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[コスモス文学賞受賞作品]

老 婆

 日曜日の朝、咲子が愚痴をこぼす。
「ねえ、あなたからもおっしゃってくださらない」
 私は、食卓を前に新聞を広げ、朝食をせわしなくかきこんでいた。
「今は時代が変わったのよ。お母様はそのことがわかっていらっしゃらないの。ご近所の人に見られたら、私か゛お母様をいじめているとでも思われるわ。それがかなわないのよ」
 私は、こういう問題にはかかわりたくなかった。かかわればかかわるほど、母と咲子の関係が気まずくなるような気がして、いつも聞き流しているのだ。
「いっそ体が不自由で、外に出られないのなら人目にふれないからいいけど、お母様はまだまだ元気でいらっしゃるから、天気のいい日は、あのままの格好で、気にもなさらずに散歩に出られるのよ。この間も、セーターに穴があいたので、継ぎをあてろとおっしゃるの。今時あんなに分厚い生地の服ってありっこないわ。あっちもこっちも継ぎだらけよ。私は面倒で言っているんじゃないのよ。美香がおばあちゃんにって、わざわざ買ってきた服があるのに、箪笥にいつまでもしまったままで、それこそもったいないわ。それをいくら勧めても、着ようとなさらないのよ」
 私は咲子の顔色をうかがいながら、生返事を繰り返していた。

 私は一年前、家を買った。狭いながらも庭付きで、咲子は満足している。この四月の人事異動では部長に昇格した。年齢的には早くもない出世だったが、咲子も喜んでくれた。家には病気がちの母がいて、咲子には何かと面倒を掛けてはいるが、咲子の苦労や不満は、今のところたかがしれている。咲子の愚痴もそれほど深刻ではない。
「仕方がないわね」
 一言つぶやくと、洗濯やら家の片付けに精を出すのだ。私は、せわしなく立ち働く咲子を横目に、タイミングを見計らって腰を上げた。
「ちょっと出掛けてくる」
「出掛けてくるって、どちらへ・・・」
「部下に門田というのがおってな。市内の賃貸マンションに住んでいる。家賃や管理費が高いといって、いつもぼやいている奴だ。最近恋人ができて結婚するらしい。この際、家を買いたいといってね。頼まれたことだし、色々と相談に乗ってやろうと思ってね」
「何もあなたのほうから、のこのこと出掛けていく必要なんかないじゃないの」
 咲子は少し膨れてみせた。
「仕事を離れても、部下の面倒をみてやる。部下の機嫌をとらないと部長の職も務まらんのだ」
 咲子には最初から、私の話が口実であることがわかっている。だから、咲子もこれ以上問い詰めたりはしない。アイロンのかかったワイシャツにハンカチ、薄手の靴下を手際よく箪笥から取り出すと、私に手渡しながら、
「で、お帰りはいつ・・・」
「職場ではゆっくり話す機会もないからな。少し遅くなるかもしれん。夕飯はいらない」
 咲子は良くできた嫁だ。嫁と姑の関係が、今まで決定的な破綻に至らず今日まできたのも、咲子のおかげといっていい。私が出掛けると言ったとき、咲子が膨れっ面をしてみせたのも、本心からではない。
「お土産なんていらないわよ」
 咲子の口から出る皮肉も、冗談でしかない。

 後ろめたい気持ちを引きずりながらも、私の心は弾んでいた。これからあこがれの避暑地に出掛けるのだ。いつもの年なら家にこもり、ぐたぐたと無為に過ごしていた盆休みだが、咲子にとっても、かえってこのほうがいいのかもしれない。
 私は、歩きながらズボンの後ろポケットに手をやると、ほくそ笑んだ。今日の軍資金は二万円。この軍資金が二倍、三倍になって返ってくるか、はたまたすってんてんになって惨めな思いを味わうかは、神のみぞ知ることである。たとえすってんてんになっても、ほかにこれといって趣味のない私にとっては安い楽しみである。
 開店間もなくとはいえ、店内は充分に冷えていた。客もまばらで、台を選ぶのに不自由はなかった。こんなとき私はいつも、端の台を選ぶのだ。端は方隣に人がいないので、ゆったりと座れるし、私は端に福ありと信じているからである。
 私がパチンコに凝り出したのは、つい最近のことである。この四月の人事異動で、渉外課の若手の男が、私のいる企画部に配属となった。これが大のパチンコ狂いで、それが門田だった。最初は興味を感じなかった私も、門田に誘われて足しげく通ううち、やみつきになった。しばらくは門田と行動を共にしていたが、最近は一人で行くようになった。
 私がパチンコにのめり込むようになったのも、パチンコは没我の世界に浸れるからだ。パチンコの玉がガラスに当たって弾ける音や、聞きたくもない歌謡曲がかかっていても、そんな騒音も耳に入らないほど、たった一人の世界に浸れるからだ。そこには自分だけの世界がある。勝っても負けても、何も考えずに、そんな時間の持てる場所が好きだった。私はいつも、「蛍の光」が流れる閉店時間まで、居座っていた。
 私がパチンコをしていることは咲子も知っている。ある日咲子が、私の傘を広げると、パチンコの玉が、バラバラと降ってきたそうだ。だが、私がこれほどまでに狂っているとは、咲子も思っていまい。
 ここには、色々な人々が集まってくる。地下たび姿のオッチャン、買い物帰りの主婦、バーのホステス、ジーパンをはいた青年や娘、会社の社長さんもいる。色々違った人生を歩んでいる人たちが、複雑な人間関係や、仕事の疲れを癒すために、ここに逃れてくるのだ。
 私はいつもの通り、端の台を陣取る。最近は一般台には興味がなく、フィーバーに凝っている。
白い背広に白い靴。一目でヤッチャンとわかるニイチャンが、私の隣に腰を据えた。チューインガムをかみながら、股を広げ、長期戦の構えだ。私は、さっきまで浮き浮きしていた気分が吹っ飛んだ。早くどこかの台に移ってくれないかと、心の中で念じていた。運よく私は玉切れで、これを機会にほかの台に移ろうと、最後に残った四回の保留玉の回転を、虚ろな眼で眺めていた。
「214」
「356」
「475」
「777! 」
 な、なんと! なんと! 大当たり!  私はあわててポケットに手を入れ、まさぐった。
 ない!
 ない!
 小銭がない!
 ほんの十数秒の勝負に、両替し、玉を買いに行く暇などない。私が、なすすべもなくうろたえていると、隣の怖いニイチャンが、自分の台の玉を一握りすると何気なく私の受け皿に放り込んでくれた。
「すみません」
 感謝の言葉を返したが、店内の騒音で、ニイチャンの耳には聞こえなかったろう。ニイチャンは、しかめっ面のまま、私の台の玉の流れを見守るように、視線を流していた。玉は途切れることもなく、受け皿にたまった。玉は大箱一杯になり、フィーバーは無事終了した。最後に残された四回の保留玉が、せわしなく回り始めた。私の胸は騒いだ。
「921」
「436」
「189」
「333! 」
 またまたフィーバー!
 ダブルフィーバーだ!
 玉がアタッカーに吸い込まれていく。玉はとめどもなく流れ出て、大箱からバラバラとこぼれ始めた。私にとっては、初めての経験。ただオロオロするばかりだった。私は、要領がわからず、急いで空箱を取りに走った。背で、私を呼び止める大きな声がした。私は立ち止まった。隣の怖いニイチャンが、
「ボタン押さんかい!」
 私は、このニイチャンの言を信じて、言われるままにボタンを押した。そのわずかの間にも、玉は洪水となってこぼれ続けた。台の上のボタンを押すと、店員が箱を持ってきてくれるらしい。だが一向に、やってくる気配がない。
「ホラホラ兄ちゃん! ダブルやでー! 早よー、箱持ってきたらんかい! 」
 怖いニイチャン、またまた私のために、大声張り上げ、店員の兄ちゃんを呼んでくれた。私は、恥ずかしさが半分で、うれしさが半分の気持ちだった。
 それに比べて隣に座ったニイチャン。三十分近く打っていただろうか。一向にフイーバーしない。やがてあきらめて、遠く離れた台に移った。私は本心安堵した。いつ機嫌を悪くして、私にくってかかりやしないかと、おちおち楽しんでおれなかったのだ。
 怖いニイチャンも、ここでは優しくて親切なお兄ちゃん。見知らぬ人から声を掛けられたり、意外な人から親切にされたり、人情に触れることができるのもここである。

 幸先の良いスタートだったが、世の中そんなに甘くはない。
「142」「275」「947」「340」「541」「・・・」「・・・」
 徒労の時が過ぎていく。私は目に疲れを覚えて、何気なく台から視線を外した。
 店内の隅に大きなジュースの販売機。その向かいに置かれた長椅子に腰掛け、うたた寝をしている老婆が目についた。すぐ隣には、どんぐり眼をした、この老婆の孫と思われる子供が、行儀よく座っていた。子供の服装は小綺麗で、原色のシャツを着ていた。子供に比べて、老婆は地味な身なりをしていた。時計を見るとお昼に近かった。外は炎天下だ。私は、老婆が孫のお守りをかねて、涼みにでも来ているのだろうと思った。

「555!」
 今日三回目のフィーバー。パチンコ台の周りの豆球が、賑やかに点滅を繰り返す。勢いを得た玉が、五個、六個と、大箱の中から躍り出て、床に落ちては弾けた。老婆に寄り添っていた子供が近づいてきた。子供は下に落ちた玉を拾い出した。私は子供のために、そしらぬ顔をして、玉をこぼしてやった。こまめに拾えば意外と数になるらしい。子供の小さな手が、すぐ玉で一杯になった。子供が老婆に持っていく。居眠りをしている老婆を、子供は揺り起こした。老婆は戸惑った顔つきで子供を眺め、首を横に振った。老婆はパチンコに興味があって、ここにやって来たわけでもなさそうだ。
 子供は、私の隣の台で打ち始めた。すぐに玉は底をついた。子供は老婆のいる長椅子に戻った。私はフィーバーの感触に酔いしれながら、老婆と子供の姿を眺めていた。
 どこからともなく、厚化粧をした若い女が現れて、女は子供を連れて消えた。子供はあの老婆の孫ではなかったのだ。老婆は独りぼっちになった。老婆の腰は曲がっていた。何をするということもなく、口をせわしなく動かしていて、ガムでもかんでいるように見えた。入れ歯をしていないらしく、上唇に大きな縦皺が幾筋も走っていた。老婆の肘のところには、大きな繕いがあった。
 私は、この老婆が気になった。私は、フィーバーの感触を味わいながら、この老婆の姿をじっと眺めていた。私は、老婆の黒くて皺だらけの顔を眺めているうち、母の若かりしころの姿を思い出した。

 母は若かった。母はひどい貧血症でいつも青白い顔をしていた。台風が来るというある日、父は、
「今日は帰れんかもしれん」
 と言って家を出て行った。そんなときの父は、決まって家に帰って来なかった。父は仕事上、帰るわけにはいかなかったのだ。
 その日の夕方になって、雨が降り始め、暗くなってからは豪雨となった。豪雨はやむ気配もなく、家の前の一段低くなった道路が、水にあふれて池のようになった。水位はどんどん上がって、母とまだ小さかった私たち兄弟は、協力して畳を上げた。停電のため真っ暗になった家の中で、母は、頼りなく揺らぐ一本の蝋燭の明かりの前で繕い物をしながら、台風の通り過ぎるのを待っていた。雨は強い音を立てて、いつまでも降り続いていた。私たち兄弟は、二階の床に入って、知らぬ間に眠っていた。
 台風一過の明朝は、晴れ渡っていた。幸い床下浸水ですんだが、水はなお引いていなかった。玄関前の道路は、子供の膝あたりの深さまで水がたまり、二十メートルばかり続いていた。
 その日は平日で、私は学校へ行かなければならなかった。母は父の長靴を持ってくると、それを履いて、「おぶってやろう」と言った。私はそのころ小さかったし、母も若かった。母は私をおぶって、よたよたとした足取りで、歩き出した。私はそのとき、母が私をおぶったことを後悔していたことには、気がつかなかった。
「おまえがこんなに重たいとは思わなかった。腰の骨が折れるかと思った。歩きながら何度、もう駄目だ、もう駄目だと思ったことか」
 母はその日、私が学校から帰って来ると、そう述懐した。母は、我が子をおぶってはみたものの、我が子がもうこんなにまでも重たく成長していたとは、思いもよらなかったのだ。途中で振り落とすわけにもいかず、必死になって一歩一歩足を踏み出していたのだ。母は我が子の成長を喜ぶとともに、自分の体力の衰えに、言い知れぬ寂しさを感じたに違いない。

 あれから十数年の歳月が過ぎ、私は咲子と結婚した。今、私と咲子の間には、大学一年生の息子と、高校二年になる娘がある。息子は中学時代の友達とグループで、キャンプに行くと言って出たまま、今日で二日目になる。いつ帰って来ることやら、私は知らない。
 娘も年ごろになり、男友達に誘われて、朝早くからどこかへ出掛けた。その友達という男は、どこのだれだか、私は尋ねようともしなかった。
 子供たちは、思い思いに自分たちの青春を楽しんでいる。一方咲子にしても、適当にへそくりもしていて、自分なりに趣味をみつけては、その日その日を有意義に送っている。それに比べて、今の母の楽しみは一体何なんだろう。
 私の母は今年喜寿を迎える。ひ弱な体に鞭打ち、ただひたすら父に従い、私たち子供を育てることに専念してきた。母はただ、私たち子供のことだけを思い、自分自身の幸せを追うことはしなかった。子供が幸せでいることが、母の生き甲斐であり、喜びだった。掃除、洗濯、炊事、そして子育てにと、家庭を切り盛りし、自分の時間を犠牲にして、すべては自分の子供や主人のためにと働き続けてきた。
 今朝は早くから起きて、ソファーに腰を沈め、テレビドラマを見ていた。今の母の楽しみは、テレビを見ること。いやそうじゃない。
 母は耳が遠くなった。大声を張り上げなければ、私の話は母に通じない。私はついつい母と話をするのが億劫になっていた。自然と母と語らう機会も減り、母もまた息子に煩わしい思いをさせまいとして、私に話し掛けてくるということも少なくなっていた。母は咲子の前では無口だが、私にはよく、とりとめのない話を仕掛けてきた。母は口に出しては言わないが、我が息子との語らいを、何よりも楽しみにしているのではないだろうか。咲子はよく母に尽くしてくれるが、母と咲子は所詮、血のつながりのない他人同士だ。母には他人に対する遠慮や引け目がある。我が息子なるがゆえに話せても、他人の咲子には言えない望みがあるだろう。母にとっては、血のつながった我が息子との語らいが、何にもまして気楽な楽しみであるに違いない。母の望みはささいなことかもしれないが、そんなささいなことを聞いてくれる、ただ聞いてくれるだけでいい。たとえ、息子が黙っていても、我が子がそばにいてくれるだけで、どれだけ母の気が休まることか。
 私は、親の子供に対する愛情を、痛いほどに知らされたときがある。私が咲子と結婚するとき、父は母と連れだって、家財道具を品定めに出掛けた。私は、父が母と仲良く連れ添って歩く姿を見るのは初めてだった。妻を従えて、外を歩くなどといったことは、父にとっては、とてつもなく気恥ずかしいことだった。そんな父が、この日だけは別だった。父に対する長年抱いていた恨みが、そのとき一瞬のうちに吹っ飛んだことを覚えている。私はうれしかった。私以上にうれしかったのは母だったかもしれない。そんな父に孝行しようにも、父はこの世を去ってもう十年になる。母もまた、これから生き続けたとしても、十数年、いや数年の寿命かもしれない。いつ恍惚の人となり、何の楽しい思いも味わわずに人生を終えるかもしれない。

 老婆は眠り始めた。この老婆はまだ健康だ。だがこの老婆は今、幸せなんだろうか。咲子は愚痴をこぼしながらも、母の面倒をよく見てくれる。この老婆の嫁はどんな人だろう。孫のない老婆には負い目がある。たとえ健康な老婆でも、孫のお守りという年寄りの役割がない。嫁にとっては、役立たずの古びた人間でしかない。役立たずの老婆は邪魔者扱いだ。嫁は財布の口を開け、
「おばあちゃん、お小遣いあげるから」
 老婆は、わずかばかりの小遣銭をもらい、行く場所に事欠き、ここへ逃れて来たのではないだろうか。好きでもないパチンコに時間をつぶす。わずかばかりの小遣銭は、すぐ底をつく。早く帰ると、嫁は意外な顔をして、
「おばあちやん、もう帰って来たの」
 嫁が辛気臭い顔で、冷たく老婆を迎えるだろう。老婆は帰るすべもなく、この冷えきった店内でただ一人、時の過ぎ行くのを待っている。老婆は夕暮れ近くになって、ようやく腰を上げ、重い足を引きずりながら家路につく。老婆は、狭い家の中で、居所をなくして床に就く。床の中の老婆の耳には、今日パチンコ屋で聞いた懐かしの歌がよみがえってくる。この老婆が、今夜見る夢はどんな夢だろう。この老婆には、明るい明日があるのだろうか。私の目には、孤独で、哀れな老婆に見えた。

 台風一過、雲一つない青空の下、母は私を背負い、我が子が学校に遅刻しはしないかと気をもみながら、あの深い水の中を、かき分け、かき分け進んだ。私はいまだにあのときの母の背の温もりを忘れることができない。子供の成長を見るのは楽しいが、その一方で老いていく者がいる。老いはすべての人にやってくる。今や母は、私をあのときのように、背におぶうことはできない。
 私は気がついた。母が元気なときは、自分たちの子供のお守りをさせ、母が病気で寝込むと、その母の面倒を咲子に押しつけ、自分の快楽だけを追い求めている自分に気がついた。今こそ、私が母をおぶう番ではないのか。私は、乱れ飛び散る玉の流れの中に、老いゆく母の姿を見た。私は、居たたまれなくなって店を出た。

 店を出ると、母の好物の塩昆布を買った。
「土産物にろくなものはない。おまえの好きなことに金を遣えばいい」
 浪費をことさら嫌う母だった。母はこの塩昆布を喜んでくれるだろうか。きっと喜びやしない。だが私は買わずにはいられなかった。
 私は、母の土産を買ってからも、あの老婆のことが気になった。私は、店へ取って返した。老婆は相変わらず、長椅子に腰を折り曲げ、座っていた。その虚ろな目は、老婆自身の遠い過去を振り返っているように見えた。
「おばあさん!」
 私はこらえ切れずに、老婆に声を掛けた。