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2003年6月25日(水) 北御堂へ

 大阪の御堂筋沿いに北御堂と南御堂があります。御堂筋という名前の由来になったお寺です。北御堂は津村別院ともいわれ、浄土真宗本願寺派(西本願寺)です。建物は昭和20年の空襲で焼け、昭和39年に現在の鉄筋5階建てに再建されました。正面の急な階段を上がると右に親鸞、左に蓮如の銅像が建っています。「朝の仏教講座」「常例布教」「土曜講座」「日曜講演」、その他人生相談(法律、税務、悩み事など)も行われています。南御堂は難波別院ともいわれ、真宗大谷派(東本願寺)です。今日は他に用事があったので南御堂には行かず、北御堂近くの相愛学園と御霊神社(ごりょうじんじゃ)に寄ってきました。御堂筋沿いには名所旧跡がたくさんあるので、後日ゆっくりと訪ね歩きたいと思っています。


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2003年6月 9日(月) 矢倉緑地へ

 自宅発(12時40分)→光明寺(13時15分)→第一病院(13時30分)→御幣島幼稚園→「和食さと」にて食事(13時40分)→市営歌島プール→歌島公園(14時20分)→大阪市立西淀川区民ホール(14時30分)→御幣島東公園→阪神高速11号池田線(14時35分)→江崎グリコ(14時45分)→大野川筋ランニングコース(15時00分)→「愛の樹」(15時10分)→歌島橋(15時15分)→大島橋(15時25分)→防災碑(15時40分)→旧町名継承碑(16時00分)→西島水門(16時20分)→矢倉緑地(16時40分)
 帰路 伝法大橋北詰(18時20分)→姫島通(18時50分)、遍満寺→姫島神社(19時00分)→姫島公園(19時20分)→姫島本通→北姫島公園→大島橋→関西スーパー(19時40分)→買物→自宅着(20時30分)

12時40分 自宅発
13時15分 光明寺(浄土真宗本派本願寺派)
         碑  蓮如上人一休宗純禅師御遺蹟地
■一休和尚について・・・室町時代の禅僧で、名は宗純といいます。放浪の生活に明け暮れていました。西淀川区御幣島のこの寺にも足を止めた時期があったらしく、この寺には今も一休和尚の筆になる自画賛の一軸が残されているそうです。
13時30分 第一病院→御幣島幼稚園
13時40分 「和食さと」にて食事
         下記はそのメニューに書かれていたものです。
           LUNCH MENU
         熱い料理は熱くご提供いたします。
         いたらない点がございましたら、
         どうぞ係にお申し付けください。
            ―安心宣言―
         私たちは、お客様の健康を願い、
         安心してお食事をお召し上がりいただけるよう、
         食材の鮮度管理はもちろんのこと、遺伝子組み換え食品、
         残留農薬、残留抗生物質、残留成長ホルモン、
         O-157を含む細菌や食品添加物について厚生労働省の基準に
        「さと」独自の基準を加えて厳密なチェックを行っております。
         また、BSE対策も万全に行っております。
         本社商品センター製造部におきましても、
         国際標準化機構ISO9001を取得しております。

         自家製石臼挽きそばにたっぷりの大根おろしを絡めながらお召し上がり下さい。
         季節の天ぷらや炊き合わせ、真蛸の梅しそごはんと一緒にどうぞ。

         涼風おろしそば膳 1,380円
        (真蛸の梅しそごはん付)
          ・真蛸の梅しそごはん ・涼風おろしそば ・季節の天ぷら
          ・炊き合わせ ・吸物 ・漬物 ・デザート


■BSEについて・・・牛海綿状脳症。別名、狂牛病。
■国際標準化機構ISO9001について・・・国際標準化機構(ISO)が定める『品質保証』の国際規格で、製品の設計・開発・製造・据付け・付帯サービスのプロセス全般について、顧客に対し製品の品質を保証する『仕組み』として供給者が具備すべき要求事項を定めたものです。
14時20分 歌島公園
        掲示板
        この施設は有料施設です。利用にあたっては申込みが必要です。
       「みおつくしスポーツネット」に登録のうえ申込んでください。
        詳しくはスポーツ総合情報センター691−2711にお問い合わせください。
                         十三公園事務所 309−0008

14時30分 大阪市立西淀川区民ホール(母が華道の講師をしていたところ)
          碑 西淀川区制70周年記念 平成7年4月
          像 「友愛」というブロンズ像
          掲示板 愛してください 区の花さざんか
               (本日は休み。7人が植木の手入れをしていました。)
14時45分 江崎グリコ(グリコ事件)
           「おいしさと健康 グリコ」(赤と白)
15時00分 大野川筋ランニングコース
             (標識が「0」、ここが始点。今日は始点から終点まで歩きました。)

          掲示板
                 大野川筋ランニングコース
                 ―健康づくりにランニング―
                 毎日走って太平洋を横断しよう
                              大阪市

          掲示板
         コースのごあんない(一周)
         A.コース 約1,600m
         B.コース 約1,700m
         C.コース 約1,400m
         D.コース 約1,500m
         全周コース 約5,600m
         標示番号は100mかんかくです

          掲示板
         毎日3km走ると(大阪から)
         京都     40km 約13日
         名古屋   190km 約2ヵ月
         東京    610km 約7ヵ月
         ハワイ 6,770km 約6年
         サンフランシスコ 10,850km 約10年


15時10分 「愛の樹」
         碑   昭和53年度卒業生
            大阪市淀商業高等学校一同

                 (手をつないだ母と子 馬 鳥 大木)
15時15分 歌島橋
           残念なことにゴミ投棄が多数ありました。
15時25分 大島橋
           ツバメが低く飛んでいました。
15時40分 防災碑
        防災碑 災害は忘れたころにやってくる
16時00分 旧町名継承碑
        旧町名継承碑 『北酉島町』平成六年三月 大阪市西淀川区役所
16時20分 西島水門
        プレート
           西島水門
       形式    フック式2段ローラゲート
       純径間   9.000m
       扇体高  10.620m
       製作年月 平成13年6月
       製作会社 川崎重工業株式会社


  矢倉緑地近くに来ると、ヨットを操っている人が10人ほどいました。歩いている人は私以外に見当たりませんでした。自転車に乗った人、二、三人に出会いました。堤防にはおばさんが一人で川面を眺めながら座っていました。近くに自転車はありません。服装は普段着のようですから、この近くに住んでいる人だと思います。汗を拭き拭き歩いていましたが、涼しい風が吹いてきました。懐かしいにおいがします。川の中に高圧線の鉄塔が建っているのが見えてきました。この鉄塔には憶えがあります。今は亡き父と40年ほど前に魚釣りに来たところです。右の方から西日がさしているから方向に間違いはありません。堤防は護岸工事が進んで、高さが腰のあたりだったところも2mにもなっています。巾も3倍ほどです。様変わりしたとはいえ、一部に昔の面影を残していました。堤防の緩やかな斜面には、一面に背の低い草が生えていました。波打ち際まで下りました。石と砂利で足が取られそうになりました。川岸の水は口にふくんでみたいほどにすんでいましたが、手ですくうだけにとどめました。岸壁の岩には沢山のカキがついていて、フナムシがうごめいていました。波が岸に打ち寄せる音も、岸が波で泡立っているのも、四十年前と同じでした。
 左前方のはるかかなたに梅田スカイビルが霞んで見えます。その右の方には伝法大橋、国道43号線。右の方には先日行ったUSJの建物と阪神高速5号湾岸線が見えます。そのずっと先の方には、あの派手に彩られた大阪市環境事業局舞洲工場も見えます。ここからはまさしくパノラマの風景を堪能できます。
 さらに矢倉緑地に向かって歩きました。この周辺も歩いている人は私以外にはいません。人工的に造った潮だまりが堤防に沿って幾つもあります。近付くと水鳥が二羽、驚いて飛び立ちました。川岸からちょっと先で小魚が三匹ほどはねました。魚を釣っている人は見当たりません。このあたりは岸に沿って鎖の柵がしてありますが、特に「魚釣り禁止」とか「立ち入り禁止」という掲示はなかったです。
16時40分 矢倉緑地
■矢倉海岸について
 周囲を巡りました。最近できたところだから道は綺麗でした。脇に植えられた木々も新鮮ですが、殺風景です。敷地も広くはありません。自転車で来た高校生らしいアベックが2組。それ以外には自転車に乗ったおじさんをちらほら見かけた程度で、閑散としていました。トイレと野鳥観察所がありましたが、他には施設らしきものはなかったです。カラスの鳴き声、ひばりのさえずりが聞こえてきました。中央部分へ行きたかったのですが、入口らしきところは金網の柵がしてあって鍵がかかっていました。裏口をさがしあてて、中央部分と思われるところに入りました。広い敷地があったのですが、背の低い草が生えているだけで、整地されていません。周囲とは異なり、中央部分は綺麗なところとはとても言えません。むしろこの矢倉緑地に至るまでの川岸(堤防)が美しく、お勧めのコースです。
 帰りはランニングをしている人や、犬を連れて散歩している人に、しばしば出会いました。空を見上げると飛行機が飛んでいました。鉄塔からカラスの声が聞こえてきました。魚釣りをしている人も二、三人いました。往路のときにいたおばさんがまだ、同じ姿勢で座っていました。
    堤防の壁面にスプレーで書かれた落書き 「青春特攻隊」「西淀川ナンバー1」
    途中で見かけた建物 福水防倉庫 淀川右岸水防事務組合
18時50分 姫島通

        碑   大和田街道5.5km
        碑     歴史の散歩道
             →0.3km 姫島公園
             →0.2km 姫島神社
             →0.6km 大野川歩行者自転車専用道

        遍満寺(浄土真宗)
19時00分 姫島神社
          建物
           姫島地車保存会
           姫島神社地車庫
          建物
           東宮御降誕記念 姫島神社
          碑
           妹が名は 千代に流れん姫島の 小松か末に こけむすまてに
                         明治丗三年三月建之

          その他
           元楯大神
           金毘羅宮
           楠大神
           姫島神社の由来

20時30分 自宅着

*この日記には雑多なことを書いていますが、すべては創作のヒント、資料になるのです。


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2003年6月 3日(火) USJから舞洲へ

 今日は自宅から歩いて、ユニバーサルスタジオジャパン・舞洲方面へ行きました。コースは次の通り。

 自宅出発(9時15分)→大野川緑陰道路(9時45分)→おおしまばし→北姫島公園→姫島公園(9時50分)→大和田街道→伝法大橋(10時10分)→此花区役所(10時45分)→ユニバーサルスタジオジャパン東(11時40分)→ユニバーサルスタジオジャパン(12時00分)→ユニバーサルスタジオジャパン一周→ユニバーサルスタジオジャパン東(12時45分)→此花大橋(13時00分)→大阪市環境事業局舞洲工場(13時30分)→舞洲東(14時00分)→舞洲アリーナ(14時15分)→舞洲陶芸館→舞洲スポーツアイランド。
 復路は舞洲スポーツアイランド14時43分発の市バスを利用して帰宅しました。

 9時15分 自宅出発
 天候は快晴。少し暑い。出で立ちは長袖のワイシャツと普段着のズボン。靴は「スニーカー」。先日大阪湾突堤まで歩いた時はサイズが小さい「運動靴」だったので、靴擦れを起こしてしまいました。今回は少し大きいサイズなので快調です。
 9時45分 「大野川緑陰道路」を横切る。
  最近は道を歩いていても気持がいい。昔は道路は車優先でしたが、タイルで敷き詰められた巾の広い綺麗な「歩行者専用道路」というものが、あちこちに出来ています。
 9時50分 「姫島公園」着
 そばの交差点角に下記の碑がありました。
      大和田街道 中之島(旧難波橋)から5.8km 平成七年 大阪市
 交差点で買物車を押したおばあさんに「関西スーパーはどこですか」とたずねられました。私は咄嗟のことで、また、そこまでこのあたりの地理に詳しいわけではないので「私もここへ来たのは今日が初めてで、よく分かりません」と答えてしまいました。おばあさんは「そうですか。ちょっと行ってみます」と先を急ぎました。実は私は今日、「大阪区分地図」というものを持って出ていたのです。その地図を見ると、場所がすぐに分かりました。おばあさんを呼び止めようとすると、おばあさんは先の方で自転車に乗ったおじさんにたずねている風でした。おじさんがおばあさんに、こっちの方だよと指差していました。その方向に間違いはなかったので安心しました。
 この西淀川区は鉄工所、工作所といった中小の工場が多い町でした。このあたりにも沢山あったのではないかと思われるのですが、3、4件しか見かけませんでした。
10時10分 「伝法大橋北詰」着
 これから渡ろうとする橋のたもとには「南福墓地」があって、200ほどのお墓が堤防沿いに並んでいました。手入れが行き届いていて、比較的新しいものばかりでした。
 伝法大橋は淀川にかかっている橋です。橋の左手には阪神西大阪線の線路が見えます。すぐ右には平行して国道43号線が走っています。「くろしお特急便」といった大型のトラックがひっきりなしに通って行きます。
 橋の中央で、釣りをしている人に出会いました。川も最近はきれいになって、川面が緑色を帯びています。
 橋の自転車歩行者専用道路は、タイルが綺麗に敷き詰められていて、一定間隔ごとに魚や鳥の絵のあるタイルがはめ込まれています。この淀川近辺に生息する魚や鳥です。下にその書かれていた名前のみを記しておきます。
  魚・・・ボラ、スズキ、ウナギ、コノシロ、カタクチイワシ、サッパ
  鳥・・・ユリカモメ、コアジサシ、ホシハジロ、アオサギ、カワウ、オオヨシキリ
10時45分 「此花区役所」着
 近くの交差点の標識に「ユニバーサルスタジオジャパン 3km」とありました。この交差点を右に折れて一直線に進めば、ユニバーサルスタジオジャパンに至ります。ここまで来ると、もう道に迷うことはありません。

 区役所前には下記のような時計塔が建っていました。
   沖縄県祖国復帰記念 大阪此花区沖縄県人会

 区役所の道路を挟んだ反対側に「産土神社」があったので寄ってみました。
  境内にあった碑
    摂政宮殿下 御成婚紀念碑

  境内の掲示板に書かれていた「水五則」
        水五則
一.自ら活動して 他を動かしむるは 水なり。
一.常に己の 進路を求めて 止まざるは 水なり。
一.障害にあい、 激しくその勢力を百倍し得るは 水なり。
一.自ら潔らかにして 他の汚れを洗い 清濁併せ容るるの 量あるは 水なり。
一.洋々として 大洋を充たし 発しては 蒸気となり 雲となり 雨となり
  雪に変じ 霰と化し 凝っては 冷瓏たる鏡となり しかもその性を失わざるは水なり。

*「水五則」について・・・王陽明が伝えたとされていますが、わが国の戦国時代の武将である黒田孝高(如水)の伝という説もあります。水になぞらえて人生訓を語ったもので、極めて含蓄のある言葉です。

 この此花区役所と産土神社に挟まれたところから、車道も自転車歩行者専用道も、一段と巾が広くなります。特に自転車歩行者専用道はまれに見る綺麗なものです。途中、工事中のところもありました。綺麗なのは出来てまだ新しいせいでしょう。このような道がユニバーサルスタジオジャパンのところまで続いています。
11時40分 「ユニバーサルスタジオジャパン東」着
 ここまで来ると潮の香りがしてきます。車は通りますが、私のように歩いている人はいません。さらに直進すると、丸い大きな花壇のある交差点に出くわしました。花壇にはヤブツバキの植え込みがしてあって、花は赤紫色です。この交差点を左に折れてしばらく歩くと、ユニバーサルスタジオジャパンへ入る車専用の入口があります。そこを過ぎると、間もなくJR桜島駅です。ここまでの道路は一層綺麗で、国際マラソンのコースに最適ではないかと思います。このあたりも自転車に乗った人が時々通るだけで、歩いている人は私以外にはいません。もともと電車かバスか車で来るところだからか、平日だからか。
12時00分 「ユニバーサルスタジオジャパン」着
 最寄の駅はJR「桜島駅」。今日は歩くのが目的だから、「ユニバーサルスタジオジャパン」に入るのは別の機会にしました。
 自宅からここまでの道のりは、それほど遠いという感じはしなかったです。これも心の余裕と自由な時間があってのことだろうと思います。少し暑かったが、汗は額にかく程度で、たらたら流れ落ちるということはありませんでした。
12時45分 ユニバーサルスタジオジャパンの外周を一回りし、此花大橋に向かう。
13時00分 「此花大橋」着
 橋は地上から見上げるほど高いところにかかっていました。橋のたもとにはこの橋の最上階に行く自転車歩行者専用道があります。この道は五重の螺旋状になっていて、ぐるぐる回って中段あたりまで登ると、視界が開けて、川面と海が見渡せました。涼しい風が吹いて来て心地よかったですが、高所恐怖症か、足がすくんでこれ以上前へ進めませんでした。橋の頂上に至るまでの道巾は狭く、両脇がすぐ真下まで見通せるようになっているので、吸い込まれるように落ちてしまうような錯覚と恐怖に襲われました。この橋を渡らないことには、目的の舞洲まで行くことが出来ません。私は両脇を見ずに、ひたすら自分の足下のみを見つめながら登りました。登りきってしまうと、左側が広い車道になっているので、恐怖感はなくなりました。
 この橋を渡ると舞洲です。橋の上から眺めると、西洋の童話に出てくるような建物が見えました。お伽の国にあるような、アラブの宮殿のような、巨大な煙突のようなものも見えます。建物は赤、黄、白の極彩色に彩られ、沢山の窓があります。金色の大きなボールを頭にいただいたポールのようなものも沢山建っています。このあたりはスポーツの施設があるところです、この建物はきっと宿舎のようなものだろうと思っていましたが、そうではありませんでした。私が想像もしていなかった意外な施設でした。
13時30分 「大阪市環境事業局舞洲工場」着
 その建物は「大阪市環境事業局舞洲工場」でした。要するにゴミを処理する工場です。「予約がないと見学が出来ない」という旨の看板があったので、中に入れず、開放されている周囲の遊歩道のみ歩きました。巨大な煙突のような建物には、たもとに大きなライトが幾つかありました。夜になると美しくライトアップされるのでしょう。
14時00分
 舞洲東のバス停の自動販売機でジュースを2本飲み、小休憩。道路から少し離れると、車の騒音から遠ざかるので、草むらの中にいる鳥のさえずりと、電信柱の上でクワックワッと鳴くカラスの声も聞くことが出来ました。
14時15分 「舞洲アリーナ」着
 案内掲示板の前に立つと、自動的に人の存在を感知して、女の人の案内の声が聞こえて来ました。このあたりも、私以外に歩いている人はいません。閑散としています。客待ちをしているタクシーの運転手が車から出て、道路脇に腰かけ、歯を磨いていました。
14時43分 「舞洲スポーツアイランド」出発
 舞洲スポーツアイランドが市バスの起点・終点になっています。バスは1時間に1本しか出ていません。帰りも徒歩で帰ろうと思っていましたが、流石に疲れたので、ここからバスで帰りました。

 今日は5時間ほど歩いたことになります。