アクセス解析 散髪

散  髪

 トシ坊のお父さんは散髪が趣味です。今日は日曜日。雲一つない青空が広がっています。トシ坊は外で遊びたくてムズムズしていました。そんな朝、トシ坊のお父さんは、まだそんなに伸びていないトシ坊の頭の髪をなでながら言いました。
「散髪してやろう」
 トシ坊にとっては、恐怖と忍耐の日曜日が始まったのです。トシ坊のお父さんは、トシ坊の気持ちがわかっているのかいないのか、鼻歌まじりにチョッキン、チョッキン。トシ坊はとんだ被害者です。

 トシ坊のお父さんの散髪は、時間がかかりすぎます。
「あごを引け!」
「前を見ろ!」
「左を向け!」
「右を向け!」
 お尻がはみ出る丸いイス。じっと腰かけていると、トシ坊の足はしびれてきました。(やっと終わりだ) と思っても安心できません。
「少し刈り残りがある」
 とかいって、またチョッキン、チョッキン。こんな調子だから、完成までに二時間はかかってしまうのです。でも、トシ坊のお父さんの散髪は、ていねいだから、決してトラガリにはなりません。仕上がりは万全です。それがまたトシ坊のお父さんの自慢なのです。

 トシ坊の頭は、いつも近所の人の注目を集めています。
「お父さんにしてもらったの? トシ坊のお父さんって器用ね」
 近所のオバさんは、トシ坊の散髪したての頭を見て、いつもこう言うのです。お父さんは自慢顔だけど、トシ坊は、そう言われるのがとてもはずかしいのです。

 トシ坊のお父さんの散髪は、時間がかかるだけでなく、どこかおかしいのです。ひたいのそり方だって、真ん丸く円を描いていて、おかっぱ頭の女の子みたいなんです。トシ坊のお父さんは、そのことに気がついていません。

 トシ坊は、早く中学生になりたいなあ、と思っています。というのも、カツオ兄ちゃんは、中学生になってからは、散髪屋さんでしてもらうようになったからです。だから、トシ坊も早く中学生になりたいなあと、いつもその日が来るのを待っていました。

 トシ坊も中学生になる日がやって来ました。カツオ兄ちゃんと同じように散髪屋さんへ行けるんだと思うと、うれしくてたまりません。

 今日はトシ坊がお父さんに散髪をしてもらう最後の日です。
「トシ坊も、いよいよ中学生か」
「うん」
「トシ坊もお兄ちゃんのように、散髪屋さんで散髪してもらうほうがいいかな?」
「うん」
「そうか。トシ坊に散髪をしてやるのも今日が最後になるのか」
 お父さんは、どこかさびしそうでした。

 トシ坊が初めて散髪屋さんに行く日がやって来ました。柔らかい座布団。分厚いひじかけイス。前には大きな鏡があって、トシ坊の全身が映っています。熱いタオルで顔をぬぐってくれたり、顔をそってもらっているうちに、気持ちが良くなって、トシ坊は寝込んでしまいました。頭を洗って、髪をドライヤーで乾かすころには、目もすっきり覚めて、頭もさばさば。トシ坊は、いごこちが良くて、いつまでもイスに腰かけていたい気持ちでいました。
 家に帰るとお父さんは、一人でテレビを見ていました。退屈しているみたいです。トシ坊は、お父さんに悪いことをしたような気持ちがしたので、その日はお父さんと顔を合わさずに寝ました。

 ある雨の降る日曜日。お父さんは、いつものとおり一人でテレビを見ていました。トシ坊は、思い切ってお父さんに言いました。
「お父さん! 散髪してよ」
 トシ坊は、さびしそうなお父さんが気になっていたのです。お父さんは、少しびっくりしたようです。
「え? おまえ、もう中学生になったんじゃなかったのか」
 トシ坊はなんと答えようかと、言葉がつまりました。
「今日は朝から雨降ってるし、散髪屋さんに行くのが面倒なんだ」
「そうか、そうか」
 お父さんは、テレビのスイッチを切ると立ち上がり、タンスの奥から小さな箱を取り出しました。
「もう使うこともないだろうと、こんな奥のほうにしまってたんだ」
 お父さんは急に元気になりました。

 外は雨。いつもは庭でする散髪も、今日は玄関の中。チョッキン、チョッキンという音が、家中にこだましています。
「あごを引け!」
「前を見ろ!」
「左を向け!」
「右を向け!」
 鼻歌まじりに、いつもの調子の元気な言葉が、お父さんの口から飛び出して来ました。いつも決まった時間にお仕事から帰って来るお父さん。そんな真面目なトシ坊のお父さんの趣味がこの散髪だったのです。トシ坊は、そんなお父さんの唯一の趣味を奪ってしまっていたのです。お父さんの、散髪をしているときの楽しげな顔を見ていて、トシ坊はいつまでもお父さんに散髪をしてもらおうと思いました。
(けれど、お父さん。ぼくも少しはお父さんの気持ちも考えて、今日一日は辛抱するけど。今日がほんとうの最後だよ。お父さん! 早く散髪以外に趣味を見つけてください)
 トシ坊は、お尻がはみ出す小さなイスに腰かけながら、心の中でお父さんに話しかけていました。