blog お母さん

お 母 さ ん

 粉雪の舞う寒い夜でした。ユリちゃんが、今日も一人でお留守番をしていると、玄関のチャイムが鳴りました。ユリちゃんは、お母さんがお仕事から帰って来たのかな、と思いました。でも、少し変です。お母さんならすぐに「ユリちゃん開けて!」って、お母さんの声がするのに、だれの声も聞こえてきません。ユリちゃんが考えていると、またチャイムが鳴りました。ユリちゃんは不安になりました。玄関に走り、ドアを少しだけ開けてみました。外は暗く、雪がちらちら降っていました。冷たい風がユリちゃんのほおを何度もなでてとおりすぎるだけで、人影はありませんでした。
(風のいたずらかな)
 そう思ってドアを閉めようとしたとき、
「ユリちゃん、ユリちゃん」
 だれかが、ユリちゃんを呼ぶ声が聞こえてきます。お母さんの声ではありません。ユリちゃんは、閉めかけたドアを開けてみました。急に強い風が吹いて、ドアがユリちゃんの体と一緒に吹き飛ばされるように開きました。さっき見たときには、だれもいなかったのに、白いヒゲに赤い服を着たおじさんが、体をふるわせながら立っていました。顔を見ると真ん丸で、すぐにお父さんだって、ユリちゃんにはわかりました。
 お父さんは、たいへん疲れている様子でした。左手には大きなカバンを下げていました。カバンは白い色をしていましたが、水にグッショリぬれていて、黒く見えました。右手には、青い目をしたお人形さんを持っていました。お父さんはニコニコしながら、お人形さんをユリちゃんに差し出すと、だまって雪の中に消えていきました。
 お人形さんの顔には雪がかかっていました。お人形さんの赤い服は、シットリと水にぬれているようでした。ユリちゃんはお人形さんを抱いたまま、暖かいトコの中で、知らないうちに眠ってしまいました。

「ユリちゃん、ユリちゃん」
 ユリちゃんはお父さんの呼ぶ声に目を覚ましました。ユリちゃんはお父さんの声がする玄関のほうに走りました。ドアを開けて、あたりを見渡しましたが、お父さんの姿はありませんでした。真っ暗の夜空から、白い雪が静かに舞い落ちているだけでした。おうちの中に戻って、お父さんからいただいたお人形さんをさがしましたが、どこにも見当たりませんでした。ユリちゃんは、夢を見ていたのです。

 ユリちゃんのお父さんは一年前、外国からの出張の帰り、飛行機の事故で死んだのです。お父さんの乗っていた飛行機は、深く冷たい海の底に沈んでしまいましたが、お父さんの遺体はいまだにユリちゃんのおうちに帰って来ません。だからユリちゃんは、今でもお父さんはどこかで生きていて、きっといつかユリちゃんが眠っているあいだに、おうちに帰って来るって信じています。

 ユリちゃんのお母さんは、ユリちゃんのお父さんが飛行機事故で亡くなってからは、毎日、朝早く起きて、夜遅くまで働いています。ユリちゃんは、いつも一人でテレビを見ながら、お母さんが帰って来るのを待っていました。「ドラえもん」「ムーミン」「魔法使いサリー」「アンパンマン」「一休さん」「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」。テレビ漫画の主題歌は、ユリちゃんはいつも見ているので、みんな覚えてしまいました。

 クリスマスの日。おとなりのマリちゃんやお向かいのミキちゃんは、やさしいお父さんがいて、おみやげだと言ってお父さんから、ケーキやらお人形さんをいただいたそうです。だのにユリちゃんは、今日も一人でさびしくテレビを見ながら、お母さんの帰りを待っていました。ユリちゃんのお母さんは夜遅くなっても、お仕事から帰って来ませんでした。

 クリスマスも過ぎて、もうすぐお正月という日。お母さんが、いつもよりとても早く、おうちに帰って来ました。ユリちゃんは、うれしくてたまりません。
「ユリちゃんね。今日、お母さん、ボーナスいただいたのよ」
 お母さんはニコニコして、ユリちゃんに言いました。ユリちゃんのお母さんは、いつも仕事が忙しくて、ユリちゃんにおみやげを買って帰れない日々が続いていました。お母さんは、いつもユリちゃんのことが気になっていたのです。
「だからね、ユリちゃん。今日はなにも遠慮しなくていいのよ。ユリちゃんの一番ほしいものをなんでも買ってあげるから」
 けれども、ユリちゃんにはわかっていたのです。お母さんだって、自分のためにきれいな服や、お化粧の道具も買いたいと思ってることを。そして、お母さんは、ほんとうにお仕事で疲れているっていうことも。これからお夕飯のお支度もしなきゃならないし。もうすぐお正月。おうちのお掃除だってまだ済んでいません。
「ユリちゃん、お掃除手伝う」
「ユリちゃん、今日はね、お母さんのことは心配しなくったっていいのよ」
「ユリちゃん、なにもほしいもんてないもん」
「どうして? ユリちゃん、今日は少しおかしいわよ」
「ユリちゃん、おかしくなんてない」
「今日はね、正直に言っていいのよ。ユリちゃんがね、ほんとうに買ってほしいものはなんなの。ユリちゃんが一番好きなものを、ケーキだって、お人形さんだって、なんだって買ってあげるんだから」
「ユリちゃんはね・・・、ユリちゃんは・・・」
「ユリちゃん、ユリちゃんばかり言ってたって、ユリちゃんのほしいものがなにか、お母さんには少しもわからないわ」
「ユリちゃんはね、ユリちゃんは、・・・ケーキなんていらない。お人形さんだって、みんなみんないらない!」
「どうして? ユリちゃんやっぱり少しおかしいわ」
「ユリちゃん、おかしくなんてない」
「今日はお母さん、大切なお仕事も中途でおいて、ユリちゃんのためにって、早く帰って来たのよ。ユリちゃんがね、ほんとうに買ってほしいものってなんなの。お母さん、怒るわよ!」
「ユリちゃんはね・・・、ユリちゃんは・・・」
 ユリちゃんの目には涙がにじんできました。
「ユリちゃんはね、ユリちゃんは、・・・お母さんさえ、早く帰って来てくれれば、それでいいの!」
 そう言うとユリちゃんは、いきなりお母さんのひざにしがみついたのです。お母さんはびっくりして、ユリちゃんを抱き寄せ、ユリちゃんの顔を見下ろしました。ユリちゃんの目からは、大きな涙がこぼれて落ちました。