流しの下を覗いてごらん

 いつになくしおらしく、苦しみ悶えるあなたのお顔を、私はつらつらうかがっていましたところ、あなたの透き通ったような頬に、一筋の涙が、静かに滴り落ちてきたではないですか。私は、あなたに対する憐憫の情が、ふつふつと湧いてきて、あなたの寂しさが、私の胸に突き刺さりました。私はいたたまれなくなって、「そんなに自分を責めるものではありません」と、あなたの体をひしと抱き締め、慰めてあげたく思いました。けれど、私の身の上では、そうする訳にもいかず、私は遠いところから、あなたに優しく微笑みかけ、「人生に目的はありません。人生は生きるに値しないものなのです。何の目的もなく、何の意義もなく、死んでいくのが人生なのです。あなたがこの世に生まれてきたのは偶然です。偶然の出来事に、理由付けをしようとするから、あなたは苦しまなければならないのです」私は、あなたの苦しみを、少しでも和らげてあげたい一心から、このように話し掛けたのですが、あなたは、私の言葉のどこが気に障ったのか、別人のように翻って、怒りをあらわに、こう叫びました。「人生に生きる目的があるかないかは問題ではない。生きとし生ける物には、生きる権利があるはずだ。こんな私も、生きるに値しない存在だったら、この世に生まれてくるはずはないではないか!」私はびっくり仰天し、肝をつぶしてしまいました。あなたの言うこと、なすことは、すべて支離滅裂です。あなたは柄になく、お酒に酔っていました。きっと、このお酒のせいだったのでしょう。
 いいえ、お酒のせいではありません。私はあなたのことをよく知っています。あなたはいい人です。心が気高く、清らかなお方です。でも、あなたは悪い人です。私は今日まであなたに、どれだけ侮蔑されてきたことか。あなたは貪欲です。傲慢です。残酷です。ひとかけらの情けもありません。あなたは、他人の力を借りなければ、何もできないくせして、他人を思いやる気持ちなんて、これっぽっちも持ってやいません。他人を裏切り、傷付け、殺すことに喜びを感じているとさえ言っても過言ではありません。
 あなたは、自分のことは棚に上げて、私のことを生きるに値しない存在だと言って、目の敵にしています。生きるに値しない存在だったら、こんな私だって、この世に生まれてくるはずはありません。「生きとし生ける物には、生きる権利があるはずだ。生きるに値しない存在だったら、この世に生まれてくるはずはないではないか!」と、いみじくも、あなたは白状したではありませんか。私はしかと聞いていました。だのに、あなたは、私のことになると、眼中になく、一切頓着しないのです。あなたと私には、大した違いはないはずです。こんなひどい差別があっていいものでしょうか。あなたは、自分の命は地球より重たく、私の命は蚤の糞のように軽いとでも思っているのですか。命の重さに軽重があるはずがありません。生きとし生ける物には、一つの命として、平等に生きる権利があるはずです。
 私はあなたが嫌いです。あなたと顔を合わすのも億劫です。ですから、私はいつもあなたを避けて通ります。それでもあなたは、目ざとく私を見付けます。私は挨拶もせず、ただひたすら逃げます。逃げる時は振り向きもいたしません。礼儀の知らない奴だ、卑怯者だ、臆病者だと、こっぴどく批判されても、私は、あなたに刃向かう気持ちなどいささかもありません。あなたと争ってみたところで、私に勝ち目がないことぐらいは分かっていますから。逃げ足の速い奴だと、陰口を叩かれても、ただ一目散に逃げます。そうすることが一番いい方法だと信じているからです。そうすることが、自分だけでなく、あなたの心を傷付けることもなく、互いに平和でいられるであろうと思っているからです。そのことが、あなたには不満なのです。あなたは気に入らないのです。あなたは、見境もなく、滅多矢鱈に暴れ回り、揚げ句の果て、私を取り逃がした自分の醜態がやりきれないのです。地団太を踏んで悔しがるあなたの姿には、理性といったものは、毛ほども感じられません。何もあなたのご機嫌ばっかりとって、おめおめと命を落とすほど、私の命は軽くはないはずです。私は命懸けで逃げているのです。あなたが、私を追っかけるのは、真剣そうに見えても、面白半分です。あなたにとっては気晴らしなんです。何も私を殺さなくったって、あなたは十分生きていけるのですから。あなたは意気地なしです。あなたこそ卑怯者です。臆病者です。あなたにも、正々堂々、自分の命を懸けて私に当たる勇気があったなら、私だって決して逃げたりはいたしません。 
 私はあなたを恐れ、軽蔑しています。それでいながら、私はあなたから離れることができません。あなたに付き従ってみたところで、何の得にもならないことは分かっていますが、心の片隅では、いまだに私は、あなたを美しい人だと思っているからです。あなたを高貴なお方だと信じ、私は明るいうちは中に引っ込んで、暗くなってから出掛けます。出掛けてからも、あなたのお邪魔になってはいけないと、お心を乱してはいけないと、いつも目立たないように、隅の暗いところを選んで、遠慮がちに歩いています。そんな私の心遣いに、たまには優しい言葉の一つくらいは掛けてくださってもよさそうなのに、あなたは、たまに出会った時でさえ、「何しに出て来た!」と言わんばかりに、意地悪く私をにらみつけ、私を恐怖のどん底に突き落とすのです。
 あなたに捕まれば、私は容赦なく殺されます。私の命が、あなたの命を、正当な理由もなく脅かしているというならば、あなたのために、潔く犠牲になって殺されもいたしましょうが、そんな事実もないのに、あなたの身勝手な価値判断だけで、生きるに値しないものとして殺されてはたまりません。私はどんな罪を犯しました。私の行動のどこが間違っているというのでしょう。私は、いつもあなたから、不潔だ、汚らわしいと罵られていますが、単に自分にとって都合が悪い、気に入らないといった理由だけで、罪もないものを殺していいのでしょうか。あなたにとって都合が悪いことが、悪なのですか。あなたにとって都合がいい行いだけが、正しいのですか。あなたは、自分自身の存在こそ悪であるということを御存じないのです。
 悪は欲望から生まれてきます。あなたは、欲望を追い求めていくのが社会の進歩であると思っていますが、欲望の赴くままに行動すれば、誰だって、犯罪者になってしまいます。私にも、欲というものがありますが、欲張るということはいたしません。満足するということを知っているからです。あなたは、満足するということを知りません。あなたは、自ら新たな欲望を作り出しています。だから、いつまでたっても満足することができないでいるのです。満足するということも能力のうちです。あなたには、満足するという能力もないのです。
 あなたは、何でも自分自身でできるように思っていますが、あなただけで、何ができましょう。何もできやしないのです。私たちを仲間はずれにしている限りは、何もできないのです。あなた方は、もはや、自由であることの大切さを叫ぶだけで、何が正しくて、何が間違っているかという価値基準さえ見いだせなくなっています。だから、ちょっとした出来事にも、恐れ、血迷い、慌てふためいている。みっともないと思いませんか。それで知恵ある生き物といえるのでしょうか。何であなた方が、万物の霊長であるものですか。たかだか1,500CCの脳味噌で考えているだけではないですか。私たちには、三億年の歴史があります。あなた方の歴史は、どう古く見ても、数百万年しかないのです。比べものになりません。真の自由とは何か。真の平等と何か。それを知りたければ、私たちも仲間に入れなさい。そうすれば、容易に真理を見付けることもできるでしょう。私たちを侮り、無視しているから、いつまでたっても真理を得られず、苦しまなければならないのです。
 私たちが、どんなに愚鈍であろうと、無知蒙昧であろうと、私たちの生きようとする根源的な力を阻止する権利はあなた方にはありません。個体の生存と、種族を維持するための基本的欲求と衝動は、すべての生き物にあるのです。命あるものは生きていくようにできているのです。これこそ真理です。真理とは正しい道理のことをいうのです。だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実のことをいうのです。すべての生き物、すべての社会、すべての世界に適用されるものを真理というのです。あなた方だけの社会で通用する真理は、偽りの真理です。誤魔化しの真理です。見せ掛けの真理です。私たちの世界でも通用する理屈でなければ、真理ではありません。生きる権利と生きたいという欲望はすべての生き物にあります。これは真理です。
 私たちは、真理を尊重し、生きとし生ける物の関係を支配する崇高な理想を、深く自覚するとともに、平和を愛するものの公正と信義に信頼して、私たちの安全と生存を保持しようと決意しました。平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を、地上から永遠に除去しようと努めている国際社会にあって、名誉ある地位を占めたいと思います。いつかまた、あなた方と出会う時があるでしょうが、私たちは逃げます。ただ、逃げます。一目散に逃げます。卑怯者、臆病者と蔑まれようが、私たちは真理に反する一切の暴力を否定するからです。私たちは、全世界の、生きとし生ける物の平和のために逃げるのです。ただ逃げること。これが私たちにできるあなた方に対する精一杯の反抗です。いや、反抗ではありません。これが私たちの、あなた方に対する愛というものです。
 古池や蛙飛こむ水の音。しづかさや岩にしみ入る蝉の声。犬の遠吠え、鰻の寝床。鵜の目、鷹の目、馬の骨。雀の涙、千鳥足。あひるガーガー、ホーホケキョ。ねずみチューチュー、ぶたブーブー。こおろぎコロコロ、ピーヒョロロ。ひよこピヨピヨ、チンチロリン。かえるゲロゲロ、ねこニャーニャー。テッペンカケタカほととぎす。きつねコンコン、いぬワンワン。ハエハエ、カカカにノミ、シラミ。ダニ、クモ、ムカデに、ヘビ、トカゲ。ミミズ、ナメクジ、カタツムリ。アリ、ハチ、トンボにゲンゴロウ。ミノムシ、スズムシ、クツワムシ。ホタル、カマキリ、キリギリス。イカ、タコ、アワビに、エビ、クラゲ。フナ、コイ、サバに、タイ、ヒラメ。カツオに、マグロに、フグ、ニシン。アユ、マス、アナゴに、ブリ、サンマ。ペンギン、アザラシ、オットセイ。イノシシ、オオカミ、ヤギ、ヒツジ。ウシ、トラ、ライオン、カバ、タヌキ。ヒバリ、コウモリ、ツル、ツバメ。カモメ、オシドリ、カイツブリ。キジ、サギ、モズに、メジロ、カモ。ミミズク、フクロウ、コウノトリ。イモリ、ヤモリに、ハトぽっぽ。クマさん、ゾウさん、ウサギさん・・・
 ああ、もう、私は何を言っているやら、何を書いているやら、分からなくなった。眠い。私の意識が、陽炎のように揺らぎ始めた。いや、私はまだ正気だ。それなら、これは一体何だって? ワープロの故障? 違う。漢字変換できなくなった? いや、違う。冗談? いやいや、それも違う。今の私には、冗談口を叩いている暇はないのだ。私は真剣だ。常に真剣だ。常に真剣に生きてきたのだ。そして今、血を吐く思いで書いているのだ。決して冗談や遊び心で書いているのではない。愚鈍なあなた方に、この地球上の生き物は、あなた方だけではないということを言いたいために書いているのだ。あなた方以外にも、ホレこんなに沢山の生き物がいるのだということを言いたいために書いているのだ。もう書くことも尽きてきたから、こんなことを長々と書き連ねて、原稿料を稼ごうなんて、そんなさもしい魂胆があって書いているのでもない。書きたいことを、原稿用紙1枚で書けと言われれば、きっちりと1枚に収めて書いてみせるわ。書きたくないことでも、1,000枚でも書けと言われれば、一晩で書き上げてみせるわ。私の文才ではどうにでもなるのだ。決して、金銭欲や名誉欲のために書いているのではない。この世界は、あなた方だけのためにあるのではない。生きる権利はあなた方だけにあるのではない。ということを言いたいために書いているのだ。ただ純粋に、生きとし生ける物の、自由と平等と平和のために書いているのだ。
 私たちには、蝶のように美しい羽根はない。だが、あなた方のように、自分を偽って、着飾りさえすれば、いつだって、美しい夜の蝶に変身できるのだ。耳にピアスなど付けて、頬をほんのり紅く染めて、豊満に見せ掛けた乳房を揺らしながら、あなたに近付いて、ご挨拶などして、少しばかり恥じらいの仕種をし、首尾よく、あなたの懐に飛び込んで、あなたの脇の下から、白くお化粧をした顔を覗かせて、ウインクなどして、「温泉に連れてって」「シャネルの香水買ってくださる?」などと、小首を傾げて、おねだりでもすれば、色欲に狂ったあなたは、鼻の下を長くして、「うんうん」と頷いて、「可愛い奴だ」と芋の煮っ転がしか、団子汁ぐらいのご馳走にありつくことができるかもしれないが、私たちは決して、お世辞を言ったり、力のあるものに媚びへつらったり、自分の心を誤魔化し、偽装してまで、あなた方に気に入られようとは思ってはいない。私たちは、栄華を好まず、素朴に、目立たず、謙虚に、健気に、我慢強く、生きてきた。私たちは、嘘を吐いたり、人をだましたり、侮ったり、裏切ったりすることもなく、純粋な心のままで一生を終えるのだ。私たちの社会に、あなた方の狂気を持ち込まないでくれ!
 夜明け烏が、カアと鳴いた。眠い。私は眠い。ペンを持つ手が震えてきた。汗が、体の至るところから吹き出してきた。目からは涙が、とめどもなく滴り落ちてきた。よだれさえ垂れてきた。それでも私は書かねばならない。生きとし生ける物のために書かねばならない。血を吐き、腕折れても、真の自由と、真の平等と、真の平和のために書かねばならない。それが私の義務だ。権利だ。書きたいことは山ほどあるのだ。ええい、もう自分の命は惜しくもない。今は亡き父と母のために、愛する兄と妹のために、子々孫々のために、生きとし生ける物のために、愚痴、中傷、暴言と言われようが、私はあなた方に向かって吠え、唸り、叫び、訴える。力のあるものがこの世を制するのか。それは、あなた方の社会でいう暴力というものではないのか。利己主義とかいうものではないのか。力のないものを助け、慈しむというのが、あなた方のいう愛というものではなかったのか。あなた方は、自由、平等、博愛など、背筋が寒くなるような言葉を信奉し、真理はあなた方を自由にする、などと訳の分からないことを口走っているが、私たちの存在を無視して、そんな美辞麗句を並べ立ててみたところで、何の意味があるというのだ。それはせいぜい、あなた方にとってのみ都合のいい理屈を生み出すための方便でしかない。あなた方の言う美徳は、偽装した悪徳にすぎないのだ。人権人権と騒ぎ立てるな。権利はあなた方だけにあるのではない。生きていくための基本的権利は、永久不可侵の権利として、全ての生き物にあるのだ。なんぴとも、正当な理由もなく、自己の意志に反して命を奪われることはない。あなた方に、私たちの命を奪う正当な理由があるというならば、その理由を即刻開示せよ。あなた方に、たとえ私たちを殺す正当な理由があろうとも、命を奪うからには、明確な基準と、厳格な法的手続きが必要だ。予断と偏見と恣意に満ちた、私たちに対する残虐非道な行為を、私はもうこれ以上黙って放置しておく訳にはいかないのだ。あなた方の、私たちに対する過去の、そして現在の処遇は、暴行である。脅迫である。虐待である。紛れもない差別だ。過去において、私たちに対して犯してきた罪について謝罪しろ。生きる権利と、生きたいという欲望は全ての生き物にある。これは真理だ。真理は尊重し、これに従う義務がある。私たちに力があったなら、きっと私たちは、あなた方の全てを、真理を冒涜した罪によって極刑に処すだろう。真理を冒涜したものは、間違いなく死刑だ。磔刑だ。打ち首、さらし首だ。あなた方は学校で何を教えているのだ。私たちに対する差別の問題をうっちゃらかして、真理と正義を愛する健康な国民を育成することができるとでも思っているのか。あらゆる生命の尊厳であることを教えろ。あなた方の社会に正義はない。思想もない。単に、好き嫌いがあるだけだ。あなた方の社会は、秩序よく見えても、虚偽を真理といいくるめる欺瞞に満ちているのだ。
 私たちは、いつまでこのじめじめとした暗闇の中で生活しなければならないのだ。私たちに健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障しろ。太陽はみんなのものだ。白昼に往来を自由に闊歩する権利を与えろ。どうして私たちは、忍者のように壁にへばりつき、建具のふちにそって、恐れおののきながら、歩きにくい道を歩かなければならないのだ。私たちにも、足の弱くなった年寄りもいれば、よちよち歩きの子供もいるのだ。生きとし生ける物は、真理の下に平等であって、政治的、経済的、社会的関係において、差別されてはならないはずだ。生きとし生ける物は、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有するはずだ。ああ、私たちに、もっと光を。もっと自由を。
 聞け! 聞け! 耳の穴をかっぽじって、よく聞け! わが肉体に宿る魂の叫びを!
(お前はどこの誰だって? まだ分からない? あなたのすぐそばにいますよ。それ、そこの流しの下を覗いてごらん。くれぐれも、そーっとですよ。そーっとね。)