ぎ見た。曇天に、鳩が空高く群れ飛んでいた。私はその時、自由であることの大切さを知った。
 やがて私は一人の乗客の視線を背中に感じた。いつまでも、やもりのように扉に吸い付いている私の姿態が、奇妙な姿に映らないはずはなかったのだ。私は心の中で、その乗客に対する言い訳を考えていた。
「確かにいつもの私なら、先程の駅で降り、地下鉄千日前線に乗り換えるでしょう。だが私はかねがね考えていたことがあったのです。一気に終着駅の梅田まで出て、地下鉄に乗り継げば一回の乗り換えですむ。時間も幾分なりとも節約できるのではないかとね。一度この経路で、この時間帯で、込み具合がどんなものかと、下見をしようと考えていたのですよ。その日が今日だったのです。私は先程の駅で降りるつもりはなかったし、降りる必要もなかったのです。今日の私は、この電車に乗った時から、終着駅の梅田まで行く予定だったのです。だから私は、決して慌ててなんかいないんですよ」
 私は、うまい言い訳を考えついたものだと、ほくそ笑んだ。言い訳はよくないだって? 馬鹿を言え。この程度の言い訳ぐらい、瞬時に閃く俊敏な頭脳の持ち主でなければ、この世は渡っていけやしないのだ。言い訳の一つも言えない馬鹿正直ものは、自殺するか、食う物にも事欠いて、飢え死にするかのどっちかだ。
 私はすぐさま新たな苦悩に襲われた。私の行動には、常に安全装置が働いているとは言ったが、その装置は二重、三重に張り巡らされているという訳ではないのだ。このまま事態が推移すれば、間違いなく、私は遅刻だ。遅刻はよくない。だが、今日の遅刻は不可抗力だ。失態を正直に話して、笑って誤魔化して、平然と構えていればいい。とはいえ、私にも落ち度があった。いやいや、自己を反省するのは、馬鹿げたことだ。何も自ら失態を曝け出す必要もない。
「ちょっと急な用事が出来たので、遅刻する」
 と、嘘の電話を一本入れさえすればすむことだ。嘘を吐かない人間なんてありっこない。そんな人間がいたら見せ物になる。嘘を吐くのは道徳に反するが、何も深刻に考えることはない。
 そもそも道徳なんて、基準がなく、いい加減なものだ。昔なら不道徳きわまりないこととされていたことが、今では美徳と褒めそやされるのだからたまったものではない。いつの時代も、気の弱い人間だけが、忠実に、ちまちまと守っている。それが道徳というものだ。私語は慎みましょう。室内では静かにしましょう。大声で話したり、笑ったりしてはいけません。そんなことを守るのは、今では愚の骨頂。仕事中に雑談に興じるのも親睦のためである。仕事のためである。たとえ遅刻しようと「おはよーございまーす!」と、元気で明るく朗らかな声で挨拶する方が、遅刻しないように努めることよりも、なお一層大切なことなのである。毎日遅刻一つせずに、真面目に、こつこつと働いている人間は、馬鹿なのである。異常なのである。病人なのである。重い神経症にかかっているのである。休暇も取らずに仕事をする人間は、能力がないのである。真面目でも、仕事の出来ない人間は駄目なのである。仕事さえ出来れば、不真面目でもいいのである。純粋でいようとすれば笑われるだけだ。犠牲的精神は打ち捨てて、決して自分が悪いなどと考えずに、謙遜せず、遠慮せず、図々しく、厚かましく、恥を恥とも思わずに、ご挨拶とお世辞だけは毎日欠かさず実践し、他人の迷惑などかえりみず、元気で明るく朗らかに、ただひたすら自分の利益になることのみを考えて、勝手気ままに振る舞う方が、かえって今の道徳にかなっているのかもしれない。
 道徳に反するなどと、綺麗事を言ってみたところで、そもそも人間は、下品で野蛮な生き物だ。嘘を吐くことから始まって、陰に回れば、どんな醜悪なことでも出来るのだ。何が善であるかを知っていながら、善を行なうことが出来ない。それが人間というものだ。悲しいかな、私も人間だ。いつ、どんなところで、どでかい不始末をしでかすかわからない。私は今晩、あなたを刺し殺すかもしれない。その可能性は十分にあるのだから、今からその時のために、自己弁護をしておこう。人殺しや強盗に、悪人なんていやしないとね、人殺しだって、強盗だって、みんな善人なんだ。嘘を吐いたり、騙したり、言い訳の一つも出来ない正直もので、気が弱くて、遠慮深くて、いつもおどおどしていて、この世の中ではうまく立ち振る舞えないものだから、耐えて、忍んで、追い詰められて、悩んで、苦しんで、そんな日が何日も続いて、気がおかしくなって、生きていくためには仕方のないことだからと、無理に自分自身を納得させ、あんな馬鹿なことをしてしまうんだ。この世の中に悪人なんていやしない。いるとしたら、殺人、強盗、そんな大罪は決して犯さず、自己の責任が問われない範囲内で、要領よく、図々しく、厚かましく、恥を恥とも思わずに、平気で嘘を吐いたり、騙したり、お世辞を言っては誤魔化している。そんな奴らのことをいうのだ。
 私も正直に生きていきたいけれど、社会を知れば知るほど正直でいられなくなる。教育を受ければ受けるほど、醜悪な人間になっていく。そんな気がする。真面目な少年が、遺書を残して自殺した。学問をする先生方。価値観が多様化しているなどと、暢気なことを言っていないで、早く真理を見つけてください。とはいえ、真理を知ってしまった人間は、きっと死ななければならなくなるでしょうね。ああ、もう思い煩うことはよそう。インチキがまかり通る世の中だ。真理を知って何になる。真面目より、不真面目が奨励される世の中で、真面目に生きるのは滑稽だ。くだらないことには平然として、強くたくましく生きていかなければならない。所詮、大人の社会は醜いのだ。大人が子供を教育するなど傲慢だ。いっそ何もしないでいる方がよっぽど良心的だ。人間は生まれた時は善だ。私はそう信じる。私は子供の世界に戻りたい!
 そう思った瞬間、私の頭の中で停止していたビデオテープが、静かに再生を始めた。

 僕は進級し、恒例の運動会の日がやってきた。僕は一年前の悔しい思いを忘れていなかった。今度こそ一着になって、お父さんやお母さんに喜んでもらおう。僕は必死に走った。それでもみんなは容赦なく僕を追い抜いていった。後ろを振り向くと、卓也君がいた。僕はまだ、どんじりではなかった。僕はどんじりになるのだけは嫌だった。卓也君は真っ赤な顔をして僕に追いつこうと迫ってきた。卓也君も必死だ。卓也君だって、どんじりになりたくはない。卓也君は第三コーナーを曲がったところで、僕に追いつき、追い越した。僕は、ついにどんじりになった。けれど、ゴールまで後わずかのところになって、卓也君のスピードが、みるみる落ちてきた。僕はしめたと思った。その時の僕には、ゴールまでに卓也君を追い抜くだけの力が残っていたのだ。けれど僕は卓也君を追い抜くことが出来なかった。追い抜くわけにはいかなかった。みんなは知らないけれど、僕だけは知っていた。卓也君は生まれつき足が悪いんだ。そんな卓也君が、どんじりにはなりたくないと、歯をくいしばって頑張っているんだ。僕がここで追い抜いて、卓也君がどんじりになったら、卓也君はどんな思いをするだろう。卓也君にだってお父さんやお母さんがいる。卓也君のお父さんやお母さんは、とても悲しい思いをするだろう。僕はどんじりになりたくなかったけれど、誰かが嬉しい思いをすれば、誰かが同じだけ悲しい思いをする。僕はどんじりでゴールした。僕は悔しくなかった。悲しくなんてなかった。僕のお父さんやお母さんは悲しむだろうけれど、僕はこれでいいと思った。僕は賞品なんていらない。僕は競走なんて大嫌いだ!

 ここでテープは、かちゃっという音を立てて止まった。くだんの男の子が、私の顔を見て、にたっと笑った。無気味な笑顔だった。この子はもうすべてを知っている。このテープは私自身の記憶ではない。私が、この場で瞬時に考えついた作り話である。この子は、既にそのことを知っている。私の背広の裾が、無様に扉に挟まっているという、そんなくだらない事実は勿論のこと、私がとてつもない偽善者であること、愛や友情などの美名の下に潜む大人の打算や、人間の真実は「悪」と「欲」にあるということまでも、きっとこの子は見抜いているのだ。私の顔は、脂汗で滲み、脇の下からは、冷や汗が滴り落ちてきた。私は恥じた。自分の偽善を恥じた。瞬時に狡猾な言い訳や物語を考えつく自分の頭脳の俊敏さを恥じた。

 長い長い数分間が過ぎ、電車は終着駅の梅田に着いた。左側の扉に続いて、右側の扉も開いた。待ちに待った瞬間だった。私は、何事もなかったように、威厳をもって電車を降りた。乗り越し精算所の窓口で、おもむろに定期券を示し、差額を払って改札口を出た。改札口を出た私は、地下鉄の乗り場に向かう、大きな群衆の流れに出くわした。
「この流れに沿って、うまく乗り継げば、存外間に合うかもしれない」
 だが私は流れに逆らい、一気に駆け出した。あまたのコギャルを蹴散らし、オバタリアンの間を潜り抜け、よろけ、つまずき、つんのめり、けつまずき、ころびそうになりながらも、私はひたすら走った。額からは汗が飛び散り、背広の裾が、上へ下へ、右に左に、あの大空を舞う鳩の翼のように、自在に羽ばたき舞い上がった。急な階段を疾風のように駆けのぼると、私はついに地上へと躍り出た。
 空はようやく明るさを増し、雲の切れ間からは、太陽が時々顔を覗かせていた。あの乳飲み子を抱えた母親が、タクシー乗り場で車が来るのを待っていた。
「あ、お母さん、飛行機!」
 連れの男の子は、その小さな手を、真っ直ぐに大空に差し出し叫んだ。
「ああ、この子はただの幼い子供だったんだ!」
 私もまた、男の子と同じように空を見上げながら呟き、安堵した。飛行機は、太陽の光を浴びて、くっきりとオレンジ色に光って見えた。