同情の涙はいらない


 精神分裂病。あなたはこの病気について、どれだけの知識がありますか。本人はもとより、その家族の苦しみを考えたことがありますか。精神分裂病。それは今ではごくありふれた病気です。百人に一人の罹患率と言われています。他人ごとではないのです。
 (ご注意:「精神分裂病」という呼称は、差別的で偏見を助長するとされ、日本精神神経学会は2002年8月26日、「統合失調症」への呼称変更を正式に決定しました。)

 私は、玄関の三畳の間で横になり、生暖かい扇風機の風にあたっていました。やがて、打水をすませた玄関先の路上に、真理子が現れたのです。狭い間口に立つ真理子の姿が、逆光に黒い大きな塊のように見えました。
「こっちから見舞いに行かなあかんと思とったのに・・・・・・」
 私は申し訳けなさそうに話し掛けたのですが、真理子は終始うつむきかげんで、私の話し声が真理子の耳に届いたかどうかは定かではありません。真理子は黙ったまま、ゆっくりと畳の上に腰を下ろしました。
「お父ちゃんは?」
 真理子がつぶやくように言いました。
「そこで寝とるがな」
「体の具合・・・・・・悪いんか」
 真理子と私との間で、ようやく会話らしい会話が始まりました。
「いいや、いつもこんなんや。どこといって悪い所はないんやけど、歳には勝てん。頭の方がぼけてしもうて、一日中寝てる時もあるわ。飯の時間や言うてもなかなか起きんのや。・・・・・・なあお父ちゃん! 真理子が帰って来たで! 起きなあかんがな!」
 私は、夫の耳元に口を近付けて叫びました。夫は少しばかり寝返りをうっただけでした。
「やっぱりお父ちゃんはお前の親や。この間も、お前のことを気にして、小遣銭はまだ足りとるか。天気が良かったら銀行へ行って一万円振り込んでやれや、と寝言のように言うとった」
 真理子の額には、汗がにじんでいました。私は、扇風機の羽根を真理子に向けながら、
「ここは暑いやろ。いまどきクーラーのない家なんて、うちだけやろな。クーラー買えるぐらいの金はあるんやけど、お前もよく知ってる通り、お父ちゃんがうんと言わん限りどうしょうもないんや。この家の主はお父ちゃんや。なんぼ言うたかて、最後はお父ちゃんの意に従わざるをえんのや。病院はクーラー入ってるんやろ。病院にいてる方がなんぼかましやと思うけどな。クーラーもないこんな家でもやっぱり帰りたいと思うんか」
 真理子は、しばらく考えるような振りをしてから、おもむろに口を開きました。
「そら、ここが一番ええ。いくら暗くてむさくるしい家でも、ここがええ。なんせ、私が生まれ育った所や」
 真理子は、伏し目がちで、声はくぐもっていました。気分がほぐれてきたのか、正座していた足を崩すと、あぐらになりました。しばらく間があってから、急にまくしたてるように話し出しました。
「お母ちゃん、ここに来るまでにな、角に煙草屋があったやろ。あそこの息子とは同級生やった。そこのおばちゃんな、水まいてはったんや。挨拶せなあかんと思って近付いたんや。目と目とがあったらな、こそこそと身を隠しよるんや」
 私は以前から、真理子の被害妄想には、うんざりさせられてきましたので、
「そんなん気のせいや」
 と、そっけなく答えました。私のそんな受け答えに、真理子は少しばかり興奮したようです。
「お母ちゃん、私は今は正常や。気のせいと違う。近所の人は知っとるんやろ。私が病院に入ってるっていうこと。精神病院に」
「そら、こっちから何も言わんかて、あんなことがあったんやから、隠そうたって隠せもでけへん。すぐに広まるもんや。みんな何も知らない振りしてるだけで、うすうす感じてるわ。そんなこと気にせんでええ。そんなこと気にするから病気になるんや」
「気にせんでええ言われたかってな、気にするのがこの病気や。なあお母ちゃん。何があったんや。私は今は正常や。な、何があったんや。私はその時どうしたんや。頭がカーッとなって来たことまでは覚えとるけど、後のことはかいもく思い出せんのや。気が付くと病院やった!」
 真理子の口調が一段と高くなって、私のいらいらもつのって来ました。
「そんなことは忘れた方がええ」
「忘れるも何も、何も覚えてへん。思い出せんのや。な、私は何をしたんや。あの時何をしたんや。教えてくれや!」
 真理子の声は叫び声に変わっていました。私はあわてて、真理子の気を静めようとしました。
「お母ちゃんはな、何もお前を恨んでへん。病気がそうさせたんやから・・・・・・」
「なあ、どんな悪いことをしたんや。私がすべて悪かったんか。お母ちゃんには苦労かけて来たことは分かってる。そやから、親孝行せなあかんといつも思ってるんや!」
「親孝行なんてお前は考えんでもええ。自分の病気を早いこと治すこと。それが最高の親孝行や」
 それからしばらくして、二人の間に気まずい静寂の時間が流れたのです。そのとき私は、私自身が忘れようとしていたあの日の出来事を、真理子に思い出させてしまった自分の軽率さを後悔しました。

 その日の晩は、これといって変わったことはなく、夫と私の間に真理子の床をこしらえ、私は真理子と夫を気遣いながら、三人が枕を並べて寝たのです。夜中になって気が付くと、真理子が寝巻姿のままで、台所でごそごそしていました。私は、
「そんな所で何してるんや」
 と聞きましたところ、
「私は親孝行せんかったから、バチがあたってこんな病気になったんや。そやから親が生きてるうちに、ちょっとでも親孝行しょうと・・・・・・」
 真理子は、電気もつけずに薄明かりの中で、お茶碗を拭いていたのです。そのお茶碗は、私がすでに綺麗に洗って、籠に伏せておいたものです。真理子はそれを一つ一つ取り出しては、丁寧に拭いていたのです。私は真理子が背を丸めて、一心にお茶碗を拭いている姿を、しばらくじっと眺めていました。そのうち私の目に、熱いものが込み上げて来たのです。真理子は全てのお茶碗を拭き終わると、外に出ようとしました。外は暗く、世間は静まりかえっていました。真理子は裸足で、寝巻姿のままでした。そのうち、眠っていた夫も気が付いて、
「どこへ行くんや」
 と、床に入ったまま、詰問したのです。
「謝りに行くんや!」
 真理子が答えました。最初、私は真理子が誰に何を謝りに行くつもりやら、さっぱり見当が付きませんでした。

 今から数えて十年も前のことになります。あの子は店頭に立って、化粧品を売っていました。商品というものは、店頭に並べていれば万引きにあったり、また運送途中での紛失などがあるものです。ですから、会社は最初から一定の率を損失として見込んでいます。それをいいことに、一線に立つ販売員はみな、多かれ少なかれ自社の商品を猫ばばしています。そんなことは会社の方でも先刻承知のことですが、それが分かっていても、一定の率の範囲内なら、会社も文句を言わないのです。
 真理子は、いつぞや販売員の中でも特に損失が少ないと、誉められたことがあったと言っていました。真理子は根っからの真面目人間でしたから、それは当然のことだったのですが、それでも真理子もまた普通の人間だったのでしょう。損失が少なかったとはいえその損失は、万引きや運送途中での紛失による損失だけではなかったのです。
 真理子は病気が原因で、その会社を辞めたのですが、きっと、真理子は当時のことを思い出したのでしょう。その時の罪悪感がいつまでも心に残っていたのです。
 その夜は何とかなだめてすんだのですが、朝になって、私が買物に出ていたすきに、真理子は出掛けたようです。夕暮れ近くになって、真理子が帰って来ました。私は、ことの顛末を知りたくて、真理子から概略次のような話を聞き出しました。当時は真理子の同僚だった高倉という女が、課長席に座っていて、真理子に向かってこう言ったそうです。
「あんたは真面目やったなあ。そやけど、真面目だけでは世の中渡っていかれへんで。あんたの真面目は頭に糞のつく真面目や。人間、糞が付いたら臭うていかん。頭も体も綺麗に洗って、出直して来いや。十年も前のこと誰が覚えとるか。第一、時効やがな。どうしょうもないわ。あんたは病気で辞めたんやってな。あんたの病気っていうのは、精神病やったんか。あれは治らん病気や」

 私は、わが娘真理子の病気の原因を、常々考えていました。夫は、近所でも型破りの堅物人間で通っていました。それはそれは真面目一方の人間でした。そんな父を親に持つ真理子でしたが、十代のころには映画俳優にあこがれ、歌や果ては洋舞まで習いに行っていました。何一つ長続きするものはありませんでしたが、根は真面目な子でしたので、金銭をごまかしたり、人をだましたりは決していたしませんでした。
「お母ちゃん。私はほんまに真面目やな。自分でもそう思う。糞真面目や。いつもみんなそう言うよる。何をしても真面目や、真面目や言われて、もううんざりや」
 真理子が何度も愚痴をこぼしていたことを覚えています。真理子は学問はできませんでしたが、それゆえに、本人も自覚して誰よりも真面目一方に働いていたのです。
「あそこの親父は糞真面目だから、あんな病人が出たんじゃ」
 そんな声が、私の耳に幻聴のように聞こえて来ることがあります。人間、真面目だけではいけなかったのですね。真面目過ぎたのがいけなかったのですね。真面目も度が過ぎると、笑い物にされるのですね。夫の、そして私の教育が間違っていたのでしょうか。多少不真面目な人間に育てた方が、かえって良かったのかも知れません。小さな迷惑を掛けても、あの時のような大きな迷惑を、世間様から恐れられるような迷惑を掛けることはなかったのですから。

 真理子の行動は、世間一般の評価からは、確かに異常でありましょう。でも、本質的に異常と断定していいものでしょうか。十年も前の不祥事でも、電車に乗ってまで謝りに行く心優しい繊細な感覚を、「異常」と決めつけていいものでしょうか。正常で生きていられること、それは大変幸せなことですが、不正欺瞞に満ちた今の社会に、何の心の病にもかからずに生きていられる人間こそ、どれほど罪深く、不誠実極まりない人間かしれたものではありません。私たちの生きている社会は、不正と欺瞞に満ちています。よほど要領よく生きて行かないと、正直ものは押し潰されてしまいます。今の社会にあって、正義とは何なんでしょう。「健康」と言われる人々は、社会の不正や矛盾に気付きながらも、適当に妥協しながら、要領よく生きています。
 「健康」なあなたに申し上げます。あなたは精神に異常を来すほど、真剣に、真面目に、物事の本質について、正義について、平等ということについて、考えたことがありますか。世間の彼女に対する「真面目」という言葉が、どれだけあの子の心を傷つけていたことか。今では「真面目」という言葉は、他人を軽蔑する言葉として使われているような気がします。真面目であることが軽蔑される世の中。そんな社会が悪いのではないでしょうか。わが娘こそ正常ではないのでしょうか。精神障害者にもならずに、ずうずうしく生きている人間こそ、異常ではないのでしょうか。真理子のような病気になる人には、現代社会の中で、健康に生きている人々が失ったものを持っているのです。正義に対する正常な感覚と、繊細で優しい心を。
「精神障害者こそ正常な人間である!」
 私は高らかにこう叫びたいのです。

「わしの教育方針は間違っておらんかった」
 夫は、かたくなにも、こんな言葉を残して他界しました。私は七十を数える歳となりました。夫は、私のような老婆が、余生を送っていけるだけの財産は残してくれましたが、真理子はまだ三十八歳です。健康ならば、働き盛りの年齢でありましょう。真理子に婿でもいれば、どうにかなったでしょうが、いまさら真理子の歳で、第一こんな病気で、婿に来るものもいないでしょう。
 真理子にも、病気にかかる前には恋人がいたようです。真理子が初めて入院して間もなく、有本という男が訪ねて来ました。私は真理子が入院していることを、正直に話しましたところ、入院している病院の住所を教えてくれと言うので教えました。その日の夕方、彼は再び私の家を訪ねて来ました。
「申し訳けございません」
 彼は一言そう言っただけで、深々と頭を下げると、足早に去って行きました。その後のいつの日かは忘れましたが、真理子に彼が見舞に来たかどうかを尋ねたことを覚えています。
「けえへん。そんなん、当たり前や。私は病気やで。それもただの病気やない。精神病や。自分かて、そんな病人と友達になるのは嫌や。すぐにでも別れるわ。人間てな、みなそういうもんや」
 彼はきっとあの日、真理子の入院している病院を訪ねたことでしょう。そこで、真理子に会うまでもなく、彼女が精神病であることを知って、ショックを受けたのです。彼は真理子から去って行きました。もしかしたら、彼こそ真理子を救うことができたのではと思うと、残念でなりません。

 最近の真理子は、本気で退院したがっています。今の病院は、退院後の真理子の生活まで面倒を見てはくれません。高血圧と腰痛とに日々苦しめられ、自分一人の身でさえままならないこんな老婆に、退院後の真理子のために、何ができるというのでしょう。
 身体障害者や知的障害者に対する人々の関心は高まり、法の保護も手厚くなって来ています。でも、精神障害者に対する世間の目は冷たいと思います。精神障害者に対する社会の処遇、人々の意識は遅れています。それはどうしてでしょうか。精神障害者自身が、またその家族が、主張しないからです。なぜ主張しないのでしょう。自分が精神障害者であること、家族に精神障害者のいることを、世間に知れたくないからです。どうして知れたくないのでしょう。人間の社会に問題があり、社会がつくりだした病気でも、こと精神病に関しては、社会の問題ではなく、その人個人や、その家族に問題があるとされてしまうからです。
 精神障害者を抱える家族の苦労は、あまり知られていないのではないでしょうか。家族も疲れ切っているのです。それゆえ、拘禁主義に期待する家族もいます。そんな家族を非難する人もいます。
 私は、あらゆる非難を覚悟の上で申し上げます。どのような非難や糾弾を受けようとも、私は主張します。いわゆる人間というものは「差別する生き物である」と。実の母である私でさえ、真理子が幻聴と幻覚と、被害妄想のただ中にあるときは、「いっそ死んでくれたら」と何度思ったことか知れません。それは自分に素直な気持ちでした。それは差別だ、偏見だと、どのように非難されようが、私は真実、そう思いました。私は、そう思う自分自身を恥ずかしいとは思いません。私は当事者です。精神障害者を抱える家族です。差別や偏見はいけない。そんなことは、理念としては分かっているのです。私は、当事者でもないものが、当事者の苦労も知らず、差別だ偏見だと言って騒ぐのに我慢できないのです。

 人は悲しい映画を見て、涙を流します。あなたもまた、同情の涙を流せる優しい心の持ち主でいらっしゃることでしょう。それでは、今日から早速、わが娘真理子の面倒を見ていただけるでしょうか。真理子は、あなたにとっては親でもない。子でもない。兄弟姉妹でもない。何の血のつながりもない赤の他人です。それだけでなく、真理子は障害者です。精神障害者です。何をしでかすか分からない精神分裂病のキチガイです。あなたが、真理子の面倒を心底引き受けていただけるなら、金に糸目は付けません。それでも素直なあなたなら、「よしてくれ」と叫ぶでありましょう。同情で涙を流すことがあっても、自分が悲劇の当事者になるのは御免こうむりたいというのが本音なのです。
 いま世界のどこかで、戦争や災害で、何十万人、何百万人の人々が飢餓で苦しんでいます。そんな事情を知って、あなたは食事の量を控えたことがありますか。そんなこととは関係なく、たらふく食っているのが現状ではないでしょうか。自分の鼻の先にできた小さな吹き出物が、自分にとっては最大の関心事なのです。
 私は、一部の慈善家、篤志家を信じておりません。彼らにはそれほど当事者の苦しみなんか分かっちゃいないのです。これは真実、精神障害者を持つ私が、その苦しみの中から知ったことです。彼らは自分の生活時間の一部分を犠牲にして、手助けはいたします。手助け、それはあくまでも第三者の立場に立っているにすぎません。苦しみの当事者になるのはまっぴら御免なのです。自己満足のために、「恵まれない人々」のために、「お恵み」や「施しもの」として、ほんのわずかの自分の時間を提供しているにすぎないのです。私は、ボランティアとしてわが娘真理子の面倒を見て来たわけではありません。真理子は私の娘です。私と生活をともにし、私は誰よりもわが娘を愛して来ました。それゆえ、朝から晩まで、いえいえそんななまやさしいことではありません。朝から晩まで、晩から朝まで、自分の生活時間のすべてを真理子のために捧げて来たのです。私が、昼夜、真理子の異常な行動に悩まされながらも、耐え忍んで来れたのも、真理子が私の娘だったからです。自分自身の問題だったからです。
「人間は差別する生き物である」こんなことを言う私は間違っているのでしょうか。私は、真の問題解決のために、ものごとを奇麗事に終わらせたくないのです。私は、当事者でないものが、やれ差別だ、偏見だと言って騒ぐのに我慢できないのです。私は当事者です。当事者だから自信を持って言うのです。当事者だから自信を持って言うことができるのです。当事者だから、言う権利があるのです。同情だけでは決して差別の意識や偏見はなくなりません。同情の涙は誰にだって流せるのです。同情の涙はいりません。あなたが可哀想と感じ、いくら涙を流してみても、問題は何一つ、解決しないのです。同情で真理子の病気が治る訳がないのです。当事者でないものが、やれ差別だ偏見だと言って騒ぐのは、空虚な戯言だと思うのです。他人の苦しみを知るには、自分が苦しみの当事者になることです。自分が足をなくし、腕をなくし、半身不随となり、自分自身が悩み、苦しみ、障害者となり、また障害者の家族となってみて初めて、当事者の苦しみが理解できるのです。

「私はいつ退院できるん」
「完全に治ったらや」
「こんな病気、完全に治ることってあらへん。みんなそう言うとった。一生治らんで」
「治らん治らん思ってたら、いつまでたっても治らんわ」
「そやかて、もういい加減退院したいわ。お母ちゃん、退院しょうとしたらな、外泊せなあかんねん。外泊何回もしてな、何ともないという実績をつくらんと、いつまでも退院できんのや。外泊するにはな、親の許可がいるんや。なあ、お母ちゃん。外泊してもいいやろ」
 私は真実、真理子が外泊できるほどに元気になってくれるのはうれしいのです。一時的にしろ健康が回復し、親子が一つ屋根の下で暮らせるということが、どれだけ幸せなことか。真理子の外泊したいという電話からは、真理子が真理子なりにがんばっている姿が痛いほど伝わって来るのですが、私はどうしても不安を拭えないのです。あんなことがあってからは、あの子が帰って来るたびに、「いつ何をしでかすか分からない」という恐怖におののきながら、一睡もできずに夜をすごさなければならないのですから。
 誰よりも真面目に生きて来ながら、職場では真面目であることを侮蔑され、精神病だからといって、恋人には去られ、社会からは異常者として追われ、行き着く所は精神病院。思えば、彼女を救うことができるとしたら、家族しかいないのです。私はもう、自分の肉体と精神がどのように崩壊しようと、余命をこの娘に捧げる決心です。誰よりも真面目に生きてきた娘だから。真面目であることを、社会からどのように侮蔑されようと、わが夫の、そして私の、真理子に対する教育は間違っていなかったと確信しています。

10

 今日もまた、真理子が二泊三日の外泊を終え、病院に戻る時間がやって来ました。真理子は、病院に帰ることが当然であるかのように、素早く身支度をすると黙って家を出ました。真理子の元気な姿を見ると、いつまでも入院させていることが不憫でなりません。真理子が退院できる日はいつ来るのでしょうか。あの子は今、何を考えて生きているのでしょうか。母である私でさえ分かりません。私が死んだあと、誰が面倒を見てくれるというのでしょうか。真理子のことを考えると死ぬこともままならない思いです。
 身体障害者であろうと、精神障害者であろうと、人間には、人それぞれの生き方があります。この世に人間として存在する仕方は、多種多様です。
「真理子よ。私がいなくなっても、自分なりの生き方を、自分なりに見つけて、幸せな人生を送ってほしい」
 私は、茜色に染まった空に、真理子の後ろ姿が吸い込まれて行くのを、腰痛をこらえながら、いつまでも見送っていました。