鳩の恩返し

 村の田んぼや畑は、日照りの日が続いて、干し上がっていました。村の人たちは毎日欠かさず、仏様の前で手を合わせたり、神官を呼んでは雨乞いをしましたが、雨は一滴も降りませんでした。穀物は育たず、村の人たちは飢えに苦しんでいました。
 この村には野鳩の親子が住んでいました。この鳩の親子にも、もう食べるものといえば二十粒の豆が残っているだけでした。この二十粒の豆は、子どもたちのためにと、お母さんの鳩が、落ち穂から拾い集めてきたものです。
「この豆は一粒あれば一日生きられます。兄弟二人で仲良く分け合って食べれば、この先十日は生き延びることが出来るでしょう」
 お母さんの鳩は、兄弟の鳩を前にしてこう諭しました。
「ぼくたちはそれでいいけど、それではお母さんの分がないじゃーないか」
 兄弟の鳩が不安そうに口々に言いました。お母さん鳩は病気でした。食べる元気もないほど疲れ果てていました。豆は一粒あれば一日生きられるといっても、病気のお母さん鳩は、無理をしてでも一日に二粒は食べないと死んでしまいます。
「お母さんのことは気にしなくていいのよ。あなた方はまだ若い。せっかくこの世に生まれてきたのだから、生きる楽しみを知らずに死んでしまうのはかわいそうです。お母さんの分まで、少しでも長生きをしてちょうだい。お母さんはね、この先もう一粒だけいただければそれで十分です」
「一粒だけでいいって? それじゃお母さん、死んじゃうよ!」
 まだ口ばしの黄色い弟の鳩が、兄の鳩の顔とお母さん鳩の顔を交互に見ながら言いました。
「お母さんの命は今日限りでいいの。お母さんはもう十分楽しい生活を送ってきました。悔いはありません。ただ、お母さん、死ぬ前に一つだけ、どうしてもしておきたいことがあるの。それを済ませてからお母さん天国に行きます」
「天国って?」
「お父さんのいるところよ」
 お母さん鳩はにっこり笑って答えました。
 お父さん鳩は弟の鳩が生まれて間もなく、飢えのために死にました。お父さん鳩のナキガラを見つけた村の人たちは、海の見渡せる丘の上に、お父さん鳩のためにお墓を建てて、手厚く葬りました。そのお墓は、村のはずれにあって、まだ小さい兄弟鳩にとっては決して行くことが出来ない遠いところにありました。
「お母さん、行っちゃいやだよ、天国になんて行っちゃーいやだよー!」
「お母さんがいないのに長生きしたって意味がない。死ぬんだったらお母さんと一緒に死にたーい!」
「ぼくたち、お母さんがいてたから、これまで安心して生きてこれたんだ!」
「不満があって文句を言っても、お母さんはいつも優しく受け止めてくれたし、お母さんの笑顔が見れたから楽しかったし、お母さんが死んでしまったらぼくたち、生きる目的がなくなるよー!」
 弟の鳩と兄の鳩は、うろたえ、交互に泣き叫びました。
「あなた方は食べものが尽きる頃には、お母さんに頼らなくても、十分一人立ちすることが出来るようになっていることでしょう。だから、あなた方にとってこのお母さんはもう必要ないのです」
 お母さん鳩は一粒の豆を口ばしにくわえて、最後の力を振り絞って飛び立ちました。

 兄弟鳩は朝、目を覚ますと互いに顔を見合わせて泣きました、昼になると泣き、夜になると一層大きな声で泣き叫びました。お母さんと一緒に暮らしていた時の楽しい思い出が、浮かんでは消え、浮かんでは消えました。そんな日が十日続いて、いよいよ食べるものもなくなってしまいました。
「お母さん、本当に死んじゃったのかなあ。お母さん、天国に行くって言ってたけど、天国ってどこにあるの」
 泣き疲れた弟の鳩が悲しい顔で兄の鳩にたずねました。
「それはね、この青い空を突き抜けた遠いところにあるのさ」
「ぼくも天国に行きたい。そこに行けばお母さんに会えるんだね」
「そうさ。でも天国に行くにはね、お母さんのようにもっともっと大きくなって、青いお空を自由に飛び回ることが出来るようにならないと行けないんだ。そんな遠い遠いところにあるのさ。ぼくたちはまだ小さいから無理だね」
「小さいから無理って?」
 弟の鳩にこう問い返されて、兄の鳩ははたと気がつきました。「あなた方は食べものが尽きる頃には、お母さんに頼らなくても、十分一人立ちすることが出来るようになっていることでしょう」と言ったお母さんのことばを思い出したのです。
 兄の鳩は翼を大きく広げて羽ばたきました。弟の鳩も兄の鳩に見習って羽ばたきました。そしたらどうでしょう。兄の鳩も弟の鳩も、ふわりと体が浮いたではありませんか。
「お兄さん、ぼくたち、もう飛べるよ。ぼくたちもうずっと前から飛べる力があったんだ!」
「そうだ! もうぼくたちは飛べるんだ! お母さんの力をかりなくても、飛べるんだ!」
 これまで兄弟鳩はいつもお母さんのそばにいて、お母さんにばっかり頼って生きてきました。お母さんとお別れしてからも、ただ悲しくて泣いているばかりでした。だから、もう自分の力で大空を舞うことの出来る力が自分たちに備わっていることに気付かなかったのです。

 最初に兄の鳩が勢いよく羽ばたき、巣を離れました。
「さあこれからお母さんに会いに行こう。ぼくについておいで!」
 兄に促されて、弟の鳩も飛び立ちました。もう兄の鳩も弟の鳩も天空を得意満面に駆け巡っています。
「天国へ行くには、天国へ登る階段があるって、いつかお母さんが言ってたよ」
「その階段をこれから探しに行くんだ! そしてお母さんに会うんだ!」
 空の上から眺めても、あたり一面枯れ野原が広がっているだけでした。しばらく飛んで村のはずれまで来た時、茶色の砂浜のように見えるところに、かすかに緑の点が見えました。
「あそこに下りてみよう!」
 そこは小さなお墓でした。村の人がそのナキガラを手厚く葬ったという、兄弟鳩のお父さんのお墓でした。そのお墓のすぐ横にわずかばかりの水溜りがあって、そこにお母さん鳩は首を突っ込んで死んでいました。兄弟鳩と別れたあの日、お母さん鳩は一粒の豆をくわえてここまでたどり着き、ここで力が尽きたんです。お母さん鳩は安らかな顔をしていて、眠っているようでした。お母さん鳩の口ばしからは一本の緑色をしたつるがお墓に向かって生えていました。お墓に届いたつるの先は、そこからは無数に枝分かれして、お墓を抱きかかえるように、覆い尽くしていました。つるの先は各々、天に届けとばかりに空に向かって突き出ていました。つるには沢山の豆が実っていました。
 このお墓のそばの小さな水溜りは、どんなに日照りが続いても涸れることはありませんでした。つるはいつも青々と茂っていて、いつも沢山の実がなっていました。兄弟鳩はそれを食べて、お母さん鳩の分まで末永く生きたということです。
 今でもこのお墓は海の見渡せる丘の上にあって、雨が降らないで困っている時、村の人たちはこのお墓にお祈りをします。すると、決まって雨が降り出します。お父さん鳩を手厚く葬ってくれた村の人たちに対するお母さん鳩の、これが命をかけた恩返しだったとしか思えません。つるは今でも天に届けとばかりにのび続けていることでしょう。