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私の日記です

2003年2月27日(木)

人に感動を与える文章とは
 人に感動を与える文章とは、美文と限ったものではありません。次は、私の家に二、三日滞在した親戚のおばあさんが、自宅の九州から送ってきた手紙です。食べ物のことがたくさん書かれていますが、このおばあさんの素朴な親切心がよく伝わってきます。このおばあさんは最近永眠されました。

 △△へ参りました節は大変お世話になりました。早くお手紙を出さねばと思っていましたが、帰ったら疲れが出て休んでおりました。死ぬ前にあなたにもう一度お会いしたいと思っていますので、お体を大切に長生きしてください。一番下にある葉っぱは何でもよいから少しずつ煎じてお茶の代わりに飲んでください。薬屋にも売っているものですから毒にはなりません。皆こちらの年寄りの人たちは飲んでいます。私も飲んでいます。こぶは早く煮えますから、いりこも入れて、炊いて食べてください。私はこぶは絶やさず食べています。こぶは湿らないようにカンカンのようなものに入れてしまっておくのがよいでしょう。煎じ薬はナイロンの袋に入れて少しずつ煎じて飲んでください。いりこは醤油かけてもおいしいです。佃煮にしてもよい。元気にしていてください。私は先に死ぬでしょう。良くもなく、悪くもなく、毎日病院に行っています。私は食べ物のことばかり考えています。年をとると、甘いものも辛いものもいけないといわれています。私が死ぬまで、皆元気でいてください。死ぬ前にもう一度会いたいと思っています。一度来ていただきたい。私は人のたくさんいるところには行きたくないから、いつも仏様と独り言を言っています。こぶはよく洗って炊くときに酢を一寸入れたら早く炊けます。こぶは水に入れたら長くつけないように。栄養が水でとられますから。こぶはそのまましばらく水につけて砂を落として細かく切って、砂糖醤油、酢を一寸入れると長持ちします。冷蔵庫に入れなくてもよいです。こぶは生でもよいです。柿は私の家になったものです。いつも二百くらいなりますが、近所の子供が悪さをしてこれぐらいになりました。この柿は渋いですからよく熟させて食べる柿ですから柔らかくなったら食べてください。ナシはすぐに食べてください。柔らかくなるとおいしくありません。そちらは野菜が高いと聞いていますのでお送りします。するめは焼かずにそのまま食べていいのです。羊かんは白い粉をふいていても、カビやくさったのではありません。
 
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2003年2月26日(水)

車内での会話-迷惑な女高生
「車内での携帯電話のご使用は他のお客様のご迷惑になりますのでご遠慮ください。なお、混雑した車内では電源をお切りいただきますようお願いいたします。」毎日しつこく聞かされる車内放送である。携帯電話がペースメーカーに悪い影響を与えるので、その使用を控えてくださいということならよく分かるのだが、「携帯電話の話し声」が迷惑になるからという理由なら、納得できない。話し声が迷惑になるのは携帯電話に限ったことではないからである。
 登校途上の女子高校生の車内でのはしゃぎようは目に余る。携帯電話の話し声と同じように、いやそれ以上にうるさいのである。マナーはどこへいってしまったのでしょう。全く周囲に無頓着。無遠慮。公共の場という意識がない。実に不快である。君たちにとって貴重な時間かもしれないけれど、このおっちゃんにとっても貴重な時間である。やかましいのである。迷惑なのである。こんな女子高校生も、いずれは子を産んで母親になるのだと思うと日本の将来は暗い。
 車内では大声を上げないと聞こえにくいということもあって、このおっちゃんもついつい友人と大声で話していることもあろう。今こんな反省をしているおっちゃんだけれど、君たちにはそんな反省をしているとは思えない。他人の迷惑になっているということを意識していない。そもそも悪いことだとも思っていない。遠慮しなさい。「遠慮」とは他人に対して控え目に振る舞うこと、言動を控え目にすることをいう。君たちには遠慮会釈もない。「遠慮会釈もない」とは、相手に対する思いやりがなく、自分の思いどおりに物事を進めるさまをいう。
 携帯電話の話し声のみを目の敵にするのはかたよっている。物分かりのいいおっちゃんでいたいけれど、「車内での会話は静かにしましょう。大声で笑うのは他のおっちゃんの迷惑になりますので、ご遠慮ください」とでも放送してもらいたいものである。

2003年2月25日(火)

死苦を乗り越えた時
 職場の同僚や先輩たちと一緒に旅行に行った時の出来事です。私は元来酒に弱く、ビールならコップ一杯が限度です。車中、缶ビールを四分の一ほど飲んだところで気分が悪くなり、吐き気もしたのでトイレに急ぎました。手洗い場でしばらく突っ立っていたのですが、電車に揺られ、また立っているためもあって、ますます酔いが回ってきて、目の前が真っ暗になりました。私は今ここで死ぬのではないかと思うほどの苦しみが襲ってきました。それから後のことは何も覚えていません。どれほど時間が経ったのか、気がつくと私は床に仰向けになって倒れていたのです。季節は寒い頃でしたが、その時の私の気分は春の日差しを全身に浴びているような実に爽快なものに変わっていました。面前には車掌さんの顔がありました。「大丈夫ですか」という車掌さんの問いかけの言葉がとても温かく感じました。「頭を打ってるから医者に診てもらった方がいいよ」と言ってくれる乗客の声も耳に聞こえてきました。私は酒に酔うと、目の前が真っ暗になることがよくあるのですが、気を失うことは過去にはなかったことです。この時は今までに経験したことのない苦しみを味わいました。苦しみから解放され、生き返った瞬間の心地よさも体験しました。苦しい思いをすればするほど、その苦しみから解放された時の喜びが大きいと思います。だからもっと苦しめと言っているわけではありません。今、肉体や精神の病で苦しんでおられる方、その苦しみから解放された時、きっと、きっと、その喜びが大きいことを信じて生きてください。

2003年2月24日(月)

食べるという行為
『僕は、うまいうまいと言って、むさぼり食っている人間どもの、あの口の動きを見ていると、人間のあさましさ、人間の底知れない欲の深さを知らされる。人間の口から出るいかなる美辞麗句も、容易に信用できないって気がしてくる。』・・・拙著『少女のような君だから』より
 *食べるという行為は、排泄行為と同じです。排泄行為が汚いことだとするならば、食べるという行為もまた汚いことです。汚いことは陰で隠れてするものです。私は食事を共にするということが嫌いです。あなたは人前で排泄行為ができますか。

2003年2月23日(日)

30年前の落書き-その2-
『みんなにいろいろ意見をいわせれば、あらゆるものに発言させれば民主主義であるかのように思っている。しかし、このような考えは、本当は民主主義と全然ちがうものです。各人に意見を述べさせ、だいたいみんなに共通したところに従ってやる場合、全体でやったことがまちがいないという保障がどこにあるのでしょうか。そして、まちがった場合、誰が責任をとるのでしょうか。もしまちがった場合でも、私には責任はないということは、非常にはっきりしています。私はただみなさんの意見に従って行動しただけであって、私の方に責任はないのですといえばよいのです。』『民主主義というのは、ただいろいろの人が、いろいろな意見を集めてその尻尾にくっついてゆくこととはちがうということです。まずはっきりと原則を示す。そうしないと、現在あるものについて、どこが良くてどこが悪いかの判断ができないということが重点なのです。』
 -森信成著『唯物論哲学入門』より-

*人間は各々生まれ育った環境が異なります。意見の対立が生まれるのも当然です。互いに妥協しなければ、ことは進みません。だからといって、妥協は逃避ともいえます。自分の一貫した考えは持ち続けたいものです。自分を見失わないために。

2003年2月10日(月)

正解は「ハローぽっぽ」でした。
 大阪国際平和センター・愛称募集で佳作に入賞した私の作品は「ハローぽっぽ」が正解です。他に「ぽっぽ館」というのも応募しました。賞品として1万円の図書券をいただきました。因に入選作品「ピースおおさか」の方への賞品は、商品券10万円と「沖縄三日間の旅」ペアご招待でした。


               

2003年2月2日(日)

人間の真実を追求したい人のために『悪魔の辞典』より
日記・・・人の生活の中で、自分自身について顔赤らめずに物語ることのできる部分を毎日記録したもの。
議論・・・他の人々にたいしその誤りをますます頑固に信じ込ませる方法。
奇行・・・とても安あがりな有名になる方法。
ハンカチ・・・絹やリンネルの小さい四角い布切れで、顔に関してさまざまな恥ずべき役割を演ずるに用いられるが、葬式の際には、出ぬ涙をかくすのに特に便利なもの。
幸福・・・他人の不幸を見ているうちに沸き起こる快い気分。
無宗教・・・世界のもろもろの偉大な信仰の中でももっとも重要な信仰。

『悪魔の辞典』とは、19世紀末アメリカのジャーナリズムで、風刺と機知に富む辛辣な社会批評をしたA.ビアスの箴言警句集のことです。芥川龍之介の『侏儒の言葉』にも大きな影響を与えました。
 (
2002年9月11日12月20日12月21日の日記もご参照ください。)

2003年2月1日(土)

自分史(14)隔世の感
 大学卒業後、公務員として就職し、初めていただいた給料の額は、29,069円(手取額)でした。数年後、公務員を辞職し、民間企業で働いていた時の日給は1,400円でした(勤務時間は朝10時から午後5時まででしたので、時給200円ということになります)。隔世の感がします。
 今、白菜キムチをおかずに御飯を食べています。人間、生きるためには食べなければなりません。食べる糧を得るためには働かなければなりません。働いて得た給料で今日、白菜キムチと御飯を買いました。毎日食事にありつけること、健康であること、毎月決まった額の給料をいただけること。今の自分の身分に感謝せずにはいられません。昔の給料明細書を見ながら、飽食の時代にあっても、奢らず、高ぶらず、傲慢を戒め、質朴に生きていきたいと思いました。

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