守 ら れ た 約 束

 裏山をなわばりにして、一人の大男が住んでいた。ヘビやネズミをつかまえては食料にしていたが、夜になるとふもとに下りてきて、目新しい食い物はないかと、畑をあさった。
 朝、じいさんが起きてみると、大切に育てていた大根が、根こそぎ掘り起こされていた。この大男のしわざである。じいさんは、とっちめてやろうと思ったが、大男は人前には姿を現さなかった。
 じいさんは、娘と二人で、わずかばかりの畑を耕し、ほそぼそと暮らしていた。畑の一角に小屋を建て、ニワトリも飼っていた。娘は毎朝、産み立ての卵を町まで売りに行き、かいがいしく、じいさんを助けていた。ところがある日、卵を売りに出た娘がいつになっても帰ってこなかった。心配したじいさんが出かけてみると、見るにたえない姿で、娘が近くの川の中で死んでいた。じいさんは、あの大男が娘をたぶらかして、売上の金銭を奪い、娘の服をはぎ、川へ突き落としたに違いないと思った。
 じいさんは、しばらくは娘のなきがらを家に置き、泣き暮らしていたが、裏山に墓を建てて葬った。
 ある日、墓へ参ると、大男が娘の墓のそばで、大の字になって昼寝をしていた。大男は娘が着ていた着物を身にまとっていた。
「その着物はどうした!」
 と、じいさんは大男を問い詰めた。
「昼寝をしていたら、天から降ってきたのだ」
 大男はこう言って、じいさんをからかった。じいさんは地団駄を踏んで悔しがった。
 娘の墓がある裏山は、風光明媚なところで、殿様がしばしば狩りをして楽しんでいた。ところがある日、殿様が大事な刀を落としてしまった。家来と一緒に、日の暮れるまで捜し回ったが、見つけることができなかった。刀は殿様にとっては、かけがいのない宝物だった。
 殿様はおふれを出した。
「刀を見つけてくれたものには、ほうびとして望みのものを与えよう」

 じいさんが娘の墓に参ったとき、山腹でこの刀を見つけた。じいさんは幸運がわしにも巡ってきたと喜んだ。だが、その喜びもつかの間。どこで知ったか、どこからともなく、あの大男が現れて、
「わしのなわばりに落ちていたのだから、ほうびの半分はわしにくれ」
 とすごんだ。娘を殺されたうえに、ほうびまでくれてやるのは悔しいが、じいさんはしぶしぶ約束をした。
 じいさんは早速、城に出向いて、殿様に刀を差し出した。
「おお、これはあっぱれじゃ!」
 殿様は抜き身の刀をかざしながら、たいそう喜んだ。
「約束じゃ。望みのものをなんなりと申せ」
 じいさんはしばらく考えると、
「私は当然のことをしたまででございます」
 と言って、ほうびを受け取ることを拒んだ。
「なにもいらぬと申すのか」
「私は、大切にされている刀が見つかって、お喜びになっているお殿様のお姿を拝見しているだけで幸せでございます」
「だがの、わしは約束したのじゃ。わしは約束は守る男じゃ。礼を尽くしたいのじゃ。遠慮はいらぬ。わしの気持ちも考えてくれんか。それではわしの気がすまんのじゃ。本心を隠すのは罪なことじゃぞ。正直に申せ。人間は正直が一番じゃ。わしはうそをつくやつは大嫌いじゃ!」
「それでは遠慮なく申し上げます。実は私は悪い人間でございます。ここまで長生きできましたのも、人をたぶらかし、人に隠れて悪行を重ねてきたからでございます。どうか私を千回のむち打ちの刑に処していただきたいのでございます」
「なに、むち打ちの刑じゃと? そなたはわしをたぶらかすつもりか!」
 殿様はたいそう怒って、刀のつばに手をかけた。
「わしはそなたにほうびを与えようと申しているのだ。そなたの過去はどうでもよい。過去を責めたりはしない。そなたを決して罰しようとしているのではない。誤解するな」
「誤解ではございません」
「それが本当の願いだというのか」
「さようでございます」
 殿様はうーんとうなると、考え込んでしまった。
「わしはそなたの気持ちがわからん。そなた自身が、それで満足だというのならば、その願いをかなえてやろう」
「ありがたいことでございます」
 殿様は家来を呼んだ。家来はじいさんを後ろ手に縛り上げると、砂利道に座らせた。家来が遠慮がちにじいさんの背を打ち始めた。
「もっと強く、もっと強く、遠慮なさらず。私は罪深い人間でございます。肉が飛び散るほどに、もっと強く打っていただきとうございます」
 家来は殿様の顔をうかがった。殿様は、
「うん」
 とうなずいた。家来は腕に力を込めて打った。じいさんは、打たれるたびに体を弓のようにそらせて、痛みをこらえた。肩から背から、血がにじみ出た。にじみ出た血が、したたり落ちてきた。むちにこびりついた血が飛び散り、じいさんの体が真っ赤に染まった。家来が言った。
「殿様、これ以上打ちますと、命のほうが…」
 家来は気が気でなかった。
「私の命など、どうなってもいいのです。決して力を抜くことなく、なおいっそう強く強く、打ち続けてくだされ!」
 じいさんは家来ににじりよって懇願した。家来はどうしてよいやら迷い、殿様の顔を再びうかがった。
「かまわぬ! 本人のたっての願いじゃから、願いを聞いてやれ!」
 いよいよむちは強く、強く、打たれ、じいさんは耐えきれずに砂利道に突っ伏した。
  五百回目のむちが打たれ、五百一回目になろうとしたとき、息も絶え絶えに、じいさんが、
「し…ば…ら…く…お…ま…ち…く…だ…さ…れ………!」
 と、むちの打つのを制止した。
「お…ね…が…い…で…ご…ざ…い…ま…す………!」
「苦しいか? 苦しいじゃろ。わしはそなたを命の恩人ほどに思っているのじゃ。しかるに、むち打ちの刑とは、わしも心苦しく思っていたのじゃ。今からでも遅くはないぞ。本心を言うのじゃ。そなたの願いをなんなりとかなえてやる。金銀財宝でもいいのじゃぞ」
「い…い…え………け…っ…し…て…わ…た…し…は………そ…の…よ…う…な…も…の…は…の…ぞ…み…ま…せ…ん………」
「それではそなたの願いとはなんじゃ?」
「わ…た…し…は………や…く…そ…く…を…し…ま…し…た………や…く…そ…く…は…や…ぶ…り…た…く…あ…り…ま…せ…ん………や…く…そ…く…を………や…く…そ…く…を…は…た…さ…ず…、………こ…の…ま…ま…い…の…ち…を…お…と…す…の…は………こ…こ…ろ…の…こ…り…で…ござ…い…ま…す………」
「その約束とはなんのことじゃ?」
 じいさんの声は、もはや聞こえなくなった。ただ口をぱくぱく動かしているだけのようである。殿様はじいさんの口元ににじりより、耳を近づけた。殿様はうんうんとうなずいた。殿様が大きくうなずくと、じいさんは息を引き取った。
早速、あの大男が殿様の前に召し出された。
「ほうびの半分をもらいたいというのは、そなたのことか」
「さようでございます」
 大男は、ほくそ笑んだ。
「しかと相違ないな」
「相違ございません」
「そのほうびというのはな…」
 殿様は、みずからむちを手にとった。
「むち打ちの刑じゃー! ありがたく受け取るがよいー!」
 五百一回目のむちが大男の背に打ち下ろされた。
「ヒェー!」
「バシッー」
「ヒェー!」
「バシッー」
 大男の悲鳴とむちの音が、城内まで響き渡った。やがて大男の悲鳴はかすれ、ついに聞こえなくなった。後はただ、静かさの中で、バシッー、バシッーというむちの音だけが聞こえてきた。殿様が、千回目のむちを打ち下ろしたとき、大男の息が絶えた。